僕たちの信仰

白宇 利士

1 その瞬間に囚われて

 元々、美術は好きだったんですよ。ええ、学生時代に何回か賞も取ってましてね。素人なりに上手いなって、自分でも自惚れて。でも、それだけです。才能なんて無いことはよく解かっていました。

 高校生の時、美術の授業を一緒に受けている友人の中に、美大の油絵科を目指している子がいましてね。デッサンとか、もう本当に凄いんですよ。放課後は絵画教室に通って、さらに時間を作って同人誌の活動なんかもしてましてね。絵が上手いだけじゃなくて発想とか、こういうもの作ろうっていう意欲とか……思考を形にする力って言うのかな、そういうのが凄い。あれを間近で見ちゃうと、夢なんて見れませんね。自分にはそういう力は無いなって、実感として思い知るんですよ。だから絵で食っていくとか、そういうのは考えたことが無かったです。


 大学受験はほどほどに頑張りました。お陰で大学生の時は、家庭教師や塾の講師のアルバイトばかりしていましたね。それに子供に勉強を教えるって、嫌いじゃなかったんです。自分も勉強には苦戦してきたタイプで、解かるようになると楽しいっていうことを知っていたので。生徒にもそれを体感して欲しいと思って、結構入れ込んでいて。工夫も色々していましたよ。そのせいかなぁ、塾の講師の時も家庭教師の時も勉強ができない、苦手だっていう生徒を多く担当していました。

 できる子は言い方は悪いですが、ある程度以上になると、放っておいてもどんどんできるようになるんですよ。だからできる子供が相手だと、勉強を見ていてなんだか申し訳ない気持ちになりましたね。私が教えなくても自分でできるだろうにって。

 

 生徒の中に小学3年生の女の子がいたんですよ。勉強全般が苦手で、宿題にも四苦八苦していて、やらずに提出しちゃうような子。勉強が苦手っていうより、興味が無いっていう方が正しいのかな。教えればできるんですよ、でもやらない。例えば算数の文章題。解からなかったら図を描いてみようといつも言っているのに、自分からは描こうとしない。でも一緒に解く時には図も描けるし、答えも出せる。しかも合っている。

 夏休み中にも授業をやったんですよ。学校から出ている夏休みの宿題を見てあげるんですけど、まぁ、手間取りましたね。やりたくないもんだから愚図る、いじける。机に座らせるだけでも時間がかかる。その上、ちゃんとこなしていかないと消化できなくなりますからね、夏休みの宿題は。

 8月もあと2週間で終わりっていう時期。私の授業もあと2回だねって話をしていた時に、急にその子が泣き出しましてね。びっくりしましたよ。どうしたのって聞くと、夏休みの宿題がまだ終わってないって言うんですよ。でも、算数や漢字等のドリルも終わっていて、自由研究だって一緒に考えてあとは清書するだけって所まで終わってたんですよ。まだ少し残っているけど、ちゃんと終わるよって言っても泣き止まない。ぽろぽろと涙を零すんです。

 「ポスターとか図画工作が終わってない」って言うんですよ。そこまで家庭教師が見なきゃいけないのって思いましたね。でももう、仕方がない、やるかって。

 そこから母親に報告し授業のコマ数を増やしてもらって、夕方まで一緒に図画工作ですよ。指導しているんだか、手伝っているんだか分らない感じでしたね。出来上がってみると、もう私の作品じゃないかっていうものも幾つかあったりして。

 女の子ってこんな感じなんですかね。私が小学生の時は女の子の方がしっかりしていて、夏休みの宿題が終わっていないのは男の子に多かったように思うのですが。まぁ、それが普通って訳じゃあないんですね。私は少し古い考えの持ち主なんでしょうね。女の子はもう少し、しっかりきっちりしているべきだ、この子はちょっとずぼらすぎる、男の子みたいだなと思いました。その事があってから、なんだかこの女の子に対して他の同年代の男の子と同じ感覚になってしまって。女の子だっていう認識が、かなり薄れたことを覚えています。


 そんな夏休みも終わり、まだ暑さが残る日。学校が終わった後の授業の時でした。

 夕方、窓から差し込む夕陽の中で、彼女がこう、首を傾けて。その瞬間、彼女の着ているTシャツの前がこう引き攣って、膨らみかけの胸がこう……それを意識させられて、私は思わずドキッとしました。

 いや実際、本当に有るか無いか判らないぐらいの胸なんですよ。しかも女の子だなんて、全く意識できないほどのずぼら加減。さらには勉強に興味が無い生徒。それなのに、その姿にドキッとするなんて考えられませんでした。

 未完成の美というか未成熟の美というものってあるんだな、本当に。まだ彼女自身、自分が色気や女というものを行使しよう、行使できるとは意識していない。それでもそれは、そこに厳然と存在していて私を魅了した。その事実、経験たるや私に凄い衝撃を与えたんです。あの時の胸の高まり、光景は私の世界を変えたんですよ。あの美しさは、言葉では表し切れません。


 その後も女の子の生徒を担当する事は何度もありましたが、同じような経験をした事は一度だってありませんでした。私だって、自分を疑った事ぐらいありますよ。でもあれ以降、全く、女の子の姿に胸が高鳴る事などありません。それでもただもう一度、もう一度同じ感覚を味わいたいと何度願った事か。


 以来、私は時間がある時には、あの光景を、あの彼女の姿を描こうと試みるようになりました。あの衝撃を形にしたい、そうすればまた同じ感覚を味わえるかも知れない。そう考えて、今日まで試み続けているんです。

 それなのに、あの日の部屋を満たす夕日の橙色ですら、ピタリとしないんです。私の脳を揺さぶり、価値観を一変させた光景は、長い年月を経て、私の記憶の中で昇華され、今では神々しいほどの姿になってしまいました。今更、その記憶を描く事などできるはずがありません。でも、それでも……私は今でもあの姿を追い求めてしまうのです。

 少女が女性である片鱗をその身に受け入れ、しかし未だ幼く、自分の女性としての価値を理解していない姿。

 矛盾を孕むのはその姿か、私の頭か。私は二度と経験できないあの日を、もう一度と求めて止まないのです。仮初でも良い、もう一度、と。

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