第六章 生きてさえいてくれれば ⑤
累は、気力を無くしたように身体の力が抜けており、地面にへたり込む。そして、いつの間にか姿形が元に戻っていた。生えてるように見えた狐の耳や尻尾が消え、金色に染まっていた髪の毛は元の薄紅色の髪色へと戻る。しかし、なんとなくだが以前の姿よりも、どこか弱々しく壊れかけているように自分の目には映った。
魁斗は、確認するように腕の中で震えている累の存在をしっかりと感じながら自分の胸にぎゅっと引き寄せる。
「終わったか?」
そんな中、彩女が小太刀を手に携えて近づいてきていた。
折れた両腕をその辺の木の枝で固定し包帯でぐるぐる巻きにしている。
どうやら自分たちが争っている間に治療を施したようだ。
魁斗は力が抜けて膝をついている累を庇うようにして、立ち上がる。
彩女は地面にへたり込んでいる累に向けて言い放った。
「おい、亜里。選ぶがいい。その穢れた身のままで老いさらばえて死ぬか、わたしが今すぐ祓って清らかな身で死ぬか」
問われるも、累は一度ぎゅっと唇を結んで、無理やり解くように唇を開ける。
「わ、わたしは……」
言葉の途中で手を広げ、絶対触れさせないようにして魁斗が彩女を睨みつける。
たとえ、隠里を……深海派の全部を敵に回したとしても、累のことはもうひとりにしてなるものか。
闘う意思をみせた魁斗に向け、彩女が言い放つ。
「
「それでもいい。おれはこいつの方が大事だ」
迷わず言う。
累が後ろからシャツをぎゅっと握りしめるのがわかった。
「そいつがなにかわかってるのか……? この世にいるだけで災厄をもたらす女狐だぞ」
聞いて、怒りで全身を震わせる。
この世にいるだけで災厄をもたらすだと……累の存在そのものが間違いだとでも言うつもりか、この女は。そんなわけがあるか。累と過ごした日々が。泣いたり、怒ったり、笑ったりした毎日が。キラキラと輝くようなあの時間が、間違いなわけがあるか。
「ふざけんな……このクソ野郎」
怒りで震える唇を動かし、低い声で唸るように言う。
「……お前は、そいつにたぶらかされてるのか?」
「黙れ、バカが。おれがこいつを守りたいだけだ」
聞いた彩女は憐れなものを見るように目を細める。
「……そうか、滑稽だな……」
そう呟くと彩女は小太刀を構え、身を屈めていく。
まだ地面にへたり込んでいる累と目線を合わせるように、魁斗はしゃがんで言う。
「累……お前はここにいろ。そして、信じろ。おれはお前を置いてひとりぼっちには絶対させないから」
魁斗は淡く微笑みかけると拳を強く握りしめる。
「おれにも、お前を守らせてくれ」
その手を開き、累の肩にぽんっと優しく置く。
そして、前へ向き直すと睨みをきかし、足を思いっきり踏み込んだ。
同時に彩女が動く。
魁斗は右の拳を引いて、そして――
「――っ!?」
二人の動きが同時に止まる。ちょうど間に割って入ったその人物によって。
「えっ……」
無音。
しばらくしてから、冷たい風が頬を撫でていった。海のさざ波の音が耳に届く。
目の前には、綺麗な手のひらがこちらに向けられている。
「左喩、さん?」
手のひらを避けてのぞき込むようにして、その人物の名前を魁斗は呼んだ。
「はい、ストップです。終わりにしましょう」
名前を呼ばれた左喩はにっこりと笑って周りを見渡した。
※※※
「彩女さん、ちょっといいですか?」
突如、現れた左喩は彩女の方に向き直して近づいていき、こそこそと話し始める。
「……」
魁斗はただそこで、なにかを話し合う二人を眺めて、呆然と立ち尽くす。
なにを話しているのだろうか……。
おそらくは左喩が説得しているみたいに、彩女に話しかけている。
それを彩女は黙って聞いて、時々歯切りしながら頷いていた。彩女が俯くように最後に頷くと、ようやく二人が戻ってくる。
「お話は終わりました。とりあえずは……今回のことは無かった、ということで」
ニコッと花が開くように笑顔を浮かべると、自分と累に向け、その言葉を伝える。
