第26話 今上の隠しきれない恋心

五節の舞のあとは管弦の宴です。

昼と間違えるような明かりの中、名だたる殿上人や女房たちが楽器をかき鳴らし、華やかに夜が更けてゆきます。そんな中、ただ一人東雲の宮だけがしょんぼりと座っています。

「今頃御簾の内のどこかにいらっしゃるのだろうか。ああ、こんな機会はめったにないのに、騒ぎに紛れてこっそり姫の局を訪ねてみたいな。だが、後宮にすっかり慣れてしまって、私のことなんか忘れているかもしれない。今さらのこのこ訪ねて行って、『どちらさま?』なんてとぼけられたら、二度と立ち直れないよ…」

とあれこれ悩んでいるうちに宴も果て、皆が次々に退出していきますが、まわりの動きにいっこうに気づかない宮は、いつまでもその場に座ったまま肩を落として考え込んでいるのでした。

「いいよなあ気楽な人たちは。思う存分扇を打ち鳴らし笛を吹き鳴らして。


心から よそにへだてて 月影を 雲居の空に 見るぞかなしき

(距離を置こうとしていたのは私なのに、あの人は後宮の彼方。はるか遠い人と仰がねばならないのが悲しい)


私も何の悩みもなく、思う存分宴を楽しみたかったよ」

憂い顔の東雲の宮はこの上なくなまめかしく、御簾の向こうで見つめる女房たちは、

「ごらんなさいましあの憂い顔。たまりませんわ。どなたを想って、いつもあんなお顔をなさるのかしら」

とささやきあっています。

一方、東雲の宮の吟誦する麗しい声は、宴果てて局に下がった対の御方の耳にも、かすかに聞こえてくるのでした。途切れ途切れではあるけれど、風が運ぶ懐かしい人の声に、対の御方は端近で涙するばかり。山里の家に宮が来るたび、くり返しくり返し誓った愛の言葉と真剣な瞳は忘れるはずがありません。

「宮さまの愛から逃げ出すように山里の家を出てしまった。そんなつもりはなかったとしても、あの方を裏切ったことに変わりはないのだわ…」

いろいろなことが頭の中をかけめぐり、対の御方は一晩中眠れず、翌朝も「気分が悪くて」と言いつくろい、今上のお召しがあるにも関わらず、夜具をかぶり臥せったままでした。

対の御方が参上せず、退屈を持て余した今上は、

「どうしたのだろう。どう具合が悪いのだろう。ハッもしや、あまりの具合の悪さに実家に退出、などということになったら」

と不安にかられて、我慢できずにとうとう対の御方の局を訪ねてみることにしました。

そのとき、ちょうど間の悪いことに、梅壺女御の御乳母子である小弁の君という側近女房が、対の御方のお見舞いに局を訪れているところでした。

驚いた表情で畏(かしこ)まる小弁の君と、心中あせる今上、そして対の御方。

一介の女房ふぜいの局を時の帝が訪ねて行った現場を、こともあろうに女御付きの側近女房に見られては、大変まずい事態になり得る…と察知した今上は、できるだけそっけない顔で、

「対の御方の気分がすぐれないとか。お加減は如何か」

と簡単に言い、清涼殿へ戻って行きました。


小弁は梅壺に参上して、対の御方の局での一部始終を朋輩女房たちに説明しました。

「ええ、常日頃から何だか様子がおかしいなあってうすうす感づいていたのよ。今日の今上さまを拝見して、それが確信になったわ。まさか、いつもこんな風に対の御方の局にお渡りになってらっしゃるのかしら。まあ、あの美貌はそんじょそこらにはありませんからね、今上さまがご執心なさるのもムリないとはいえ、あまりにも目立ち過ぎると困った事態になりかねないわよ」

「そうよね。私たちも何となく気がついてたのよね。対の御方は琴の名手だから、それで尋常でないほどお気に召しておられるだけで、よもやそれ以上のお気持ちは…と思っていたのだけど」

「これからは、ちょっと注意してお二人を見張る必要がありそうね、ふふっ」

「あら『見張る』だなんて今上さまに対して畏れ多いわよ。うふふっ」

ひそひそ話のつもりでしたが、噂話は次第に声が大きくなるもの。近くに座っていた女御の耳に女房たちのおしゃべりは届き、

「そんな、あんなにおとなしそうな人が…でも小弁は私の乳姉妹。見てないようなウソは言わないわ。対の御方という人は、打ち解けて接してはいけない人なのかもしれない」

と思いこんでしまったのです。

困った立場に追いやられた対の御方。

「今上のお越しを、「いつもこんな風に?」と誤解したのではないかしら」

とも、

「これがもとで、同じ誤解されるならいっそ…と、今上が毎回お越しになられたりしたらどうしよう」

とも、あれこれ悩みの深くなる対の御方。それでも、参上しろとの今上のご命令を拒否できるはずもなく、いやいやながらも重い腰をあげて衣装を整え始めました。


再三のお召しの要請に、ようやく清涼殿に参上した対の御方を見るなり、今上は笑顔満開。御方をこれ以上ないくらい近くによび寄せ、いろいろお話なさいます。控えている女房たちが、

「先ほどまで、灯が消えたような淋しそうな御顔をなされてたのにね」

とささやきあっています。

一介の女房への執心やみがたく、ひたすらご機嫌をとろうとしている帝の図とは、第三者から見ると滑稽(こっけい)なもの。けれど、おおらかで素直なご気性の今上は、気持ちを隠すというのが苦手らしく、ご本人は何気ないふうをよそおっているおつもりでも、周囲の者にはバレバレ…とまでは言いませんが、カンづく者もいるのでした。

対の御方のそばで手習いをする今上は、こんな和歌を見事な乱れ書きなさいました。


なかなかに 室のけぶりを 立てそめて 心のうちは 燃えまさりつつ

(室の八島の煙のごとく、恋焦がれる煙が立ち昇るようになりました。心のうちでは前よりいっそう恋の炎が燃えているのです)


「立ち昇る煙は、周りの者にも見えているとお思いですか?」

返答できず、今上のお言葉に気づかないフリをする対の御方。そのそぶりさえ愛くるしく、しっとりと露に輝く女郎花のようで、格別な魅力に満ち溢れています。その可憐さに、今上は、

「とても平静ではいられなくなりそうだ。この愛らしさを前にしては、隠そうにも隠しきれるものではないなあ」

と夢心地になるのでした。

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