第二章 お月見とハロウィン ③


 出来上がったみたらしの串団子をタッパーに詰めて、飲み物にお茶も準備した。

 「もう、のどに詰まらせてはいけませんよー」とか言いながら飲み物を用意してくれたのは左喩だが。手下げ袋にそいつらを詰めこんで準備は万端。


 玄関先で魁斗は手伝ってくれた左喩に笑顔を向けてお礼を言う。


「左喩さん、ありがとうございました」


 頭を下げながらお礼を述べると、左喩も口の端を上げてくれる。


「楽しんできてくださいね」


「はい。じゃあ、いってきます」


「いってらっしゃい」


 若妻のように手を振ってくれ、魁斗は玄関の扉を閉めた。


「……」


 左喩は魁斗の足音が遠ざかっていくと、振っていた手をゆっくりと下ろし、しばし閉じられた玄関の扉を見つめる。


 そっと、後ろ手に指を絡めながら、薔薇の花びらめいた唇をつんと棘を出すようにして尖らせる。


 そして、ひとり。ぽつりと、


 ――なーんだ。


 誰にも聞かせないように、呟いた。





 ※※※


 



 意気揚々と家を出てきたが、そういえば累と約束をしていなければ、アポイントも取っていない。月見用の団子を作ることに夢中になっていて、事前に連絡を入れることをすっかり忘れていた。歩きながらポケットからスマホを取り出し、耳に当てて電話をかける。累が出てくれることを祈る。


 ガチャ。


「もしもし」


 あ、よかった。出てくれた。


 魁斗は早速、要件を伝える。


「累、お月見をしよう!」


「えっ、なに? 突然……」


 突然のお誘いに、スマホ越しでも動揺しているのが伝わってくる。


「お前、月好きだろ?」


「……好きだけど」


「今日は十三夜だって。ニュースでやってたから、よかったら一緒に見ようと思って……それともなにか用事ある?」


 用事があるのなら、早々に皆継家に引き返すことになる。

 なんとも計画性がない。準備の仕方がばらばらだな、と自分でも思う。


 一拍置いて、累の答えが返ってくる。


「べつに、ないけど……どこで見るの?」


 どうやら大丈夫そうだ。累は来てくれる。

 ほっと胸を撫でおろす。


 魁斗は場所をどこにするか、少し考えてから答える。


「河川敷でいいんじゃないか。そこに座って月を見ながら、お団子を食べよう」


「……いいよ」


「じゃあ、またあとで」


「うん、また」


 魁斗は耳からスマホを離し、ポケットにおさめる。

 累とアポイントもとれたし、場所も決まった。

 ほっと一息ついて、山を急いで駆け下りていく。



 


 ※※※





 見慣れた河川敷の水門のそばで、すでに累は両膝を抱えて月を眺めていた。


「おまたせ」


 魁斗は軽く手を上げて近寄ると、累のすぐ隣に腰を下ろす。

 累は櫛でも梳いたのか、いつもよりも髪がさらさらと風になびいている。


「寒くないの? その格好」


 累に指摘されたのは魁斗の格好。薄手の長袖シャツ一枚で来たのだが、少し駆け足で来たから身体はぽかぽかしている。今はそんなに寒くない。


 十月になり昼はまだそんなに寒くはないが、朝と夜はたしかに肌寒くなってきた。

 そして累は、寒くないように厚手のオーバーサイズのパーカーを羽織っている。


「大丈夫、寒くない」


 答えると魁斗も累と同じように膝を抱えて、月を見上げる。


「どうしたの? 突然、月見しようって」


 不思議そうな顔で累は覗き込むように、自分の目を見つめてくる。


「ん? べつに、理由なんてないよ。先月は左喩さんと一緒に十五夜を見たから、今回は累と見ようかなって」


 それを聞いて累は眉をしかめる。半目になりながら、抱える膝をもっと深く抱えだした。目線を切って、真っすぐ前を向き直すと、ぽつりと呟く。


「二番目か……」


「えっ、なにが?」


「べつに、いいですよ」


「……なんで敬語?」


 ふん、とはぐらかされる。


 いったいなにがどうなってそんな態度になったのか、さっぱりわからないが、むっつりとふてくされているような顔。


 魁斗は言葉を付け加える。


「……それに累と、こんなふうにゆっくり過ごすのは久しぶりだろ? たまにはいいと思って」


 累は深く抱えていた膝を少し解いて、うずめ気味になっていた顔をちょっとばかり上げた。


「まあ……」


 一言だけ添え、ちらりと横目にこちらを見る。その目は鋭くない。


 態度が少し軟化したみたいだ。


 安心した魁斗は、手提げ袋の中身をガサゴソと取り出す。

 累に向けてタッパーを差し出しながら、ぱかっと蓋を開ける。


「ほれ、作ってきた。みたらし団子」


 これ見よがしに魁斗は誇らしげに言う。


「作ってきた? あんたが?」


「ああ、もちろん。……まあ、左喩さんに教えてもらいながらではあったんだけど、うまく作れたんだ。食べてみろよ」


 累はひとつ、みたらしの串団子をつまみ上げ、その団子を見つめると、そっと口元に運んでいく。ぱくり、と口の中に、団子がひとつ消えていく。


 大きな瞳が驚いたように、くりくりと開かれた。


「美味しい……」


 口元を押さえ、魁斗に振り返りながら、その大きな目を向けてくれる。


「だろ?」


 嬉しくて、思わずくしゃっと白い歯を見せて笑った。


「ほら、のどに詰まったら大変だからお茶」


 少し誇らしい気持ちになった魁斗は持ってきた水筒のコップにお茶を注ぐ。


 ほんとにのど詰まらせたら、大変なことになるからな……。


 魁斗は先月のお月見と佐々宮家で起きた苦い経験を頭の中で思い出す。

 そして、気づく。


 ……あれ? なんかおれ、最近のどに詰まりすぎてはいないか?


