第五章 クリスマス前 ④


 失神しかけた後、急いでトイレに駆け込み、顔を洗い、頭をクールダウンさせる。

 洗面台の鏡に映る自分を見てみた。

 見るからに上気していた。頬も耳も首までも赤くなっており、熱が冷めない。


 なんかおかしい。もしかしてこれが恋ってやつ、なのか……? いや、でもなんか違うような……。


 もう一度、ばしゃばしゃと顔に水を掛けた。

 それでも顔の赤みは取れない。胸は動悸なんじゃないかと疑うくらいにドクンドクン言っている。


 ――村雨風花。


 あの子に今、誰よりも女性としての魅力を感じてしまっている。


 おれって……ああいう子が好みだったのか?


 時間が経っても、身体の火照りは取れなかった。いつまでもトイレにこもるわけにはいかないため、ようやく魁斗はトイレをあとにした。





 ※※※





 困ったな……。


 先程同様、風花は魁斗の座っていたソファーに座っている。どうしたらいいか、わからず立ち尽くし、改めて自分のソファー席をじっくりと眺める。


 離れて座った方がいいかな……。


 そう思ったが、そうしたらなぜか席を交換したというわけのわからない状態になってしまう。風花に避けられたと思われてしまうだろうし、女の子を傷つけるのはよくない。


 魁斗はふうっと息をつくと、意を決して歩く。席に近づくにつれ、甘い匂いが鼻から脳へと送り込まれてくるが、息を詰め、すました顔で風花の隣に座る。


「おかえりぃ~、大丈夫?」


 心配するように風花が尋ねてくる。


「あ、うん……大丈夫。ごめんね、いきなりトイレに駆け込んで」


 笑顔を向けるも顔を直視し続けることができない。風花の顔を見ると、なぜか胸がドキドキする。堪らず目線を落とした。しかし、目線の先には彼女の脚がある。いつのまにか彼女の脚を食い入るように見ていた。


 脚、長い……。


 スラリと伸びた脚が組まれている。その脚が組み直される。笑ったような顔で風花が口を開いた。


「魁斗くんはさ、いいよね。飾らないし、素直だし、可愛い」


「可愛いって……それ褒めてるの?」


 魁斗は目線を落としたまま答える。


「うん、だいぶ褒めてる」


「……ありがとう」


 思わず視線を上げた。褒めてくれた風花の唇は薔薇のような色でふっくらとしていて、柔らかそうだ。きっとなにかを塗っている。ただのリップクリームではない、なにかを。妙に光沢感があり艶がある。その艶やかな唇が動く。


「魁斗くんってさ……付き合ってる子とか、いる……?」


 ほんのりと上目遣いで聞いてくる。


 魁斗は顔を見ていられず、もう一度視線を落とした。すると、風花のちょうど胸元。上着を脱いでいて体のシルエットがよく見える。スレンダーながらに女性らしいボディラインをしていた。


 スタイル……いいな……。


 思わず見とれてしまう。


「あ、いやっ、いないけど……」


 色んな意味で首を振った。


「ほんとっ!?」


 風花が声を弾ませる。胸に手をそっと押し当て、ふうっと息を吐く。


「じゃ、じゃあ……好きな人は?」


 好きな人? 好きな人ならたくさんいる……とはいっても、この場合は異性として好きな人だろう。それくらいはなんとなく雰囲気でわかった。わかったけど――わからない。


「えっと……ごめん。あまり恋愛とか、してこなくて……よくわかんない」


「そう、なんだ……」


 風花はなんとも言えない顔で目線を落とした。しかし、真剣に考えた結果、答えがそれだったのだ。


「……えっと、じゃあさ、ごめんね質問ばかりで、魁斗くんは今、親しい女の子とかに興味をもったりはしてないの?」 


 親しい女の子に……?


 真っ先に思い浮かんだのは累と左喩だった。どちらも大切で、より深く関わっていきたい女の子。風花の問いかけは、おそらく女性として意識している人のことを指している。


 おれが、あの二人のことを意識……?


