第14話 父按察使大納言の決意

さて、今度は小夜衣の姫の父君である大納言の話です。

大納言殿は、今北の方との間にできた娘の入内の準備に忙殺されていましたので、それ以外のことに関われる時間がなく、長い間、前妻との間にできた娘が住む、この山里を訪れる余裕さえなかったのでした。

それでも、すっかりご無沙汰になった山里が気になって、本当に久しぶりに、用事のついでに立ち寄ることになったのです。

以前訪れた時とはずいぶん家の様子が違って見えます。それはそうでしょう、時の帝の兄君であられる冷泉院の御曹司(東雲の宮)がお通いになっているのです。荒れ果てていた家もていねいに修理し、雑草だらけの庭もきれいに刈り込み、遣水や庭石も趣き深く作り直されていたのでした。家に一歩入り込んだ大納言は、うっかり上流貴族の瀟洒な山荘に間違えて足を踏み入れたのではないかとびっくりです。

家の中の女房たちは女房たちで、庭の外に大勢の狩衣姿の殿方が見えるので、てっきり久しぶりに東雲の宮がお越しになったのかと嬉し涙を流して大騒ぎしている者もいます。

家の中の騒ぎが一段落したあと、病床の尼上が大納言と対面しました。

大納言は、すっかり疎遠になっていたことを詫びつつ、互いの近況などを語ったあと、話のついでのように、

「しばらく見ないうちに、この家もびっくりするくらい改築されましたな。一歩踏み込んだとき、どこのやんごとない御方の隠れ別荘かと驚きました。一体また、どんな事情でここまできれいに修理なさろうと?」

と、尼上に尋ねました。

「ええ、先ごろ私の病状が悪化いたしまして、今日明日の命かと覚悟した折りに、これが最期の挨拶になろうかと、弟の僧都が奈良からやって参りまして、

『あなたの亡き後、姫がこのあばら家に置き去りにされて、そのまま朽ちてゆかれるのもあまりにお気の毒』

と哀れんでくださいまして、姫のために何とか人目に耐えられるように改修してくださったのです。ありがたい配慮です。これも仏のお導きであろうかと思っております」

と適当にごまかす尼上。

尼上の弟君は、南都(奈良)第一の高僧との評判で、霊験あらたかな祈祷には内裏や院でも信頼を寄せており、また人格者として宮中でもよく知られた方でした。

「なんとまあ、病に臥せっていること、まったく存じ上げませんで…うちで召し使っている少将や侍従などの女房どもは、こちらに参上しないのですか?いつもお伺いするようにと言ってはいますが」

この山里の事情に関心が薄いのを言いつくろうような言い方です。そのあと、大納言は几帳を押しやって、しばらくぶりの我が娘と対面しました。長い間捨てておいた我が娘は、光り輝くような可憐な姫に成長していました。

(放置しておいてこんなこと言うのもなんだが、すばらしく美しい姫に成長しているではないか。この風情、この容貌ならどこに出しても恥ずかしくない。たとえ今上のおそばであっても…そうだ、この姫なら入内すれば今上の御心をとらえられるに違いない。ああ、この姫と比べれば、我が自邸でお后教育している姫のなんと凡庸なこと)

大納言は小夜衣の姫を見ながら、自分が今まで入内だ根回しだと奔走していた我が家の姫が、帝に差し上げるには役不足、いかに魅力がないかを思い知らされたのでした。

尼上は訴えます。

「姫が幼いうちなら、こんな辺鄙な場所にお隠ししてても仕方のない事だと思うておりましたが、私も今日明日をも知れぬ命となりました。そんな呆けた老人と一緒に暮らしていても、姫のためにはなりますまい。姫が一人前になるのはいつになることやらとそれだけが気がかりで、後世の妨げにもなりかねません。どうかお願い申しあげます。姫をそちらの屋敷へお迎えしていただけないでしょうか。大納言家の息女として、しかるべき待遇していただきとう存じます。私ももう永くはありません。大納言さまに姫をお返しできましたら、残り少ない命を後世のために使いたいと思います」

「いや、私とて屋敷に姫を移して、朝夕世話したいのは山々なのです。何と言っても血のつながった我が娘。しかし、幼いときより尼上の着物の裾から離れず育った姫となれば、離れ離れになるということが心労につながりますまいか。日々の忙しさにかまけて訪問などもおろそかになっていますが、ずっと心配申しあげているのですよ。その真心が、こちらの方々に伝わっていないのが情けなくて…」

意味不明な大納言の言い訳ですが、要は、

『姫を引き取りたいけど入内の準備でそんな暇はないし、今北の方を抑えておく自信もない』

ということです。それを、

『尼上と離れるのは姫にとって堪えがたい事。むごすぎる』

とすり替えているあたり、あちらにもこちらにもカドを立てたくないという保身や打算が見え隠れしています。おしまいには、

『父である私の真心が伝わらないとは情けない。ああ憂き世の中よ』

と逆ギレです。

直衣の袖から顔もあげずに泣く父君を見ていた小夜衣の姫は、父君が親身になって私のことを心配してくださっている、と純粋に信じ込み、うつむいて静かに泣いていました。そのいじらしいしぐさに父大納言はたいそう心を打たれ、実の父親としてこのまま放っておいてよいのか、いややはり北の方の怒りも恐ろしい…など迷いに迷って、涙でますます袖が濡れていくのでした。

