第六章 吸血鬼と二つの刃 ①


 あの日、落ちぶれていたきみを見つけた。

 手を差し伸べると、きみはわたしの手を取った。

 それから、きみは実直に強さを求めていた。

 きみは優しい顔をしていたけど、瞳の奥にはいつも確かな強さがあった。

 でも、時々ものすごい深いところで悲しい目をしてる。

 それが気になって、いつもしょうがなかった。

 温かいのに冷たい。

 笑っているのに、悲しそう。

 ほっとくときみは闇の中に溶けて消えてしまいそうだった。

 だから、わたしは見失わないように、

 きみの心に触れていたい。きみのことを知りたい。きみのことを見ていたいと……

 そう思ったの。





 ※※※





「優弥!!!!」


 紫の悲痛な叫び声が深い夜の闇に消えていく。

 その闇の向こう側には、坂井優弥が立っていた。


「紫……」


 呼ばれた優弥は悲しげな目つきを見せる。なんとも形容しがたい複雑な表情を浮かべながら、名前を呼んでくれたその相手の名前をか細く呼び返す。


 紫は歯を食いしばるように犬歯をむき出しにする。両のまなこで力強く優弥を捉え、鋭い眼光を放つ。


「どうしてそっちにいる、優弥っ!」


 叫ぶ声が荒ぶる。ただ、その声には怒りと悲しみ、そして困惑に震えていた。


「取引したんだ。蒼星と……」


 優弥は至極冷静に答えた。


「な、んで……?」


 紫の目がゆらゆらと揺らぎ、悲しげに曇っていく。痛みに堪えるように悲痛な顔を浮かべ、どうか嘘だと言ってほしいように拳を血が滲みそうなほどに強く握りしめる。だが、返ってきた答えは、


「佐々宮を潰すためだよ」



 ――え?



 声が出なかった。


 辺りは一瞬静まり返り、時間の感覚が失われたかのように、脳が、思考が停止する。

 ひとときの空白が落ちて、冷たい風が髪をぱらぱらとさらっていく。


 優弥は黙ったまま固まった紫に対して言葉を継いでいく。


「深海の内情を漏らしていたのは、ぼくだ」


 紫は大きく開けていた瞳をさらに広げ、そして力が抜けるように視線を足元へと落とす。


 なんで、なんで、なんで……? そんなこと……?


 困惑が全身をぐらつかせる。背筋が凍りついたみたいに冷たく感じる。息がまともに出来ない。視界が揺らいでいく。


 それでも、紫は喉の奥から声を絞り出す。


「どう、して……?」


 優弥は暗い顔で口の端だけを少しだけ吊り上げて答える。


「わからない? まあ、きみはわからないよね。知らないんだもん、何も。知らないのなら、教えてあげるよ。ぼくは十年前にきみたちに滅ぼされた坂本家の生き残りだよ」


「さか、もと……?」


 紫が呆然と立ち尽くしている後ろから、ゆっくり人影が近づいてくる。


「ねぇ、あなたならわかりますよね……当主の佐々宮俊彦」


 後ろから現れたのは、刀を握った俊彦だった。鋭い目つきで一度、優弥を見るが、


「優弥。お前……」


 そう呟き、一度瞳を落とす。


「そうか……生き残りが居たのか……」


 俊彦は一度唇を嚙みしめると、視線を上げて優弥の顔を見る。そして、紫に聞かせるように、当時を思い出しながら語る。


「十年前……。今よりも裏の戦争が激化していた頃の話だ。佐々宮と坂本は互いに対立関係にあった。派閥も違って、坂本は大陸派の家系に組み込まれていた。上からの命令が下り、佐々宮は坂本を亡ぼすために、その家を闇討ちをした。火を放ち、混乱に乗じて、坂本家の者たちを一掃した」


