ある小説家の日記

はる

ある晩夏の日に

 とにかく辛いというのが僕の生に対する実感だった。何もかもがうっとおしく僕にしょうもないことを訴えてきて、正直もうどっか行ってくれと思う。正体不明の怒りが湧き上がってきて、もう全て消え失せろと怒鳴り散らしたい気分だった。そして、その気分こそが僕の生の大部分を占めているのだ。

 近所に蒼山という男がいて、こいつがまたうざったくてたまらない。僕が部屋でアイスを食らいながらごろごろとテレビを見ていると、釣りに行かないかなどと誘ってくる。行かないといえば、釣具を持ったまま押し入ってきて、隣に座り、一緒にテレビを見るか、こちらをくすぐってきて遊ぶので小学生かと思う。

 日照りが強い日などはそんな感じで避暑しているのだが、曇りの日などはいくらか気楽になって図書館などに行く。あそこは静かなのがいい。誰もが手元に集中しているので、なんやかやと気を遣う必要がない。元来陰気な性質なので、とにかく動きたくないし喋りたくないし関わりたくないのだ。学生時代は少ない友人と会話する他は、小説を読んでしのいでいた。とかく、厄介事に関わりたくなかった。小学生時代が一番気楽だったのではないかと時折思い返す。

 ある日、家に帰ると妙な幽霊が浮かんでいた。花瓶の幽霊である。静物も形が無くなれば移動できるようになるのだと、そこで知った。花瓶の幽霊はうろうろと家を巡った後、箪笥の上が落ち着いたのか、そこから動かなくなった。蒼山はいいところを見つけたな、などと可愛がっている。そんなもの、ほっておけばいいものを。

 数千円するコップを割ってしまった。すると破れ目からたましいのようなものがゆるりと顔をもたげて、これもやはり幽霊になってどこかへ飛んでいった。妙なものが見えるようになってしまったと思う。しかしどうしようもない。そのままにしておく。日常の些事にかまけているうち、また見えなくなった。

 僕はアパート住みなのだが、隣はお節介な年配の女性が住んでおり、そこに虎猫も住み着いている。この虎猫、半ば野良のように自由自在にあちこちを練り歩く。前はうちのベランダに飛び乗り、いわしなんかをねだるから、やむを得ず咥えさせてやった。やつは満足げにしゃぶると、どこかへ行ってしまった。現金なやつだと思う。

 僕自身、あまりに出不精なのでこれではまずいと思い、散歩に出ることがあるのだが、この前は真顔で一輪車に乗るおじさんとすれ違ったことがあった。顔が昭和天皇に似ており、なぜか分からないが強い納得感があった。かの天皇もこんな感じだったのではないか。世界は案外共通事項が多いものだ。無論例外はあるが。

 家で小説を書いていたら、手元の電気がついたり消えたりした。どうやら電球の寿命が来たらしい。来世はLEDあたりになれたらいいなとエールを送る。僕の執筆の一助ということで徳を積んだだろう。知らないが。せいぜい頑張ってほしい。物に来世があったらの話だが。

 妹が来て、物のない我が家に難癖をつけてきた。お前のような欲望がないのだよといえば、黙り込んだ。好きなアイドルに金をつぎ込んでいる自覚はあるのだろう。僕からしてみれば、そこまでして熱中できるものがあるのはある意味羨ましいことではあるので、別に他意があったわけではない。そう言うと、彼女は頷いた。

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