 ポヤついた頭で考えてはみるも、まるで答えが出てこない。


 なにが……どうなれば、『恋』に直結するんだろう……。


「うーん……パワフルだなって思ったりはするけど」


 頬を掻きながら、苦笑いを浮かべ答えた。


「んんっ……!? それどういう意味? ……面白いけど、それ絶対女子に言ったらダメなやつ!」


 風花は笑いながら答えてくれた。しかし、さらりと指摘されている。


「ごめん」


 謝ると風花が笑顔で首を振る。その後に、はにかむようにこちらを見て、そっか、と囁く。


「彼女とか、そういう人はいないんだ魁斗くん」


 少し笑って、風のように透き通る髪をくと耳にかけ、上体を寄せてきた。

 思わず身じろぎする。風花の髪から香水かなにかの甘い香りが漂ってくる。そのせいで再び、脳が溶けていく感覚。


「じゃあさ――」


 風花はそう言ってから、魁斗の腿に手を置いた。耳元に口を寄せてくる。顔がすぐそばまで来て。息の温度もわかりそうな至近距離で囁く。


「――あたし、魁斗くんの彼女に立候補しよっかな?」


「ぅええっ!?」


 思わぬ唐突な言葉に驚きを隠せない。


「えっ! や、でも、おれたち、まだ……お互いのこと、よくわかってないし、その……そういうのは、もっとお互いをよく知っていくことからじゃないかな!?」


 どぎまぎを隠せないまま、つらつらと言葉を並べる。

 風花は少しばかり不服そうに眉を寄せる。唇を尖らせてから言った。


「だから、こうやってデートしてるんじゃん……」


「……あ、そっか」


 たしかに……。

 妙に納得してしまった。





 ※※※





 なんだかんだ色々と会話をしていると、思った以上に長い時間を過ごしていたらしい。三時のおやつまで食べ終え、気づけば冬のよいになっていた。今日はもともとはランチだけの予定だったため、お開きに。風花は駅から電車に乗って帰るらしい。改札まで送ると、


「今日はありがとっ。すっごく楽しかった!」


「こっちこそ、楽しかった」


 本心だ。楽しくて、胸がいっぱいだった。


「また、さ……」


 風花が恥ずかしそうに少し顔を俯かせて、後ろに両手を組む。長い脚を交差させ、引いた後ろ足の靴の爪先で床をトントン、とつつく。そして、頬を赤く染めながら見上げるようにして伝えてくる。


「デート、誘っても、いい……?」


 その一挙一動が心臓を鷲掴みにしてくる。伝えられる言葉にも脳や体は喜んでしまい毛穴が一斉に開く。


「も、もちろんっ」


 気持ちが弾み、どこかへ走り出したい気分だった。ぶわっと毛穴が開いた後頭部を掻く。


 風花は花のように笑った。嬉しさを表現するように、一度小さくぴょんと跳ね、胸の前で両手を握り込む。可愛らしいガッツポーズだった。


 ほんとに現実なのか、これは?


 クラクラッとくる、こめかみを力いっぱい押さえ、倒れそうになる体をどうにか制御。


「やったぁ! ありがとねっ、じゃあ、また学校で!」


 風花は手を大きく振ると改札を越えていく。


 魁斗はぽけーっとした面持ちのまま自動的に手を振り返し、見送る。姿が消えそうになる前、風花はもう一度こちらに振り返って笑いながら手を振った。そして、ようやく姿が見えなくなる。


 思わず自分のほっぺをつねった。


「いひゃい」


 同然の如く痛かった。

 ほんとに現実らしい。

 ひとり、悦に入る。

 気分が舞い上がり、天にも昇る夢心地。


 これは、凄いことになった。おれ今、モテ期が来てるぞ……。


 自分でもわかるほどに有頂天。幸福感を超える多幸感で、脳が痺れている。幸せな余韻を感じながら家まで大股で歩き戻っていく。


 正直嬉しかった。


 考えてみれば、同じ年頃の女の子とプライベートで二人っきりで会うなど、初めてではないだろうか? 累と左喩さんは除くけど……。


 そんな事実に気がつくとまた、ぶわっと顔が紅潮し始める。体が妙にポカポカして冬なのに熱い。だが、心地良い。



『――あたし、魁斗くんの彼女に立候補しよっかな?』



 舞い上がっているせいか、頭の中で何回も同じ言葉が浮かんでくる。

 

 風花ちゃんは、なにより正しい女子の姿だ。


 クルクル変わる明るい表情。しなやかな身体。弾ける笑顔。虜になるほどの甘い香り。そして、艶っぽい唇……。


 なんか煩悩ばっかりだ……おれ……。


 目を瞑り、眩暈がするほど首を振ってみる。だが、思い浮かぶのは村雨風花のことばかり。


 やばいな、これ……。


 音もなく、雪が降り始める。

 白いはずの雪が、なぜだか桃色に見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る