其の伍
さあ酒につまみだ。
いててまた尻だ、いい加減にしやがれってんだかかあどもめ、あんまり蹴られると尻が四つに割れちまわあ。
話のつづきが気になりなさるかい。
だろう。
なんたってここからが好い所。
あれ以来、日に日にあの夜出逢ったお侍の後姿が、お鈴ちゃんの中で大きくなる。
女心ってやつだね。
大きくなりすぎて、胸におさまりきらなくなって張りさけちまうんじゃないかってほどだった。
仕事にもどうも身が入らなくなって、そのうち旦那にお小言をもらうようにもなった。
お鈴ちゃんらしかあねえが、火事と喧嘩がお江戸の華なら、恋は女の華って言うじゃねえか。
一生に一度この身を焦がせるのなら、女は死んだっていいってとこまで相手を想っちまうそうだぜ。
あの人はどこにいるのかしら、竜之介さまは、どんなご身分のお方なのかしら。
それが判らないってだけで、お鈴ちゃんは泣きたくなったってえから本物だ。
食事ものどを通らず、やせ細ってふせちまうんじゃないかって、お店のみんなも心配したほどさ。
だけどある日、竜之介ってお侍の素性がわかった。
「主人。
「これは坂東さま。好いお日和で」
のどから心の臓がとびだすかと思ったそうだ。
お店にやってきたのは、紛れもなくあのお侍。
逢いたい逢いたいと想いすぎて、幻を見てるんじゃないかとすら思ったそうだ。
「また頼む」
「またのごひいきを」
御代を払って颯爽と出てゆくお侍を、お鈴ちゃんはあわてておいかけた。
「竜之介さま」
「おや、君は」
竜之介と名乗ったお侍、いや、もう竜之介でいいな。
その竜之介はすぐにお鈴ちゃんに気づいたようで、
「いつぞやは。その後かわりはないかな」
「おかげさまで、その後も。あの馬太郎はずっと私のまわりにつきまとっていたのですが、竜之介さま、いいえ坂東さまに助けていただいていらい、とんと顔を見せなくなりました」
「竜之介でかまわないよ。ふむ、ずっととな。あの男、たしかに
そう言ってにっこり笑うので、それだけでお鈴ちゃんは天にも昇る心地だった。
相手が店のお得意様とわかればあとは早い。
竜之介があの坂東様の三男坊であることや、柔術と剣術の使い手で、特に剣はかの
その話はみんな小僧から聞きだしたものだそうで、何で教えてくれなかったのかときいたらば、
「言ってくれればいつでも教えてあげたのに」
と返されて、つねりあげてやろうかと思ったんだとよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます