第23話 姫の心変わりを予感する東雲の宮

尼君は心苦しそうに続けます。

「あの姫が後宮住まいなど、にわかには信じられませんが、他でもない宮さまのお口から出た御言葉ですので、真実のことでございましょう。

てっきり父君のひざもとで、穏やかに暮らしているのだとばかり…おいたわしいことですわ。宮仕えはおろか、多くの人との交わりなどしたことすらない姫ですのに、どれほど窮屈な思いで過ごしているか。心配でなりません」

「いえ、それが、あれだけ気の張る後宮でも、なかなか評判がよろしいようなのです。特に琴の音色に関しては名人の域だとか。畏れ多くも今上までもが、姫の奏でる爪音を誉めそやしておられます。

どうしてここまで上手になられたのか、それに、師匠のあなたさまはどなたに学ばれたのでしょう」

と東雲の宮はかねてより不思議に思っていた、姫のたぐい稀なる琴の音色の由来を尼君に訊ねました。

「人さまのお耳に留めていただけるような、そんな音色があるわけではございません。山里暮らしは子供にとってあまりに退屈。その気晴らしにと、私がつまびく琴の音を真似して遊んでいたようです。幼い頃から、わざわざ手をとって教えたこともございません。勤行の毎日に、心の余裕すらなかったものですから。私自身も、名のある御方に教えていただいたわけでもありません。周囲の皆さまの弾き方を、見よう見まねで覚えただけでございます。褒めていただくようなものは…」

「本当に、比類なき琴の響きなのですよ」

あれこれ話し込んでいるうち、次第に夕暮れの時刻が近づいてきました。東雲の宮は重い腰を上げて帰り支度をします。


尋ねくる かひなき軒の 忍ぶ草 ぬしなき宿ぞ いとど露けき

(尋ね甲斐のない宿に生える忍ぶ草よ、主なき宿は、ますます露に濡れて…)


そうつぶやく宮への尼君の返しは、


もろともに 住みこし人を 忍ぶ草 涙の露の おかぬまぞなき

(住みなれた主の姫を想って、忍ぶ草に露がおかれるように、私もいつも泣き濡れています)


古びた軒の忍ぶ草を眺めながら、歌を交わす二人なのでした。



陽が沈む時刻にはまだ少し間がありますが、月はそろそろ山から顔を出し始めています。木漏れ日が宮の立ちつくしている足元にくっきりと差込み、木立を吹き抜ける風が枯れ葉を落としてゆきます。

秋の木漏れ日も枯れ葉の舞う音も、こんなに悲しいものだったとは…と最後に逢った時に姫が見送ってくれた妻戸に目をやると、姫の姿がありありと思い出され、宮は声を上げて泣いてしまいました。

京に戻る道中も姫の姿が頭から離れません。

(生木を引き裂かれるような気持ちでいつも別れたな…結局、私は姫に見捨てられたのだ。生きていて、こんなに悲しい思いをするとは。

思えば、こんな山の中の小さな家で、目にする人といえば老いた尼君と数人の女房のみ。若い女ならば誰しも、華やいだ後宮のほうがいいに決まってるさ。おまけに、今上が自分にご執心らしいと聞けば、もう以前の寂しい暮らしに戻ろうなんて考えもしないだろう。今上でなくとも、可憐で愛らしい姫をひと目見た男なら、誰だって夢中にならずにいられない。そんな男たちに囲まれて、私との事なんてきっと忘れたに決まっている。その証拠に、たったひと下りの手紙さえ寄越して来ないじゃないか。本当に忘れていないのなら、ここまで無関心なんてありえないよ)

自虐的な言葉が次々と頭に浮かんでくる東雲の宮。いっそ姫を憎めたらどんなに楽か。けれど姫との逢瀬、可憐な風情を思うとどうして憎めましょう。どれほどみじめな気持ちに襲われても、姫を嫌ったりすることなどとてもできない宮なのでした。

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