その後、姫の父親と祖母君は、今後のことを話し合って、日も暮れ始めた頃、ようやく父大納言は帰途についたのでした。



都への帰り道でも、大納言は姫のことをずっと考えていました。ちょっと見ない間に本当に美しく成長していた我が娘。露をたっぷり含んで朝日に輝く女郎花のような、清楚でみずみずしい様子は、姫の亡き母君がそのままそこに居るかのようでした。

「かつては熱心に通って、子までなした縁の深い女。無関心をきめこんで、このまま姫を放ったらかしにし続けていれば、憎まれても恨まれても言い訳できぬなあ」

なんとか良いようにしてやりたいのですが、問題は大納言家を仕切っている今北の方です。

ある日大納言は、山里の家を訪ねたことは内緒にしたまま、

「あの山深い家の老尼に預けたままの姫はどう過ごしているのかと、最近気になって仕方がないのだが。いつになったら実の父親が呼んでくれるのかと、けなげにも待っているに違いない。姫の将来を父親が知らんぷりしたままなのも、世間の聞こえが悪いだろう。

そこら辺りのことを、そなたはどう考えておられるかな?」

と思い切って相談してみました。すると今北の方は、

「んまあ、ちょうどわたしもそのことで頭を悩ませていましたのよ。あなたの方から切り出して下さって、本当にうれしゅうございますわ」

と妙に目を輝かせています。

実は、今度入内させる姫の女房で、それなりの格を持った女房がまだ不足していたので、今北の方は、小夜衣の姫を女房として、入内する我が娘に召し使わせようと思いついたのでした。

今北の方は、自分の思惑は黙ったまま、

「寂しい山の中で、どれほど心細く過ごしてらっしゃるでしょう。お気の毒なことですわ。この邸にも同じ年頃の姫はいますし、きっと退屈もまぎれることでしょう。良き日取りを決めて、こちらへお迎えして差し上げましょう」

なんと珍しいことに、今北の方が上機嫌で引き取りたいと言っている…大納言は、今北の方の気が変わらないうちに、大急ぎで日取りを決めて、小夜衣の姫を邸に迎える準備を始めました。

山里の尼君にもその旨を伝え、尼君は姫に、

「姫。こんな老尼のもとにいつまでもいるから、『たいした身寄りもない』と殿方に侮られてしまうのですよ。東雲の宮さまのおあしらい方がまさにそう。きちんとした親のもとで育っていれば、東雲の宮さまだってここまでひどい扱い方はなさいませんとも。宮さまを待って待って待ち続けて、大納言家の姫がこんな寂しい山の中に暮らすのも、たいそう人聞きの悪いことですし、ようやくお父上さまがお屋敷にお迎えしてくださることになりました」

と伝えたのでした。

父君のおそばで暮らすのはうれしいけれど、お祖母さまと離れて暮らすのは不安だし、何より、東雲の宮さまからのお便りもお越しも、今以上に難しくなってしまうのかも…小夜衣の姫は、それを考えると悲しくて仕方ありません。ひっきりなしにやってくる愛情あふれるお手紙の数々。父君のお屋敷に迎えられたら、もうお手紙すら取り次いでいただけないかもしれません。小夜衣の姫は、いっそのこと東雲の宮に事情をすべて打ち明けようかと考えましたが、

「そんな、宮さまの顔色を窺(うかが)うようなマネは恥ずかしいわ…それに宮さまは関白家のお婿さまとして、今まで以上に重々しい身になってらっしゃる。いっそ私など行方知れずになったほうが宮さまも気が楽になるかもしれない。そう、いなくなった方が、きっと宮さまの心の中に美しい記憶として残るはず。そうして、ごくたまに懐かしく思いだしてくださるのなら、それのほうが幸せかも…


しらせても かひあるべしと おもはねば 涙の海に 身はしずめつつ

(知らせたって、きっと何にもならないわ…ご迷惑がかかるだけ。私が涙の海に沈むだけ)」


と胸いっぱいにあれこれ悩んでいます。

端近に出て外の景色を眺めると、色づき始めた木の葉を揺らして秋風が木々の間を通り抜けていきます。この端近で二人並んで過ごしたあれやこれやが哀しく思い出されて、小夜衣の姫は父大納言邸へ移る決心がなかなかつかないのでした。

「お祖母さま、私、やはりお祖母さまと離れて暮らすなんて…物心つくかつかないかの幼いときから、お祖母さまにすがって生きてまいりましたのに。これから先、大勢の見たこともない人たちの間で、どうして暮らしてゆけましょうか」

小夜衣の姫は泣きながら訴えます。

「あなたの成長が私の生きる希望ですのに…好き好んであなたと離れたいなど誰が思うものですか。ただね、私の病状がこれからもっとひどくなって死んでしまったら、あなたはこの小さな家にたった一人ぼっち。どうして一人前の大人になれましょう。ようやく実の父君が本腰を入れて、あなたをお屋敷にお迎えする気になってくださったのに、今お断り申しあげたら次はいつになるやら。

ただひたすらあなたの将来のために、強いてお別れする決心をしたのですよ。かわいい姫や、それを察してくださいね」

心を強くもって諭す尼上も、袖を押し当てて泣くのでした。



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