第16話

 今日は金曜日。本来であれば週末を目前にして、気分が浮かれていてもいいはずの日だ。


 しかし、今日の俺は憂鬱だった。この後に控える厄介事のせいで。


 


 元々は、俺が三年生に代わって図書委員の仕事を引き受ける、それだけのはずだった。和泉に言われた通り、シフトには一人で入ろうと思っていたのだがそうは行かなくなった。


 結局、昼休みのうちに委員長が俺のところへやってきて、眠崎にも声をかけるように言ってきたのだ。


 まあ、それは別に問題なかった。そもそも、呼ばなくても図書館にはどうせ来るだろうとは思っていたからだ。


 しかし、俺は声のかけ方を失敗してしまった。Dクラスに行って眠崎を呼んだのだが、よくよく考えたら俺のような陰キャが堂々と三大美少女の一人に声をかける様子はかなり奇妙だ。


 そのことに後から気づいた俺は、案の定周囲に囃し立てられ、図書委員の関係で連絡があるだけだと弁明した。……しかし、これも見事に悪手であった。


 眠崎がシフトに入ると聞き、


「これは図書館に行かなくては!」

「転校生が眠姫さまに手を出さないか見に行ってやる!」


といったことを言い出すやつが大勢現れてしまったのだ。


 当の眠崎はというと、「ちょうど話したいと思ってた」という、火に油を注ぐような発言をして余計に俺に対する風当たりは強くなったというわけだ。話したいことってのは昨日喫茶店に行ったことだというのはわかるが、もう少し言い方というものがあるだろう。




 こうして俺の放課後のスケジュールは、わざわざ地獄へ飛び込むことに早変わりしたというわけだ。


 今更やっぱり用事があってシフトに入れないというわけにもいかず、俺は腹を括って図書館の扉を開けた。



**



 案の定……と言うべきか、先程ホームルームが終わったばかりだというのに、図書館には既に眠崎目当てで来たであろう生徒がちらほらと伺えた。


「あ、存瀬くん、お疲れ様」

「疲れるのはこれからだろうけどな」


 とりあえず、仕事は仕事。早速本の貸し借りの手続きをしないとな。


「とりあえず手続きは俺がするから、眠崎は返却本の整理を頼む」

「わかった」


 図書委員が来るのを待っていた数名の生徒が本の貸し出し手続きを済ませ、図書館を去っていった。……はずなのだが、さっきと比べて全然人が減っていない。……それどころか、むしろ増えているような気がする。


