第一章 雪月 ②


「ご、ごめんなさい、魁斗さん! 大丈夫ですかっ!?」


 雪の中に埋まってしまった魁斗を救い出すべく、左喩は急いで雪を掻き分け、焦ったように魁斗を引っ張り出した。


「うばぁっ。た、助かった……」


 引っ張り出された魁斗は尻から地面に降り立つと、しばらく呆然としたのち、自分の体を触り、生きていることを実感して息をつく。


「ご、ごめんなさい……本当に……」


 左喩は自分のしでかしてしまったことへの罪悪感と動揺を隠せず、手をわたわたと動かしたのち、謝ってくる。


 魁斗はようやく顔を上げると、左喩の顔を見た。目が合うと左喩は申し訳なさそうに長いまつげを伏して、しゅんと首を垂れる。魁斗はその表情を見て、逆にいたたまれない気持ちになり、元気に体を立ち上がらせる。にっと雪にも負けない白い歯を見せながら微笑んで、


「大丈夫ですよ、左喩さん。ですが……雪の掛け合いっこはもう止めましょう」


 そして、提案。


「そりしましょう!」









 ここは山の上。

 どこにでもいい感じの斜面がある。


 魁斗は皆継家の物置から赤いプラスチックのそりを持ってきて、まずは緩い斜面で慣らすように滑った。


 おおっ、けっこう楽しい。


「魁斗さーん」


 斜面の上で左喩がこちらに向けて手を振ってくる。


「左喩さーん」


 応えるように手を振り返す。

 またがっていたそりから立ち上がると、ざぼっ、ざぼっと雪の上を歩いて登り、斜面の上まで戻る。左喩に駆け寄ろうとするが、雪に足を取られて無様に尻餅をついてしまった。


「ああ、たいへん」


 左喩は急いで、魁斗に駆け寄ると引き起こそうと手を差し伸べてくる。けっこう恥ずかしかったため自力で立ち上がろうとするも、けつが雪にはまってしまっている。恥ずかしいがその手を取らせてもらって、立ち上がるのを手伝ってもらった。


 立ち上がったあとは、けつに着いた雪をバシバシ払う。

 そして、左喩の方へと顔を向き直した。


「どうでした?」


 左喩は戻ってきた魁斗にキラキラとした瞳を向けて質問してくる。


「うん、楽しいですよ。でも、もうちょっと距離が長いのと急斜面の方がスリルがあっていいかもしれないです」


「なるほど……」


 滑った感想を述べると左喩は少し考え込むようにして、別の斜面を見渡す。うーんと悩みながら、スリル満点の斜面を探しているようだった。


「ここにしますか」


 ようやく滑る位置を決めると、左喩は黄色いプラスチックのそりにまたがり、ずりっ、ずりっ、と両足で前へと漕いでゆく。最初はゆっくりと進んでいき、少しずつ勢いをつけてそのそりは滑り出す。黒髪をなびかせながら三十メートル程度、山の斜面をツリーッと滑っていく。


 おっ、いい感じに楽しそうだ。


 ちょうど坂がなだらかになったところの木々の前で左喩は止まり、にこっとこちらに向けて笑顔をくれた。


「魁斗さーん、ここいい感じですよー」


 笑顔でこちらを見上げながら手を振る左喩に魁斗も手を上げて応える。


「じゃあ、おれもここにしまーす」


 魁斗は同じように左喩が滑った位置をそりで降りることにした。

 その雪の斜面を見下ろす。下では左喩が笑顔で手を振って待っている。


 よーし、と唇を舐めると魁斗は勢いよく滑り降りようとして、助走をつけてから、そりに飛び乗るようにしてまたがる。が、そりごとスポーン! と後ろにひっくり返る。跳ね上げられた雪がふぁさーっと宙を舞う。その見事なコケっぷりに左喩が思わず吹き出して、下からけらけらと笑う声が聞こえてくる。


 また、恥ずかしいところを見せてしまった……。


 恥じるように顔を赤らめながらも魁斗はあきらめない。

 次こそはかっこよく滑ろうと、もう一度助走をつける。


 今度は成功させる!