 言葉は淡々と放たれた。

 紫は話を聞いてさらに表情を固めていく。


 俊彦は変わらず優弥の目を見据たまま、言葉を継ぐ。


「だが、しょうがないだろう。我々は戦争をしてるのだ。こっちの事情だってわかってるだろう? 優弥」


 俊彦は紫の肩に手を置く。


「紫の両親は、その坂本との抗争で死んだ」


 紫は事実をたった今知ったように、目を見開いて勢いよく顔を上げた。見上げて、俊彦の横顔を見る。俊彦は紫の視線に目を合わせると、小さく頷いた。


「うそ……」


 気が動転したように体の力が抜けていく。力なく首を垂れて、俯く。

 優弥は紫のその姿を見ると、一瞬苦痛に歪んだ表情を浮かべるも、息を殺し、すぐに作ったような乾いた笑顔を浮かべる。どうしようもなく、ぎこちなく、不自然に。


「そうだな、知っている」


 優弥の言葉に紫は驚いたように顔を上げて、優弥の顔を見る。


 探り合うように互いの視線が交錯。

 見つめ合う。

 何も交わさず。

 瞬きもせず。

 ただただ、互いの目を見る。

 真っすぐに、心の奥底を覗き込むように。


 優弥の家族が、わたしの母さんと父さんを殺した。でも……


 紫の目には、優弥が一瞬泣いているようにも見えた。とても深く、実際には見えないようなところで、何かを叫んでいるようにも。


 真っすぐ見つめてくる瞳に、たまらず優弥は目を逸らした。己の感情を決して覗かせないように。そして、苦しげに喘ぐみたいに口を開く。


「だから、なんだって言うんだ。お前たちに、ぼくたち一族は殺され滅ぼされたんだ。だから……」


 ぎゅっと拳を固め、優弥の眼が強靭な眼光に変わっていく。


「お前たちが滅ぼされたって、しょうがない……こと、だろ?」


 再び、場の空気が張り詰めていく。黒く塗りつぶされたような目を向けて、今にも、戦闘が再開されそうな雰囲気に切り替わる。俊彦が制止を促すように口を開く。


「お前を引き取って、ここまで育ててやっただろう!」


「お前たちはなにも知らずになっ!」


 優弥は片手をあげて、振り下ろす。

 その瞬間、周りから無数の銃弾が発砲された。





 ※※※





 目を開けると真っ暗だった。

 冷たいコンクリートの床が魁斗の体を芯まで冷やしている。


 寒い……。


 魁斗はうつ伏せだった体勢から顔を上げる。

 窓の外はもはやすべてが黒色に染まっている。


「……っ」


 後頭部がズキズキと痛い。思わず手で押さえる。


「痛ぇ……」


 そして、気づく。


 あれ……? おれ、生きてる。なんで……殺されなかった?


 思ったと同時に、スマホの着信音が鳴った。スマホのディスプレイには亜里累の文字が表示。


 魁斗は、急いでスマホを持ち電話に出た。


「あっ、やっと出た。ちょっと魁斗! あんた今どこにいるのっ!? まだ家に帰ってきてないって連絡が来たんだけど…」


「累! 聞いてくれ!」


 声を張り上げ、累の言葉を遮る。


 累はただ事ではないと察したのか、しゃべるのを途中で止めてくれた。魁斗はそのまま、告げる。


「坂井優弥が蒼星と通じていた――」



 


 ※※※





 あの日のことが、鮮明に記憶にこびりついている。

 父さんの瞳が色を失っていくなか、最後に必死に言い残した言葉。




『――優弥、絶対にこの恨みを忘れるな』


 父さんは、自分の腕に縋りついて言った。




『――佐々宮だ。佐々宮がやった』

 

 涙をこぼしながら言った。




『――みんな……みんな殺された。お前だけだ……お前だけが、坂本の最後の願いだ』

 

 そして、懇願するように、




『――奴らを滅ぼせ。優弥……決して忘れるな』




 ――奴らを滅ぼせ




 言うと、息を引き取った。

 それが父さんの最期の言葉だった。

 




 ※※※





 優弥は閉じていた目蓋を開く。

 そして、目の前で繰り広げられている抗争を瞳に映す。

 

 父さん。母さん。みんな……。


 優弥は俊彦を見据える。

 必死の形相で、銃弾を交わしながら敵を斬っていた。


 わかるか……? お前らに奪われたぼくたちの恨みが。

 想像できるか? 我々の無念が。


 なにかが宿るように過去の自分が言う。


 わからないだろう、お前たちには。

 だから、味あわせてやるよ。

 これが、坂本のお礼参りだ――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る