第10話 フェアリーリングのお仕事 ちょっと箸休め

 ──少し、本当に少しばかり勢いで境界に突入しちゃったわけだけど。それはまあ置いておく。都合が悪いから。

 重要なのは、自発的にこの場所にやってきた馬鹿犬の感想だ。


「で、御山にまでやってきた感想は?」

「……キッついですねこれ……」

「当たり前だっての」


 険しい表情を浮かべるレイシに、思わずため息が零れる。

 本格的に御山に突入するよりマシとはいえ、境界付近のマナは十分に有毒だ。一般人ならのたうち回って命を落とし、並の魔術師でも一般人より多少もつ程度。

 レイシが死ぬことなく活動できているのは、コイツが類稀な魔術師だから。才能と技術にものを言わせて、力技で毒を抑えているからにすぎない。


「今アンタがやっているのは、呼吸を止めながら、気合いで内臓の活動を制限しているようなもの。そりゃ苦しいのも当然でしょうに」


 自然界にあまねく存在するマナを、呼吸と同時に取り込んで魔力に変換。エネルギーの一つとして消費するのが、通常の生命活動。魔術師なんかは、マナの変換能力を鍛えて、余剰エネルギーを魔術として活用したりはしているけど、それだって根本に人体の仕組みが存在しているわけで。

 が、御山はその基本機能を否定する。狂ったマナが呼吸と同時に体内に吸収され、代謝によって毒性を帯びた魔力となって蓄積されてしまう。有毒物質を体内に溜め込むのはもちろん有害であるし、なんなら魔力に変換される過程でも、生命活動として消費する際にも、しっかり肉体にダメージを与えてくる始末。

 死の山と恐れられるのも当然だ。なにせそれが事実なのだから。


「ちなみにアンタ、初めて御山の見学に来た時、護衛を振り切って御山に突撃しようとしてたの憶えてる?」

「……憶えてますよ。いやもう、あの時のことは感謝していますとも」


 確認ついでに懐かしい話題を振ったら、目を逸らしながらも肯定の言葉が返ってきた。

 いやー、あの時は本当に焦ったよね。小さい王子が御山の見学(もちろん関所付近のみ)に来たら、大人の目が一瞬離れた隙に全力ダッシュ決めたんだもの。

 フェアリーリングの次期当主かつ、同年代ってことで立ち会ってた私だけが、それに反応できたんだ。なんでかって言うと、生意気そうな顔をしたチビだなぁと思ってボケッと眺めてたから。

 だから意図的に気配を消しだした辺りで警戒して、レイシが動いたと同時に私もダッシュ。いかに子供特有のすばしっこさがあったとしても、城育ちのボンボンが山育ちの脚力に勝てるはずもなく。

 あっさり私はレイシに追いつき、その背中に飛び蹴りを入れたという。その後はもちろん、レイシの顔が腫れ上がるまで殴り倒した。


「あの時から全てが始まったんだよね。私たちの関係って」

「ロマンチックに言ってますけど、ボスと舎弟の関係ですよねそれ……」

「アレで格付けが済んじゃったからしょうがない。アンタ、みっともないぐらいガン泣きしてたし」


 子供の上下関係なんてそんなものである。


「……仕方ないじゃないですか。あんな風に殴り倒されたの、生まれて初めてだったんですから。エリンは虫を見るような目で殴り続けてきますし、なのに周りは誰も助けてくれませんし」

「周りの利害が一致したからねぇ。私は御山を舐められた気がしてイラッときたし、普通に命の危険があったから〆あげた。大人側は身分の関係であまり強く叱れないけど、それはそれとして死ぬようなやんちゃをされても困る。だから傍観を選んだ」


 特権を持つフェアリーリングの娘である私ならば、王子を殴ったところで問題はない。不当な暴力を振るえばもちろん切り捨てられるが、少なくともあの時は黙認された。

 あの場にいた全員が、そして後から話を聞いた陛下たちも同様の感想を抱いたからだ。『二度と舐めた真似をしないよう、痛い目みてでも学習しろ』と。


「特に護衛の人間なんて、気が気じゃなかったんじゃない? だって私が止めてなきゃ、物理的に自分たちの首が飛んでたんだから。それでも不注意の罰は受けたみたいだけど」


 ちなみこれは、わざわざ後日に関所までやってきて、私に感謝の言葉を述べにきた当人、及び家族たちから聞いた情報だったりする。

 罰則は受けてしまったけど、命は繋がった。なにより当人だけの罰で済んだってことで、本当に大勢から感謝されたよ。

 特に王子の護衛なんて、全員がしっかりとした身分のある家の出身だったから、状況次第で国が揺れかねないほどだったと聞いた。子供ながらに頬が引き攣った記憶がある。


「……今にして思えば、彼らには申し訳ないことをしました。そういう意味でも、当時エリンが止めてくれて本当に助かりましたよ」

「あの後はあの後で大変だったけどね。アンタ、あれを切っ掛けにグレたじゃん」

「……若気の至りです……」

「本当だよ」


 この馬鹿、私の鉄拳制裁を切っ掛けに、大人に不信感を抱くようになったという、ギャグみたいな後日談があるからね。正真正銘の坊っちゃまだったから、衝撃の体験から一気に拗らせたそうな。

 大人たちの根気と愛のある説得と、立場上ちょくちょく顔合わせた私による教育(物理含む)でなんとか矯正したけど。


「自業自得の癖に拗ねるなって、顔合わせるたびに呆れたからねぇ。どんだけ根に持つんだって」

「流石なアレだけ殴られれば、それも仕方ないと思うのですが……」

「命とトレードオフの学びだぞ」

「あ、はい」


 レイシのささやかな反論は速攻で封殺する。何度もいうけど、格付けはとっくの昔に済んでいるのだ。


「でもお陰で、私も大きく成長することができました。あの一件がなければ、私はダメダメな王子のままだったでしょう」

「オイコラ。だったら今いる場所を言ってみろ。その上で成長したかどうか判断してあげるから」

「しっかり事前に根回しして体裁を整えましたから」

「それはクソガキが小賢しくなったって言うんだよ!」


 事前に根回ししてれば、なにしても怒られないってわけじゃないからね!? 政治とかそういう理由もあるんだろうけど、私はそんな関係なく刺し続けるかんな! だってフェアリーリングは、政治に一切関与しないから!


「いいからいいから。それより、喋ってばかりいないで動きましょう? 時間が押してしまいますよ?」

「うるさいな! これはアンタが体調を維持しながら、他のことに集中できるか試してんの! 経過観察みたいなことしてんだよ! 私がアンタにとっての危険地帯で、意味もなく雑談ばっかすると思うわけ!?」

「……すいません。正直ただ話に熱中してるとばかり。エリンって、仕事となるとなんだかんだ真面目ですよね」

「よしその喧嘩買った!」


 弟分の分際で、私を小馬鹿にするとはいい度胸じゃないか! ついで雑談だけじゃなく、痛みでも集中を維持できるか試してやらぁ!!

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