 ジャーッと注がれていくお茶とコップの間から湯気が立ち昇る。一杯注ぎ終えると、累にそのまま手渡す。


「……まだ、あったかいね」


 累は両手でコップを受け取ると、コクッと一口お茶を飲む。飲み終えると、ふうっと色っぽい声がため息まじりに漏れ、薄い桃色の唇からは少しだけ白くなった息がもやもやと顔の前を立ち昇って消えていく。


「用意いいわね」


「お月見だからな」


 お月見だから、という理由はよくわからないが、魁斗はもう一度誇らしげに言ってみる。


 水筒は左喩さんが用意してくれたんだけどね……とは、伝えなかった。









 二人は並んでしばらく夜空を見上げた。

 こんなふうに時間を過ごすのは本当になんだが、久しぶりな気がする。

 魁斗は夜空を見上げながら口を開く。


「丸いな月」


「うん」


 累もそれに答えてくれる。


「星もすっげぇ見えるな」


「うん」


 魁斗は星を眺めながら、ふと思う。


「なんかさ……金平糖に見えないか?」


「……は、なにそれ?」


 累はぽかんと口を少し開けたまま、こちらに顔を振り向かせる。


「知らないのか? 金平糖」


「知ってるわよ、金平糖ぐらい」


「似てるじゃん、あの星。ほら金平糖みたい」


 魁斗は星を指差しながら無邪気に言ってみるも、累は呆れたような表情を浮かべる。


 まあ、見えなくはないけど……と、隣で呟いているのが聞こえてくる。


「あんたには風流を愛でる気持ちというものがないの?」


 抱えていた膝を胡坐に変え、腕組みをして累は言い放つ。


「いや、愛でてるじゃん。ただ、ちょっと金平糖に見えてきて、食べたいなって思っただけだよ」


 魁斗も胡坐を掻き、累に言い返す。


「……花より団子ね」


 呆れたような口調が返ってくる。


「何言ってんだ。綺麗だなってちゃんと思ってるよ。お前だって、花よりお稲荷さんの方がいいだろ?」


「……そりゃ、まあ」


「ほらな、一緒だよ」


「あんたと一緒にしないで」


 そんな言葉を交わしながら、もう一度きちんと夜空を見上げる。お月様はお腹がいっぱいみたいに膨れていて、満足そうにぷかぷかと浮いていた。


 すぐ近くを流れている川がちゃぷちゃぷと穏やかにせせらいでいる。

 いくぶんか涼しくなった風が遠慮がちに二人の間を通り過ぎていく。

 穏やかな空気が流れていく。


 ずっとこのままでもいいな、ってなんとなく思ってしまう。


 存分に自然を体に感じるように、肺いっぱいに息を吸いこんで、このひと時を大事に噛み締めるように目を閉じた。











「……なんか、ほんとに腹減ってきた……累は晩御飯食べた?」


 魁斗は息を吐きながら目を開けると、隣にいる累に声をかける。


「やっぱり花より団子……食べてない」


「じゃあ……うどんでも食べに行くか?」


 累は不思議そうに首を傾げる。


「なんでうどん?」


「月見といったらお団子と月見うどんだろ?」


「なにそれ……」


 また呆れた目を向けてくる。


 べつに、お前のその目にはもう慣れてるからいいけど……。


「いやか?」


 累は首を横にふるふると振った。


「ううん、きつねうどん食べるから行く」


「……お前、今日ぐらいは月見うどん食べろよ」


 二人は立ち上がると食べ物を求め、光り煌めく街の方へと歩き始める。









 しばらく歩き進めてから、魁斗は隣を歩いている累に話しかける。


「今日はいきなりで悪かったな」


「ううん……ありがとう。お団子も美味しかった」


「そりゃよかった。……それにしてもお前って、ほんと……月が好きだよな」


 累は団子を食べた後はずっと月を瞳に映していた。時々、ちらちらと月と見比べるように、こちらを覗き見してきたが。


「なに、悪い?」


 累は魁斗に向けて湿っぽく半眼を向ける。


「いいや、悪くない。いいと思うよ」


 魁斗がそう言うと、累は夜空を見上げながら「うん」と嬉しそうに口角を上げた。そして、一度俯く。唇をわずかに結んで。少しだけ瞳に悲しみの色を浮かべながら、ゆらゆらと揺らがせる。


 それに気がついた魁斗だが、なんとなく触れてはいけないと思い、なにも聞かずに言葉を続けてみた。


「また、見ような。月」


「……うん」


 そして、累は顔を上げた。

 目を細めて、薄く、どこか儚く笑って、小指を差し出す。


「約束――」

 








 人気のない河川敷の道。

 空気は透明に澄み渡っていてみずみずしい。


 やっぱり、ちょっと寒くなってきたな……。

 

 ぶるっと身体を震わせる。

 十月の晩は思ったよりも寒かった。


 魁斗はすこしだけ猫背気味に背中を丸めて、ポケットに両手をつっこんだ。

 すると、様子に気がついたのか、横に並んで歩いていた累が一歩、こちらに近づいてくる。肩と肩が触れ合う。

 累の身体の熱が、ほのかに感じられる。

 そっと、横顔を見た。

 月明かりの淡い光に照らされた累の横顔のラインを見つめ、魁斗はなんとなく、本当になんとなく、壊れそうで儚いな、と想ってしまう。

 なぜだか、心が惹かれていってしまう感覚がした。


 美しいな、って思った。

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