目を瞬かせながら、戻ってきた二人の顔を見る。
どうやら、本当に話をつけてくれたみたいだ……。
彩女は左喩の傍らで納得がいってなさそうな顔をしているが、これは皆継の決定。それが命令とあらば、従うしかないのだろう。黙りこくって、ただ静かに左喩の隣で佇んでいた。
「彩女さん……伝えておいてあげてください」
左喩は彩女に促すように話を振る。
彩女は忠誠を誓っている左喩からの申し出とあらば断わることができない。一歩前に進み出て累の顔を見る。そして、口を開いた。
「教えといてやる。……お前の、両親を討った者はすでにこの世にいない」
言葉を聞き累が、がばっと顔を上げた。大きく瞳を開けて、
「嘘……」
小さく絞り出すように呟く。
「嘘ではない。その者は……その男は、たしかに死んでいる。何年も前に亡くなった。病気で……呆気なく死んだ。だからもうお前の復讐の対象はこの世にはいない」
累が瞳を落とす。
項垂れるように頭を下げていき、地面と平行になるほど、
そして、頭を抱え、
「嘘よ! 噓、噓、噓、噓っ!!」
頭を横に振りながら、悲鳴のように叫んだ。
「嘘だ……嘘なんでしょ! 騙されないからっ! ねぇっ! 嘘よ、嘘でしょ!?」
ヒクヒクと顔を歪めながら叫び続ける。ついには嗚咽が漏れ、それでも叫ぶことを止められなかった。苦しげに喘ぎながら、声が枯れても叫んだ。
咳き込んで、酸素を求めて、必死に肩で息をして、縋り付くように、目は彩女を見る。
彩女は何も言わず、ただ黙って累の目を見返した。
そんな……とだけ、小さく囁き、叫んでいた声が止まる。
その姿を間近で見て、魁斗はどう声をかけていいのかわからなかった。
なんて、声をかければいい……。
なにを伝えれば累は救われる?
おれは……どうしたら……。
そうして答えはでないまま、言葉が出せずにいる。
胸が詰まるような感覚に襲われる。心臓が絞られるみたいに苦しくなる。
きっと、心の整理がつかない。
戸惑いと絶望と他にも様々な感情が飛び交って累は苦しんでいる。
自分も同じ立場だったら、どうすればいいのかわからない。
気持ちの持って行き方を、開いた傷を、宙に浮いた憎しみを、どのようにして癒していけばいいのかわからなくなる。
――復讐。
このために自分も生きている。
だとしたら、無くなったときにはどうすればいい?
溢れ出てくる疑問や想いに吞み込まれそうになる。
いまだ、自分で答えを見つけられずに、ただ黙り込む。
肩が震えてくる。
俯く累をどうしたら……。
なにもわからず、なにもできない。
それでも魁斗は足を動かした。歩き出し、一ミリでも累の近くに。
目の前で累が傷ついている。どうすればいいかわからないなら、せめて壊れないように、いつでも支えられるように、傍にいる。
累の背中に手を回して。優しくそっとさする。
情けない。
こんなことしか、おれにはできない……。
累の押し殺した声が漏れる。
一間を置いてから、彩女が顔を伏せている累に再び告げる。
「亜里、契約は破棄だ。だが、隠里は変わらずお前たちを静観する。助けもしないし、殺しもしない……だけど、妙な動きをしたら、すぐに命はとるがな」
以上だ、と告げて彩女は背を向ける。左喩に一礼をすると霧がかかったように山林の中へと去って行った。
魁斗は再び累を見る。
沈黙し、なんとも言えない表情で瞳は、ただ地面を映していた。
「……」
魁斗はもう一度、彩女が去った方向に視線を移す。
大きく息を吸って、ふぅ……と息を細く、少しずつ吐いた。
大きな傷跡が残ってしまった。
だけど、累は生きてる。
そして、これから殺しを依頼されることや襲われる心配は、おそらく無いのだろう。
とりあえずは……
「終わっ、た……」
小さく声が漏れた。
今回も左喩が来てくれたおかげで丸く収まった。
魁斗はお礼を伝えるために、左喩に目線を向けて手を上げた。
だけど、にっこりと微笑みを浮かべたまま、シカトされた。
えっ、あれ……?
