第二章 お月見とハロウィン ①


 翌日。

 学校終わりに右攻と稽古で組手を実施。

 徐々に右攻相手でも、太刀打ちが出来るようになってきたのだが……。


 右攻の鋭い右脚の上段蹴りを左手の甲で捌ききると、軸足にローキックを炸裂。見事に太ももにヒットしたのだが、右攻の脚は大木のように重く硬い。魁斗が蹴った瞬間に筋肉を締めたようだ。蹴ったこちら側の足の方が痛む。右攻は体の態勢を一切崩さない。


 うわっ、こいつ、やっぱりモノが違う……。

 

 瞬間、右攻が迫る。

 魁斗の顔面の中心に連続で突きが繰り出される。魁斗は後退りながら、それを避け、体を回転。後ろ回し蹴りを右攻の胸に蹴り込んだ。右攻はその衝撃に体が飛ばされるも、空中ですぐに後ろ足を引いて着地。


 よし、まともに入った……!


 そう思った瞬間には、姿が消えるように懐にもぐりこまれており、顎を斜め上へ殴ってそのまま振りぬかれる。


「……ぐっ!」


 痛みが顎を通って脳天へ抜ける。体が宙に浮くほどの衝撃。

 その間に右攻は反動で戻ってきた体を回転させ、


「よ!」


 さらにもう一発。土手っ腹にお返しとばかり、後ろ回し蹴りを叩き込まれる。魁斗はその衝撃をまともに食らい、吹っ飛びながら背中から勢いよく床に落ちていった。


「くっ、そ……」


 魁斗はすぐに体を起こし、膝立ちになるも、ガク、と膝から力が抜け、身体の軸がふらついた。


「そこまでっ!」


 左喩の声が上がり、組手は終了。


 また、負けた……。


 内心は悔しさでいっぱいだが、姿勢を整え、相手に礼をする。

 その後はうなだれるようにして、情けない声で吠えた。


「だぁあああっ、また負けたー!」


 そんな姿を右攻に横目に見られる。そのまま、いつものパターン。お前が弱いんだよ、とか小馬鹿にされると予想していたのだが、


「……」


 右攻は顎に手を添えて、なにやら真剣に思案している。

 美しい顔立ち、そして凛々しい眉毛を真ん中に寄せるようにして、じっとこちらを見てくる。


 あれ……? 罵声が飛んでこない……。


 いつも負けた時に浴びせられる罵声に身構えていたのだが、当ては外れる。

 神妙な顔をしながら右攻がこちらに近づいて来た。


「おい、魁斗。相手が攻撃に踏み込んできたら半身を崩すな、後ろに引いている脚はつま先90度を維持。その方が体は対応しやすい。あとひるんで後ろ足に体重が乗り過ぎだ」


 唐突な言葉に、魁斗は目を瞬かせる。

 なにやらアドバイスをしてくださっているみたいだ。


「あと回し蹴りとか蹴り込みの時に、土踏まずで相手を蹴るな。自分の腹圧が下がってその後の攻撃力が下がる。蹴るなら背足か踵、虎趾で蹴れ」


「……」


 ただぽかん、と右攻の顔を眺める。


「聞いてんのか?」


 右攻の凛々しい眉が片方だけ上がる。

 ようやく素に戻った魁斗は、


「あ、ああ、なるほど……」


 あほのように返事をした。


「高田とやってみろ、気になるところ言ってやるから」


「え、あっ……うん」


 言われるがまま門下生である高田秋氏と組手を行う。後ろからアドバイスらしき声が飛んでくる。魁斗はそれを鼓膜の中に入れながら、相手の動きに順応していくと、


 あれ……?


