第2話 宰相の君、恋の仲立ち
さて、女房たちのうわさ話を聞いて以来、兵部卿宮の考える事と言えば山里の姫君の事ばかり。どうにかして逢う機会を伺っています。そうこうしているうちに、姫と一緒に暮らしている祖母の尼君が体調を崩し、お見舞いに宰相の君が行くことになりました。
「心の中ではいつも案じておりますが、宮仕えが忙しく、なかなかこちらに参上することができませんで本当に心苦しく思っています。お具合は如何ですか」
と宰相の君がお見舞いの言葉を述べますと、尼君は、
「年をとりますと人恋しさが増すせいか、来ていただけないのを寂しく思っていましたよ。風邪をひいただけなのですが、年のせいか治りが悪く、こうしていつまでも床に伏せったままなのです。いえ、いつ死んでも惜しくないこの身なのですが、一緒に暮らしている姫が不憫で…私が死んでしまったら、将来もろくに考えてくださらない父君と、血のつながらない継母のもとに引き取られなければならないかと思うと、姫がお気の毒でならなくて。その気がかりだけが冥土の旅の障りとなっています」
と泣きながら訴えます。宰相の君も悲しくなって、
「ご案じなさるお気持ち、よくわかります。ですが、誰にとってもこの世は仮の住まい…お年が先行きを不安にさせているだけですわ。気をしっかりお持ちください。尼上さまがはかなくなられたら、いったいどなたが姫に愛情を向けてくれるというのです。実の父君でさえ細かな配慮はできぬというもの。それに噂によれば、父君は今北の方さまとの間の姫君を入内させるおつもりで奔走しておられるとか。そんな事情では、こちらの姫君をきちんと考えてくれるはずもありませんわ。
どうでしょう、この際、尼上さまがご健在のうちに、姫君にふさわしい殿方とのご結婚を考えてみては」
「姫に結婚?まあ、どちらの殿方がそんな申し出を?」
「どこから姫君の話を聞かれたのか存じませんが、じつは先帝の御子であられる兵部卿宮さまが、ぜひぜひこちらの姫君との交際を、と以前から熱心にお願いされているのですわ。こちらのご意向もありますからとお断りしていたのですが、未だに責め続けられて…もし、宮さまのお気持ちが真実のものでしたら、これほど幸せなご結婚はないでしょう。
たとえ父君の大納言さまに知られたとしても、背の君が兵部卿宮さまならいやな顔などするはずありませんわ」
病気の尼君は、とつぜんの縁談にひどくおどろいた様子。これ以上長居しては尼上の身体に障ると思い、宰相の君はそれだけを伝えて山里をあとにしたのでした。
宰相の君がお見舞いから戻ったと聞いた兵部卿の宮は、さっそく使者を遣わして、首尾はどうだったかと訊ねます。
「なにしろ気弱な病人のことで、急な申し出にびっくりして具合でも悪くされたらと思うとなかなかうまく話を切り出すことができませんで…申しわけございません」
との返事。宮は、待ち焦がれていた返事なのにひどくあいまいにかわされ、いっそう恋心がもどかしくも切なく燃え上がるのでした。
一方、尼君の方でも姫の乳母と相談を始めていました。
「どこに出しても恥ずかしくないほどおきれいな容貌ですのに、こんな寂しい山里で誰にも知られず埋もれさせてしまうのももったいないこと。それならばいっそのこと、宰相の君に姫をお任せしてもよいかしら」
と尼君がつぶやきますと、
「たしかに、尼上さまのご病状のことや、お父上さまのなさりようを考えますと、姫さまがいつになったら人として一人前になられるのか心配でなりません」
と乳母もため息をつくのでした。
兵部卿宮も、自邸で悶々とする毎日です。
「こんなにときめく恋は初めてだ。一度身の上を聞いただけなのに、頭から姫の面影(見たことないけど)が離れない。ああ早くお逢いしたいものだ。じれったいことよ」
と来る日も来る日も宰相の君を責めていますが、返事と言えば、
「尼上のお具合のことを考えますと、急にはとても」
ともったいぶらせるものばかり。しびれを切らした宮は、
『身の程を 思ひ知れども ほととぎす なほ初音をば いつかとぞ待つ
(我慢していますが、うれしい便りを今か今かと待っています)』
と和歌で催促してきます。「身分違いは不幸のもとと言いますし…」と臆する尼上と、「まだ色よい返事は頂けないのかい?」とせっつく宮の間に立たされて困り果てる宰相の君。和歌のお返事には、
『数ならぬ 身を卯の花に ほととぎす 初音を聞くも いかがとぞ思ふ
(ものの数にも入らぬ私なぞは返事もいたしません)
姫君はそう思ってらっしゃるのではないでしょうか』
と書きました。それを見た宮は、
「こんな他人の推測の歌より、見たいのはご本人の手蹟のお歌なんだけどなあ」
とがっかりしています。
貴い身分の兵部卿宮を、中途半端にいつまでもお待たせするのも申しわけなく、宰相の君はもう一度山里の尼君のもとを訊ねました。すると、尼君の病状が前より悪化しており、心配のあまり半病人のようになった姫君が、尼君のそばに寄り添って横になっているのでした。それはまるで、夏の朝露にしっとりと濡れそぼった女郎花のように可憐で、どんな心の強い高僧も誘惑されてしまいそうな風情です。宰相の君は中宮さまに仕えている宮廷女房ですので、高貴な女御さま方はもちろんのこと、上﨟女房たちも見慣れていますが、今目の前に横になっている姫君ほど、華奢で可憐な女人は目にしたことがありません。
美貌の兵部卿宮のお相手にはこの姫君が最もふさわしく、またこれほど可憐な姫君が寂しい山里に朽ちてゆくのはもったいないこと…と宰相の君が病床の尼君を説得しますと、尼君は、
「今とても苦しいので、そのお話はあとにしてくださいな」
とひどくつらそうに言います。
「失礼は重々承知しています。尼上さまのお身体がお苦しい時にこんな煩わしいことを申す非礼も承知しています。ですが、高貴な宮さまが、こちらの姫さまに恋焦がれ続けておられるのがあまりにもお気の毒で・・・」
宰相の君は、姫君の乳母にも相談します。乳母は、
「尼上さまの病状はごらんの通りで、尼上さま自身、もう姫さまの将来を配慮できる余裕もないありさまです。ですから姫さまの今後は、あなたさまのご意向次第となりそうですが、問題は姫さまです。尼上さまを心配するあまり、心労ですっかり痩せ衰えてしまって…」
と答えるしかないのでした。
そんなこんなで宰相の君は尼君を看病するため、二、三日山里の家に滞在することになりました。
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