第38話 冷え切った東雲の宮夫妻、すれ違いの果てに

さらわれた対の御方が東雲の宮を想って重いため息をついている頃、東雲の宮はどのように過ごしていたでしょうか。

もちろん、片時も対の御方を考えない時はありません。どうやら按察使大納言の妻である今北の方が、今回の失踪に関わっているらしい…とはいえ、対の御方の身分低い乳母の言い分だけを鵜呑みにし、超上流貴族の宮が動くわけには行きません。表向きは、関白の二の姫の婿君である東雲の宮と、梅壺女御の女房である対の御方とは、何の関係もないからです。

「霊験あらたかな僧や不思議なものを見通す陰陽師がいれば…


行方なき 人の住みかを そことだに 告ぐるまぼろし いかで尋ねん

(お捜しの人はここですよと、教えてくれる者をどうにかして尋ねたいものだ)」


ただひたすらそのことだけを願う宮。生きているのか既に亡き人となっているのか。

最悪の事態の覚悟はしていますが、もうこの世に居ないのなら、愛しい人の胸の内を考えても意味のないことであり、そう思っただけでさらに涙がこぼれそうになるのですが、なぜ宮が泣いているのか誰もわからないでしょう。だって宮と対の御方の縁は誰も知らないのですから。皆にヘンに思われてはと、たった独りで耐えるしかないのです。

かたわらの筝(そう)の琴を見れば対の御方の神がかった爪音を思い出し、声をあげて泣いてしまいそうです。

呆けたように自邸に引きこもっている宮に、父院と母大宮は、

「二の姫のもとへ顔をお出しなさい。関白殿は不愉快に思ってらっしゃいますよ。婿君は足に根が生えたのかと、内心お怒りですわ」

と説教の毎日。

「命短い憂き世なのに、どうしてこうも毎日説教されねばならないのだ」

とイヤイヤ関白邸に出向くと、冷たい感情をにじませた二の姫との対面です。夫の愛情は自分には向けられていないと、聡い二の姫は理解しているのでしょう。夫と妻の間に気まずい空気が流れ、おざなりな時候の挨拶さえする気になれず、宮の口から出た言葉は、

「こんなよそよそしい態度で妻に出迎えられるとね、あるまじき心(浮気)のひとつも自然と思ってしまうものなのですよ」

です。二の姫はぜんぜん悪くないのです。むしろどこの深窓の姫君にも負けないほど聡明で美しく、気品も十分なのです。けれど、対の御方の無垢な美しさや可憐さには及びもしない…東雲の宮はそこがもどかしく、二の姫と共寝しているというのに、考えることは対の御方のことばかり。愛しい人は今頃どこでどう過ごしているのだろう、つらいめに遭ってやしないか、恐ろしい思いをしていないか…涙を流して寝返りを打つ夫を、隣で眠る二の姫はどんな思いで見ているのでしょう。

気楽になりたい、好きなときに好きなだけ声をあげて泣きたいと、東雲の宮はますます自分の屋敷から出なくなってしまいました。

気の毒なのは二の姫です。

「背の君に嫌われているのは、きっと私自身に欠点があるから」

とひたすら自分を責めるばかり。姫の父君である関白殿は関白殿で、

「自慢の娘を何だと思っておられるのか。少しもこちらへおいでにならぬ。夜離れがこうも続くなど、我が家に恥をかかせるおつもりか」

と身内に愚痴を洩らしています。父君の嘆きも自分のせいと思い込んだ二の姫は、我が身の恥ずかしさにいっそう泣き沈むばかり。かといって、宮のごくたまのお越しの時に日頃の悩みを打ち明けるわけでもなくじっと我慢し、陰では海人が海から上がったように袖を涙で濡らして暮らすうち、次第に精神的な疲労や悩みが積もり積もったのでしょうか、すっかり身体が参ってしまい、とうとう枕から頭を上げられぬほどの容態になったのです。



特にこれといった病気にもみえないのに、日を追うにつれて苦しそうにするさまから、最初お付きの女房たちは、

「ひょっとすると、めでたくも御懐妊では」

と期待していましたが、苦しみ方がどうもつわりとは違う…様子を見ているうちに二の姫はどんどん衰弱していき、薬湯さえも受けつけなくなってしまいました。父君や母君は娘の容態に驚き、加持や祈祷に大騒ぎです。

妻の実家がこんな状態ですから、東雲の宮も顔を出さないわけにはいかないので、関白邸に泊り込みで姫に付き添っています。ただ、心の底から妻の容態を心配しているのではなく、それはあくまで表面上だけ。妻を看病していても、胸のうちでは行方不明になった対の御方のことを考えているのでした。

「山里の家とも長らく連絡をとっていないが、何か知らせでも来てないだろうか。ほんのわずかな手がかりでもいいのだが」

と妻の容態よりも行方不明の想い人の方が気になって気になって仕方ないのでした。

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