第六章 生きてさえいてくれれば ②
ぐぐっと脚に力を込めて、累が一瞬にして目の前から消えた。
えっ、消えた……。
思った瞬間。
右頬が焼けるように熱くなる。その後に来る衝撃。
なにが……?
顔が勝手に左を向く。
まだ何も感じない。
声も出てこない。
そして、ようやく激痛が登って来た。
「……っ!」
声にならない音が喉から漏れ出る。
しかし、脚を踏みとどまらせ、倒れないように歯を食いしばり、どうにか踏ん張った。
殴られた右頬を手で押さえる。
痛ぇ……ほんとに殴ってきやがった。
眼球を前に向かせる。
だが、累は見当たらない。
――ガンッ、と急に視界がぶれ、天を仰いでいた。空にはどんよりと重ったるい雲が流れ、いまだに雨が降っている。雨粒が目に入り、ぽたぽたと涙のように頬を伝い落ちていく。
そして、顎に激痛。
びりびりと痛くて、衝撃は頭蓋まで届いた。頭の芯がヒリヒリ痺れてほとんどホワイトアウト状態になるが、脚を大きく後ろへ踏んで堪えてみせる。
しかし、その瞬間にもう一発。
目の前に突然現れた累が振り向きざまに腰を回転させながら、回し蹴りを食らわしてきた。超加速してきたのか、その衝撃は尋常ではなく、数メートルは軽く吹っ飛んだ。背中から勢いよく地面へと落ちて倒れる。
遠くで累が姿を現し、
「そのまま寝てなさい」
囁かれ、累は彩女のもとへ戻ろうと背中を向ける。
「……」
ダンッ! と足を大きく踏み鳴らし魁斗が立ち上がる。向けられていた背中がもう一度振り返る。
魁斗は、にかっと笑ってやった。
「まだまだ、これからだぜ……」
口内は鉄の味がする。顎がヒリヒリするし、頭がズンズン痛い。蹴られた衝撃で、今にも嘔吐しかけている。
だけど、こんな時に倒れていられるか。
絶対に――
己を奮い立たせる。
この行動は累を裏切っているのかもしれないけど。
嫌われるのかもしれないけど。
それでも生きて欲しいから。
なにより大事な命だから。
お前が、居ないとおれは――
「累……来い」
「……ふざけないで」
遠くにいた累が一瞬にして懐に潜り込んでいた。そして、それに気がつく間もなく上空へ蹴り上げられた。容赦は一切なし。
宙に浮いた体にそのままラッシュをかけるみたいに四方八方から怒涛の衝撃が体に伝わってくる。魔法のように全身に痛みが広がる。どこを、どのようにして攻撃されているのかわからなかった。
ただ、伝わってくるのは痛み。
物理的なものだけじゃなく、累の内情も吐露されているような、そんな痛みだ。
痛ぇ、ボッコボコだ。おれ……。
だけど――
そのまま、うつ伏せぎみに地面へと叩きつけられた。
ごぱぁっと、胃の内容物が吐き出される。
「もういいでしょ」
ぼやけてきている目を上へと向けて累の顔を見る。
あまりに悲しそうで、心が壊れかけている表情。
「あんたを傷つけたくないの……」
そう言って再び背を向けて、魁斗の目の前から立ち去ろうとする。
――だけど、累の方がきっと痛い。
魁斗は地面に手をついて立ち上がっていく。
ふらつく膝を無理やりに伸ばし、ぷるぷる震えている太ももに拳を叩きつける。折れ曲がった背中を起こすと、ようようと口を開いた。
「累、だめだ……やってしまったら、お前が……お前が、今度は、殺される……。だから、やめてくれ……それは、絶対にダメだ……」
ふらふらのおぼつかない体を必死に支えながら言う。
累が振り返り、瞳を潤ます。震えて歪んだ唇には、恐ろしいほどに凄まじい怒りがこもっている。そして、大きな悲しみも含めるように。
「……あんたなんか……大嫌いよ」
「――っ」
ついに言われてしまった、その言葉に大きく心臓が跳ねて、どうしようもなく胸が痛んだ。
魁斗は一度顔を伏せて、首を横に振る。
どんなに嫌われたっていいって覚悟したじゃないか……。
累からはじめての大嫌いは覚悟をしていたはずなのに。
それでも、心には鋭いガラスが刺さった。
切なくて、
気を抜けば、吞み込まれそうな不安が襲ってくる。
また、おれたちはちゃんと話しができるようになるのだろうか。累はまた名前を呼んでくれるだろうか。おれがしていることは累にとっての裏切りで間違った行動なんだろうか。
溢れ出しそうな弱音をぐっと堪えて、心の中で囁く。
だけど、おれは絶対にこいつを……。
それだけは曲げない――と、痛む左胸に手を添えて、グッと押し込んだ。
心臓が爆発するように拍動を早める。
足を大きく一歩、累に向けて踏み出す。
瞳に真っ赤な熱を宿して、深紅に染まった眼で、ぎりぎりと累を睨み返した。
自分も知らぬ間に【血死眼】を発動させる。
溢れ出てくる闘争本能。血が体中を巡り、細胞が活性化。
そして、猛烈にこっちだって怒りの感情が込み上げてくる。
傷ついたぞ、今の言葉は……どんな攻撃よりもきつかったぞ。
バカ累、訂正させてやる。
この時の怒りの理由はいたってシンプルだ。
自分の独りよがりなもの。
嫌われる覚悟はとっくにできていたつもりだった。
それでも、やっぱり累には嫌われたくなかったみたいだ。
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