第八章 戰花 ①
振り続ける雪はよりいっそう気温を低くさせた。
体の前面から伝う雪の冷たさが脳に沁みる。
静かだ。
しん――と冷えている。
凍える体には雪がひらひら舞い降りて。
雪が溶けているせいか湿っぽく感じられる暗闇の中に今、自分はいる。
ゆっくりと首を巡らせる。わずかに開口。
冷たい雪に包まれていく中、魁斗は行動を起こした。
カチ、カチ、ガチリと、何度か右側の奥歯を噛み合わせる。下顎を右にスライドさせ、上下の歯を擦り合わせてみる。そして、異物を破壊。その中身が口腔と咽頭へと流れ出る。口から逃すまいと震える唇を必死に閉じて、ゴクン、と嚥下をする。
破壊した異物の中身を飲みながら、魁斗はあることを思い出していた。
『――いい? おかしいなと思ったら噛むのよ。手遅れになる前に……』
累が言った
クリスマス・イブを迎える前に、自分の歯の中を確認してきて、そして、念のためと言って仕込まれた。
――解毒剤。
保険に仕込んでもらった隠れ里に伝わるという解毒剤を全て飲み干した。
瞬く間に呼吸機能が正常に働き始める。
目を開き、顔を上げてゆっくりと身を起こす。
頭の中にあったモヤまでもが、ふっと消えた。大きく深呼吸すると頭の中がよりクリアになっていく。それとともに思考回路が正常に働く感覚がある。
冷えた両手を握りこむ。
強張った体は動かし辛かったが、やがて元の体のように馴染んでくる。手のひらを開き、もう一度ぐっと力強く閉じる。
今までの感覚とは違う。
やっぱり、おれはずっとなにかがおかしかったようだ……。
思わず自嘲の笑みを浮かべた。
危うく手遅れになるところだった。つくづく未熟でバカだ、おれは。
「あれぇっ……どうして?」
少し距離が開いたところで不思議そうな顔をして風花がこちらに振り向いていた。目を丸くさせ、ぱちぱちと目蓋を瞬かせている。
「どうやら、死にきれないらしい」
冗談ではなかった。本当に言葉通り。
魁斗はそっと左胸のあたりに手を当てた。
ふつふつと心臓から溢れ出した温度が、身体の内側を燃やしている。
溢れる炎のような感情が、この胸を焦がしていく。
魁斗は左胸を思いっきり押し込んだ。
大きく心臓が跳ね、異常な速度で全身に血が巡る。
身体は猛烈な熱を宿し、肉が焼けるような熱さと共に体中には力が溢れてくる。
熱い。雪の冷たさなんか目じゃない。
指先にすら、今はもう熱を感じる。
想いが、体に落ちてくる雪をも蒸発させる。
火炎と化した眼光に、風花が目を
――【
己の眼に真っ赤な灼熱を灯して、相手を睨みつける。
おれは今、生きることに執着している。
だって、このままでは死にきれない。
会うんだ絶対に。二人に。
「あはっ! あはははははははははっ!」
風花は快活に笑いながら、リップで濡れた唇を動かす。
「なるほどなるほどなるほどぉっ。たしかに面白いねぇ。あいつの言った通りだ」
風花がどこか妖しい雰囲気を漂わせながら口を開く。
「いや~、魁斗くんは面白いねぇ。最初は結構チョロそうだなって思ってたんだけど……」
そして、いまだに自分のことを友人とでも思っているかのような気さくさと気楽さで、接してくる。
「うん。わりと好き。けっこう好きだな、あたしはきみのこと」
その言葉を聞いて、魁斗は間髪入れずに言い返す。
「おれはお前嫌いだ」
言い切った。
風花に対してそう答えても、もう頭痛はしない。
聞いた風花が、あはははは、と口許を隠して、陽気に笑い声を上げる。
狂ってる……。平気で人の命を奪う者。どう考えたって好きにはなれない。
あはっ、と最後に呟くと笑い声を止めた。口許を覆っていた手を下ろすと、ふーっと息を吐いた。
「まあ、そうだよねぇ」
虚しそうに囁くも、なぜかまた嬉しそうに微笑みを浮かべる。
改めて風花のことをよく見てみた。
かなりの異彩を放っている。今さらながらに思う。
おれはこの子のことを明るくて可愛い無邪気な女の子だと思ってた? 冗談だろ……。
じっくりと見た風花は、美貌こそ見た目通りのままだが、雰囲気が……それはとても表現しようもないくらいに冷たく感じた。
隠里彩女と相対した時と似ている。その視線に人間らしい温度はない。人を平気で殺せる眼だ。
今までのおれはなにを見ていた?