 ――ドンッと一本取れた。


 鋭い回し蹴りが高田の顎にヒットする。高田はそのまま背中から後方に倒れた。床に倒れ込んだ高田だが、すぐに上体を起こし魁斗に対して頷いてみせる。


 付き合ってくれた高田に手を差し伸べ、立たせるとお礼を伝える。すると、


「やっぱりお前強くなってるよ」


 高田は笑いながら肩をぽんぽんっと叩き、褒めてくれた。

 はじめて一本を取れた、その嬉しさで笑顔で右攻のもとへと駆け寄る。


 さすが左喩さんの弟。アドバイスが的確だった。


 そのまま右攻とハイタッチを行おうと手を振り上げたはいいものの、


「調子にのんなっ!」


 当然のスルー。手は空中で虚しく彷徨いながら泳ぐこととなる。魁斗の興奮は冷めやらぬままだが、右攻のアドバイスは続く。


「あとは再現性だ。お前は動きが単純なのに雑すぎだから、よく動きを練り上げ鍛えろ」


 それだけ言うと、右攻は立ち去ろうとする。

 歩き出した右攻に左喩がそっと近づき、その頭をさわさわ撫ではじめる。

 まるで、小さな子供が誰かに親切をした時に褒めてあげる母親のように、優しい眼差しでその頭を撫でる。


 えらいえらい、と聞こえてきそうな手つきだった。


「な、なにするんだよ、姉さん。おれもう中学生なんだけど……」


 頬を赤らめながら恥ずかしそうに、されど嬉しそうに姉に向かって言葉を伝えている。


「いいじゃないですか、たまには」


 そんな二人の姿に、かつての自分と母さんの姿が重なる。





『――な、なんだよ母さん。おれもう高校生なんだけど……』


 優しい手つきで自分の頭を撫でる母さんの手に、心地の良い感覚と、恥ずかしさとむず痒さを感じた。




『――いいじゃない、たまには』


 そう言って、優しく微笑みを浮かべる母さんは、本当に嬉しそうな笑顔だった。あれが母さんからの最後の撫で、だった。


 

 魁斗は遠い夏の記憶をそっと沈ませると、目の前の二人を眺める。


 ほんとは嬉しいんだよな……。


 魁斗はにっこりと笑顔を浮かべ、自分も右攻を撫でてやろうと近づき、その手を頭に伸ばすも、物凄い勢いでバシンッ! と、はたき落とされた。





 ※※※





 その後、道場の片隅にて。


 ブゥンッ!!


 と、拳の先から空気砲が放たれる勢いで正拳突きが、空間を斬る。


 パァンッ!!


 と、遅れて空気が割れるような音が鳴った。


「こうです、こう。魁斗さん」


 その正拳突きを行った人物は師範代の皆継左喩。笑顔で手を突き出したまま、こちらに振り向く。


「さすが姉さんだ」


 右攻は尊敬するような眼差しで手を叩く。


「……」


 魁斗は呆気にとられ、開いた口が塞がらない。


 いや、なにそれ……? 漫画やアニメの世界の方ですか、あなたは……。 


「では、魁斗さん。どうぞ、やってみてください」


 左喩が促すようににっこりと片手を広げる。


「えっ?」


 思わず聞き返す。しかし、すぐに、


「いまの」


 どうぞ、と左喩はにこにこと笑顔をこちらに向けている。実の弟が人にアドバイスをするなどの成長を見せて、姉は上機嫌なのかもしれない。今は皆継家の姉弟揃って、自分の鍛錬に付き合ってくれている。だが、


 いや、やれったって……。


 魁斗は眉間に皺を寄せていく。


「さぁ、やってみてください。魁斗さんならできます! 風を切るのですっ!」


 左喩の瞳がキラキラと輝く。応援するように両手をぐっと握りしめて、期待を込めた目の光が魁斗の胸に届く。


 ……しょうがない、やってやる!


 魁斗は眼差しを強める。

 ふうっと息を吐き、きっ、と前を睨みつけるように見据えると、拳を構えた。


「魁斗さん……」


 期待の眼差しがグサグサと体に突き刺さる。

 魁斗は腰を落とし、右手を引いて腰に持ってくる。腰を捻って捻って力を溜める。一度目を閉じると、弓をしならせるように、しっかり力を溜めたところで、歯を食いしばると、カッと目を見開き、一気に力を開放。空間を裂くイメージでまずは腰を回転、腰を切り、真っすぐに拳を突き出す。腕が伸び切る直前に手首を返し、


「せいやぁあああああああああああああああ!!!!」


 雄たけびを上げ、正拳突きを繰り出した。

 正真正銘、全力だ。

 放たれた拳が止まる。


 ……うんともすんとも音は鳴らなかった。


「「「……」」」


 しんしんと道場に沈黙が降り積もっていく。

 その日は夜に涙で枕を濡らしたのを覚えている。


 そうして、日々は浮き沈みがありながらも前に進んでいく。

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