 走る。走った勢いそのままに空中で赤いプラスチックのそりにまたがることに成功。両足で雪の地面をだんっと蹴る。そして、そりは勢いをつけて……暴走を始めた。


 思っていた以上に、助走の勢いと地面を蹴った勢いが強かったらしい。そりは斜面を急発進、慌てて足を伸ばして必死にそりを止めようとするが、加速がつき過ぎて、止まらない。


「うわぁぁああああああああっ! さゆさぁぁぁぁぁぁああああんっ! どいてくださぁぁぁぁぁあいっ!」


 魁斗の焦りがこもった叫びに、左喩は目を真面目なものにさせ、きゅっと顔を引き締める。


「まかしてください、魁斗さん!」


 あろうことか左喩は両手を広げて待ち構えようとする。

 受け止めてみせる! とばかりに足幅を広く取ろうと片足を広げたところ、雪に足を取られて、ずぼっと足がはまった。左喩は目に見えてバランスを崩して、グラグラと体を前後に揺らす。


「あわわわわわわわわわっ」


 左喩の焦る声が響く。

 両腕をぐるぐると回転させながらバランスをどうにか保とうとしている。

 しかし、その間にも魁斗が乗った暴走そりが近づいてくる。


 そんな左喩の様子を見た魁斗は顔を真っ青にさせ、「やっ、やばい」と暴走そりの上で呟く。どうにか左喩との直撃を避けようとそりを操作しようとするが……


「うおわぁっ!」


 叫び声を上げ、結構な勢いで雪をぶちまけつつ、ついにはバランスを失って魁斗はポーンとそりから投げ出された。そして無人になったそりは左喩の脇を通過して後ろの木に激突。そりはひび割れ、力を無くしたようにぐったりと止まる。


 そして、魁斗は――左喩と激突。


 ほとんど飛びつくようにして左喩に正面衝突していた。左喩はバランスを崩していたために受け止めることができず二人してそのまま雪の中へと転がっていき埋まってしまう。


 左喩を押し倒した体勢のまま、その胸のあたりにちょうど顔面を押し付けてしまっている。右頬に柔らかい弾力を感じる。


 や、柔らかい。あまりにも柔らかい……。


 ウェア越しではあるが、非常に温かく、張りのある柔らかさ。ぽよん、とまるで高反発の枕のようにちょうどよく吸収し、ちょうどよく反発が返ってくる。そんな感触をしみじみと味わう暇なんてあるはずもなく、魁斗は焦って立ち上がろうとする。しかし、そのたびに足を滑らせ、ぽよん、ぽよん、と左右のクッションに衝撃を吸収される。左喩の胸に何度も顔をうずめるという、物凄いラッキーな思いをしているのだが、そんなことを考えている余裕はない。

 とにかく早く起き上がらなければ、と必死に手足を動かした。

 そして、左喩の顔の横に両手をついて起き上がろうとした。その時、

 

 ――ずぼっと手が雪の中に沈んでいった。


 勢いがついて、魁斗の顔が左喩の顔に迫る。

 

 唇と唇がぶつかる――その直前で止まった。

 

 顔の距離はおよそ一センチ余り。目と目がすぐ近くで合う。


「「……」」


 なぜか無言で見つめ合う。

 左喩の、はぁっと漏れる温かい吐息が唇にかかる。

 ぴくっと体が反応し、魁斗は一度ゴクリと息を飲んだ。

 雪に埋もれているのに、体が非常に熱い。

 左喩の潤んだ瞳が揺れながらもこちらを見ている。


「……」


 言葉が発せない。

 今にも吸い込まれていきそうだった。

 少しだけ顔をおろせば、その唇には、自分の唇が重なる。

 はぁっと、自分も熱い吐息が漏れてしまう。

 すると、ぴくっと左喩は目を瞑り、体を一瞬震わせる。

 そうして、もう一度視線が重なり合う。

 やがて、先ほどよりも赤く染まっている左喩の唇が動く。


「……か、魁斗さん……あ、あのっ、そんなに焦らなくてもいいですから、ゆっくり……起きあがりましょう」


「は、は、は、ははいっ!」


 言われ、冷静を取り戻すと、左喩と協力しながら体勢を整えて、体を起き上がらせていく。


 ようやく立ち上がると左喩とは一歩距離を取り、熱すぎる頬を雪で冷えた手で覆った。

 チラッと横目に左喩を見ると、赤鬼にでもなったのかと思うほどに顔面を真っ赤に染め上げて、もじもじと体を動かしている。左喩も頬が熱いのか、両手で頬を覆う。


 おれはなんてことを……。


 罪悪感が込み上がってくる。

 左喩へと体を向き直すと、勢いよく頭を下げた。


「すいません、左喩さん! おれが、あんなバカな乗り方をしたばっかりに……」


 そんな魁斗の様子に左喩は首を一度横に振りながら答えた。


「いえ、お気になさらずに……その、お互いに調子に乗り過ぎました」


「そ、そうですね……」


「……一回、家に帰って温かいお茶でも飲みましょうか」


「はい……」


 二人はいそいそと、雪で冷えた体を温めに家の中へと戻っていった。


 しばらく、赤くなったほっぺたはずっと熱を帯びていた。


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