 どうしたものかと思っていた時、不意に聞き慣れた声が耳に入ってきた。


「存瀬くん、違う違う!」

「おぉ、和泉か。どうしたんだ?」

「存瀬くんが上手くやってるか見に来たんだけど、どうやらダメそうだね」

「どういうことだ?」

「あいつらは眠崎さんと少しでも話がしたくて来てるんだから、眠崎さんが手続きをしてくれないと一生居座られることになるってことだよ」

「あぁ、そういうことか」


 こいつらにとっては高嶺の花の眠崎との握手会みたいなものだと言うことらしい。


「眠崎、少し疲れたからこっち変わってもらってもいいか?」


 眠崎が無言で首を縦に振ったので、俺は場所を交代する。


 その途端、我先にと人が集まってきて、それは一瞬にしてちょっとした行列を作り上げた。


「子供向けの絵本を借りて下の兄弟に読み聞かせてやるんだ」

「俺はこんなに分厚い本を読むんだぜ」


といった調子で、眠崎に対してあまりにもあからさまなアピールをしかけていくやつのなんと多いことか。


 側から見ているだけの俺ですら辟易してしまうというのに、誰一人として相手にせず、恐ろしい速度で淡々と手続きをこなしていく眠崎にはもはや尊敬すらしてしまう。


「これで、少しは落ち着いた」

「う、嘘だろ……。あの人数が一瞬で消えて無くなるとは……」


 あっという間に押し寄せるファンを捌き切った眠崎は、全く気疲れしている様子を見せていない。それどころか、これがいつも通りとでも言いそうな雰囲気さえある。


 何はともあれ、これであとは閉館時間までゆっくりできそうだな……。そういえば和泉はいつの間にかいなくなっていたか。


「眠崎さーん。ちょっとここじゃないところでお話ししようよ」


 厄介な連中が去ったと思えば、今度はより厄介そうなやつが現れた。


 軽薄そうな笑みを浮かべるその男は、数人の取り巻きを連れて眠崎に詰め寄る。脅迫まがいの行動に、純粋に本を読むために図書館にいた他の生徒たちの間にも緊張が走る。


「仕事があるから無理」

「なら終わるまで待てばいいのかな?」

「それも無理」


 自分の誘いをあっさり両断する眠崎にしだいに怒りを覚えたようで、男は眠崎の腕を掴もうとする。


「去年もずっとそうやって相手にしてくれなかったから、今日は無理にでもついてきてもらうしかないみたいだな〜?」

「嫌っ、放して!」


 なんだかついこの間も見たような展開に俺はデジャブを感じてしまうが、今はそんなことを考えている場合ではなさそうだ。


 今の俺はアルマではないからあまり目立つような行動は取れないが、せめてあいつらはどうにか対処しなければ。


 俺が考えを巡らせていると、先程まで静かに本を読んでいた、大人しそうな男子生徒が眠崎たちのところへ近づいていった。


「彼女は嫌がっているようなので、腕を放してもらえませんか?」

「ああ?なんだお前?怪我したくないなら陰キャは引っ込んでろよ」

「ここは図書館です。ナンパがしたいなら他所でやってください」

「うるせぇ!」


 邪魔をするなと言わんばかりに、その男子生徒は後方へ突き飛ばされた。


 ここまでされて、俺も目立つようなことはできないなどと言ってはいられない。


「おい、いい加減にしろよ」

「また、陰キャがイキがってきやがるってのか?お前らは大人しくしとけ!」

「大人しくするのはお前の方だ」

「なんだと?」

「俺は図書委員だから、然るべき場所にこのことを報告する義務があるわけだが、この状況、誰が悪いかなんて一目瞭然だろ?」

「ならお前もボコボコにすれば問題ないな?」

「証人ならこの図書館に大勢いるが、これ以上暴れたらどうなるか、流石にそれがわからないほどお前らもバカじゃないよな?」


 一度冷静になって周りを見渡して、ようやく自分の立場がいかにアウェーかを理解したらしい。


「今すぐ立ち去るなら黙っといてやるが?」

「チッ……」


 男は軽く舌打ちをすると、取り巻きを連れて図書館から去っていった。


 そして、先程突き飛ばされた男子生徒が俺に話しかけてきた。


「ありがとうございます。あなたのおかげで助かりました」

「いや、君があの時動いてくれなければ、俺も動いていなかったかもしれない」

「それで……、本当に今日のことは黙っておくんですか?」

「安心しろ、あんなの嘘に決まってる。当然教師に報告だ」


 俺のその言葉を聞いた周りの生徒が、俺に拍手を送ってくる。こんな目立ち方なら、悪くはないかと思わされる。


「存瀬くん、その……、本当にありがとう」


 しかし、眠崎まで大袈裟に感謝してくるので、俺はみんなに聞こえる声で言う。


「一番の功労者は俺ではなく彼だ。よほどの勇気がないと一番に動くなんて無理だ」


 俺の言葉を聞き、周りの生徒たちも拍手と歓声で彼を讃えた。


 図書館なのに少し騒がしくなってしまったな。俺は営業モードに切り替えて、生徒たちに連絡する。


「今回のことは図書委員の方で解決しますので、皆さんは大事にしないでいただけると助かります。閉館時間まで残りわずかですので、まだ手続きを済ませていない方がいましたらお早めにお願いします」


 


 最後の締めが完全に業務連絡になってしまっているという痛恨のミスに、この時の俺は気づいていなかった……。

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