もう一度、手を上げる。
ガン無視。
「……」
手を振るが、にっこりとしたまま顔を横に、ぷいっと背けられる。
思わず、ぱちぱちっと二回ほど瞬きを速めた。
これはおかしい、と魁斗は左喩に向けて声をかける。
「あ、あの、左喩さ……」
「魁斗さん」
左喩にしては妙に低い声。
魁斗の言おうとする言葉を途中で遮られる。口調はいつも通りにゆったりとしている。顔はにこりと笑顔を継続。だが、なにかとてつもない怒りを裏に潜ませているのをひしひしと感じる。
「は、はい……」
ぶるっと一瞬震え、おずおずと返事をした。
「あとで……お説教です」
決して笑顔を崩さないまま、小首をわずかに傾けさせてそう告げられた。それが、なんともあべこべすぎて、恐ろしくて魁斗は全身が震えだしそうだった。
そ、それもそうか……と、魁斗は眼球を斜め上方向に向けて記憶を辿る。
左喩の忠告を一切無視して家を飛び出してきた。止めようとしてくれた、その手を乱暴に振りほどいた記憶がある。あの時の自分の行動が恐ろしい。
それに……たぶん、心配をかけてしまった。
謝ろう、と頭の中で思い浮かんだ瞬間だった。
がばっ! と、累がいきなり立ち上がった。顔は伏せたまま、ぐるりと体の方向を変え、ズンズンと左喩の方へ歩み寄っていく。
距離一人分を空けて、累が左喩と対峙。
なんとも言えないピリッとした、張り詰めた空気がその場に流れる。
さすがの左喩も笑顔だった表情を崩し、なんだかひるんだように顔を曇らせる。
「あ、あの、累さん……その……わたし……約束を破ってしまいました……。ごめんなさい」
左喩が頭を下げる。
累は上からそれを見下ろすように眺める。そして、右手で握りこぶしを作り、ぐっと力が込められた。手をバッ、と広げると頭上に腕が上げられていく。
魁斗は脳裏に、学校の屋上で左喩と累が対面している場面を瞬間的に思い出した。
これって、あの時の……。えっ、もしかして……。
左喩は手が振り下ろされると思い、ぎゅっと目蓋を閉じる。
「ちょっ! るぃ……!?」
名前を呼び、声をかけて止めようとしたが、累はその手をもう一度握りこむと腕をすとんと下ろした。
――そして、累も頭を下げた。
「こちらこそ、すいませんでした」
……は?
魁斗は目が点になる。呆気に取られている中、累が言葉を続ける。
「こんな事態を起こしてしまって、ほんとにすいません」
頭を下げたまま、再び謝罪の言葉を口にする。
「そして、ありがとうございます。……魁斗を守ってくれて。これからも、魁斗を……どうか、よろしくお願いします」
そして、なんか……おれを、お願いされている……。
しばし浜風が通り過ぎていく間が空いた。
左喩は下ろしていた顔をゆっくりと上げる。
「……はい、もちろんです。こちらも魁斗さんのお母様を守れなくて、本当に申し訳ありませんでした。……ですが、魁斗さんは、必ず……絶対に守ります」
累も下ろしていた顔を上げる。そして、結んだ口許を少しだけ綻ばせていく。
「はい、お願いします……あと……」
今度は累が、ばつが悪そうに表情を曇らせ、瞳を伏せていく。そして、もう一度頭を下げた。
「あのとき……殴ってしまって、すいませんでした」
累は魁斗を左喩に初めて紹介する時の屋上でのやり取りを謝っているようだった。
思えば、累と左喩がまともに会話しているのを、初めて見たような気がする。
左喩は笑顔で答えた。
「いいんです、お互い様です」
二人は顔を見交わして、同時に振り返り、自分を見つめてきた。
えっと……と、魁斗は、ぱちぱちっと瞬きをして、間抜けな表情を浮かべる。
「これからも、魁斗さんを一緒に守っていきましょうね」
「……はい」
「……」
やはり自分は守られる対象なんだな、と情けない気持ちでいっぱいになるが、二人が笑顔をこちらに向けてくれている。
だから、とりあえずは。
せめて夜空に輝いている月のように優しく笑顔を返した。
※※※
「わたしはちょっと隠里に掛け合ってきます。あとのことはお任せください。二人は先に帰って休んでくださいね。……でも、魁斗さんはわたしが帰り次第、わかっていますよね?」
最後に恐ろしい言葉を付け加えられて、左喩に帰るように促される。
言葉に従い、帰ろうとすると、
「あっ、魁斗さん」
自分だけが呼び止められる。
えっ、ここでもうお説教? と少しばかり不安になるも左喩に近づいていく。
左喩はこっそりと耳打ちするように、口許を耳に近づけさせ、
「累さんを最後までちゃんと送って行ってあげてくださいね」
「……もちろんです」
さっき思い浮かんだことを取り消したいと強く後悔した。
なんて優しいんだろうと胸が熱くなる。
ほんとに、いつもいつも助けてもらってばかり。
感謝してもしきれないほどに、自分はこの人に――皆継左喩に助けられている。
いつか、必ず返したい。
そう強く思った。
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