己に問いつつも、前を見据えた。
距離が離れてはいるが、風花から発されている殺意をひしひしと感じる。
おそらく戦闘になる。
深く息を吸う。体には若干の気怠さが残っている。
頭を緩く振った。
だが、今の思考は幾分か明晰で、浮かれた熱も引いている。自分のバカさ加減が客観視出来るくらいまでは戻ってきている。
今こうして生きて、まともな思考を維持できているのは、アイツのおかげ。
風花の甘い誘いに乗らなかったのは、あの人のおかげ。
息を吐き切る頃には集中できていた。
視界はクリア。
敵を認識する。
――村雨風花。
「さーてとっ……」
区切りを入れるように風花が言った。ここにきてはじめて風花は気さくな態度を改める。風に雪が舞い散る中で、柔らかな髪もゆらゆらと踊る。
「――やりますか」
風花の目つきが変わった。
眼光を鋭くすると持っていたスクールバックを地面に落とす。その瞬間、突風のような速さで、こちらに向かって走ってくる。
両手にはナイフを所持。
外灯がちかちかと光る。
暗くなり、光った瞬間に風花が目前に。右腕を振り回すようにして、ナイフを薙ぐ。
「――っ!」
攻撃するか、避けるか、魁斗は一瞬判断に迷うも無意識に後ろに跳び下がった。左目の少し下あたりを刃が掠める。
掠めた頬からはつーっと血が一筋、流れる。魁斗は急いで血を拭うと拳を握り込む。
【
風花をよく見るように両眼を大きく開く。
風花はナイフを強く握りこまずに小指と薬指でホールドしている。あれだったら自在に、ナイフを操れそうだ。刃と腕の角度を合わせて、右脚を前に一歩出し、左肩を引いて半身がちに、腰を落として構えている。綺麗な構え方だ。
戦闘に関して、おそらく自分よりも遥か上。だが、今は【
観察をしていると、風花が動いた。こちらに向かいながら左首から右の鎖骨へとナイフを斜めに振り下ろしてくる。ひゅん、と風を切り裂く音が鳴る。動きは速いが、魁斗はその眼でナイフの動きを捉え、身を翻して躱す。
よし、動きは見える……。
しかし、すぐに風花は腕を返して右から左へ水平に薙ぐ。次に狙われた場所は顔面。魁斗の両眼だった。ナイフが眼に迫る。その直前に右腕の肘をたたんで、手の甲で風花の手を上へと払った。腕が上がり、風花の視線がこちらを向く。
視線がぶつかる。
「へぇ……よく見えてんじゃん」
唇を歪ませながら、風花は一歩退き、構えを戻した。そして、すぐに達人のような手の動き。加えて、流麗な足運びで腕をしならせながら斬り掛かってくる。まるで花びらが舞っているように、その動きは
踏み込めない、踏み込みすぎると切り裂かれる……。
流れるように次の攻撃が襲い掛かる。風花の左手に持っているナイフが迫っていた。ナイフの動きに沿うようになんとか躱しきると、魁斗は風花の手を拳でぶっ叩き、その手からナイフを吹っ飛ばした。
ナイフが飛ばされるも、風花は視線を外さない。右手に持っているナイフを顔に目掛けて伸ばしてくる。
額を突かれる前に魁斗は首だけをのけ反らせてどうにか躱す。ナイフが鼻先、その少し上を通る。ナイフを把持している右手を掴もうと、瞬時に風花の手首を掴んだ。ぐっと握りしめ、離さないように力を込める。
攻撃ができないと踏むと、風花は空いた左手で魁斗の顎をフックするように攻撃を繰り出してくる。先回りするように魁斗は左手で顎をガードするも、それはフェイク。握られた手を外すために外側から右膝で魁斗の掴んでいる手を蹴られる。あまりの衝撃に手首に電流が走り、痺れて手を離してしまった。
戦い方が上手い……。
感想を思ったのもつかの間、すぐにナイフが襲ってきた。今度は首だった。急いで、後方へ軸足を移動させ体重移動。切っ先が首の皮一枚掠ったあと、前方へ体重を移動し、もう一度右手で風花の手首を掴む。
まずは刃物を無力化させないと……。
冷静に判断を下し、そのまま魁斗は風花の肘関節を巻き込んで関節をきめる。脇に挟みこむようにして風花の腕をロック。腕を取られて風花は歯を食いしばりながらも顔を上げた。魁斗も同時に顔を上げる。
顔と顔が触れ合うような距離だった。
「……ほんとにキスでもするつもり?」
「……馬鹿言うな」
そのまま関節をロックして抑え込もうとするが、風花は空いた左手で魁斗の眼を狙ってくる。目潰しだ。眼に二本の指が迫る寸前、きめていた肘のロックを外して、距離を取る。それでも風花は指で眼を突き刺すように一歩大きく踏み込んでくる。魁斗は眼前でそれを受け止めると素早く風花の手を横に流した。態勢が崩れる。そのまま風花の足を払うと、勢いよく風花が地面に倒れ込む。
――もらった。
すぐに起き上がろうと、風花が上を向いた瞬間だった。魁斗は右の拳を引き絞ると風花の顔面に目掛けて思いっきり振り下ろした。
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