第七章 綺麗な花には棘がある ④
逃げてしまった……。
学校へと続くいつもの歩道を歩きながら、天を仰ぐ。
口をぱくぱくさせて叫ぶみたいに、頭の中では己に向かって罵声を浴びせていた。
ああ……おれのバカ、アホ、おたんこなす、あんぽんたん、おたんちん、
二人に浴びせられた言葉が頭から離れない。今の自分にぴったりの言葉だ。
いや、まだ足らない。おれの……臆病者、弱虫、ビビり……。
ほとんど同じ意味だった。でも、そうなのだからしょうがない。まだ言い足りないぐらいだ。
おれって……こんなに臆病者だったのか……。
空に向かって、大きなため息をこぼした。
何もかもが、ダメだ。
学校を出る前、鏡に映る己のツラはあきらかに覇気がなく、目の下にはクマがあり、朝食を食べたのにも関わらず頬がこけていた。ネクタイは何度結んでも斜めになるし、抱えているスクールバックは異常なまでに重い。それなのに、地に足がついていないような感覚は抜けていない。
のろのろと歩きつつ、何度目かのため息。
学校に行くのが憂鬱だった。
顔を合わせるであろう風花と、そして累と、どう接したらいいのかわからない。
おれは人を傷つけまくる……。
最近はうまくいかないことばかりだ。空回りが過ぎる。
風花ちゃんは自宅に帰った後、ちゃんと眠れただろうか。
自分のせいで泣いたりしなかっただろうか。
自分と……同じように眠れぬ夜を過ごしたかもしれない。
想像すると頭が重くなってくる。眉間に皺を寄せ、こめかみを指でぎゅっと押さえた。
いっそ罵ってくれればいい、こんなクソ男なんか……。
罵って縛って鞭で打って、踏みつけながら唾でも吐きかけてやればいい。
のたのたと重い足を交互に繰り出す。学校が近づいてきている。
ああ、もういっそ、学校、燃えてなくなってないかな……。
普段では思いもしない、とんでもない考えがよぎる。
涙がこぼれ落ちそうだった。
涙目のまま、登校をするために足を繰り返し前に進める。
累に会ったら……とりあえず、普通に接しよう……。
そう心に決め、意識を前へ向ける。
目の前は校門。しかし、校門の前には累は居なかった。
待ってる、わけないか……。すでに教室に入っているのかも……いや、自分がいつもよりも早く家を出過ぎたのか……。
歩みは止めずに校門を越えていく。
とりあえず教室の中を覗いてみて、居ないのであればメールでも送っておこう。先に中に入っていますよって……。
弱った虚ろな目のまま、魁斗は学び舎の玄関へと進んでいく。
※※※
「……」
たまたま、なのだろう。
下駄箱では会いたくなかった人物その一が居た。
すでに靴を下駄箱に入れており、上履きに履き替えようとしていたところだった。
「あっ、魁斗くん。おはよぉ」
風花は魁斗に気がつくといつものように挨拶をしながら振り向く。そして、向けられたのは笑みだった。
あれっ? ……意外に、けろっとしてる?
魁斗は気後れして、少し黙る。しかし、伏し目がちに、
「おは、よう……」
すぐに挨拶を返した。
「どうしたの? 元気ないね?」
「えっ? いや、ははっ……そう、かな……?」
どう返していいのかわからない。苦笑いをしながら頬を掻く。
だって昨日……あんなことがあったというのに……。
「昨日ホテルではあんなに元気だったのに」
「……」
血の気が引いて眩暈がした。
体が後ろに倒れそうになるも、風花がすぐに近寄ってきて、腕を掴んで、腰を支えてくれた。まるで王子様みたいな所作だった。魁斗の顔を覗き込むようにして尋ねてくる。
「あれ? もしかして、ほんとに具合悪い?」
「……だ、大丈夫……ありがとう……」
キラキラ光って見える風花の顔から急いで目線を切ると、魁斗はたじろぎ、後ずさる。すると、丁度後ろにいた人物に体をぶつけてしまった。
「……あ、ごめ…」
そして、愕然とする。思わずスクールバックを手から落としてしまった。後ろに居たのは会いたくなかった人物その二だった。
「る……い……」
亜里累がそこには立っていて、形容できないような物凄い顔をして、こちらを見ている。
会話を聞かれてしまった……? どこから聞いていた……? もし、あの単語を聞かれていたらアウトだ。
体温が氷点下まで下がる。
そして、前からは明るい声が届く。
「そっか……ならよかったぁ。じゃあ、あたし先に行くねー。また~」
「は、はい」
とりあえず前を向き直し返事をすると、風花は握っていた手を離し、踵を返して教室まで歩き去って行く。
そして、再び目線を後ろへと戻す。
「……ホテ、ル?」
黒く塗りつぶされたような目で、累が首を傾けながら尋ねてくる。
アウトだった。あの単語を聞かれていたみたいだ。
「嘘、だよね……?」
その声は微かに震えていた。なにも答えられず、しばらく硬直。
すべての思考が、ぶっ飛んでいた。
ヤバい、ヤバい、と繰り返すだけの脳みそはなんの役にも立たない。
「えっ、と、その……」
言い訳が見当たらない。事実であるため、なにも言えない。
唇がただ情けなく震える。
累が顔を伏せていく。
「へぇ……そう……そうなんだ……イブに、ね……」
それっきり黙りこくり、累はしばらく立ち尽くしていた。
学び舎の冷たい玄関で、重い静寂が訪れる。
「……る、累?」
さすがに心配になり、名前を呼んだが、反応がない。少しだけ、
――パンッ!
乾いた音が鳴って、顔が左方向に向いていた。
「触らないで。このケダモノ」
累は目尻いっぱいに涙を溜めて、その言葉を叩きつける。
強く、強く、こちらを睨みつけていた。
向けられた累の瞳が水気を孕んで、己のアホな顔が揺れながら映し出される。
しかし、そんな顔なんてどうでもいい。
弁解を、弁解しなければ……。
一瞬思うも、
弁解が……できない……。
立ち尽くした。
累の刃のような眼光が魁斗の心を斬りつけていく。なにか言おうとした言葉が喉の奥で完全に消え失せた。
累は雫をこぼす寸前に目線を外すと下駄箱へ靴を入れ、上履きに履き替えてから、魁斗の脇を通り過ぎていこうとする。
その瞬間――
「ケダモノ」
もう一度囁かれた。抑揚のないその声は、完全に感情の色を消し去っていた。そのまま一人で先へと駆けていく。
『――ケダモノ』
累から送られた言葉が、また一つ追加された。
左頬がじんじんと痛くなってくる。
魁斗の頭はショートし、電気回路がおかしくなる。振り向いて、累の背中を見つめ、思考が錯乱。
あ、ひとりで行くんだ……おれも同じクラスなのに? 教室まで一緒に行かないんだ……あっ、そうか……当たり前だ。おれ、ケダモノだもん。
ストレスという名の水が溜まりにたまって、もうとどめていられなかった。例えるなら、水風船が膨張しすぎて、破裂……いや、大爆発した。もはや、まともな精神状態ではいられない。
しばらくの間、下駄箱の前から動くに動けなかった。でくの坊のように突っ立ったまま、靴を下駄箱に入れたり出したりして時を過ごした。下駄箱を通り過ぎていく同じ学校の生徒からは不審な目で見られていただろうが、止められなかった。
やがて朝礼のチャイムが鳴る。そこで、ようやく意識を取り戻し、慌てて靴を下駄箱に収めて、上履きに履き替える。何度か転びそうになりながらも教室へと急いだ。
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