第23話

 視線を正面に戻すと、巫女衣装の綺麗な女性が目の前に立っていた。

 蛇と桜の模様が入っている薄い上着のようなものを着てる。胸元で緋色の組紐で留められてるみたい。髪は後ろで一つ結びにされてて、和紙で包まれてる。頭には色々な装飾の施された冠が乗っている。あたしには全く名前がわからないわ。巫女さんって前髪が目にかかっちゃいけないんじゃなかったかしら? おばあちゃんが昔言っていたような気がする。ちょうど左目の上あたりに花の飾りがついてるんだけど、邪魔じゃないのかしら。

 それに、この人、なんだか昔会ったような気がする。

 あたしが小さい頃、夏祭りでお母さんとはぐれた時に助けてくれた子。その子が成長したら、きっと、こんなに感じになると思う。

 それなら、あの時のお礼を――……。

「きゃはっ、そんなに僕が綺麗?」

「ふぇっ!」

「そんなに驚くことないでしょ。僕、さっき舞の奉納をするように永心にお願いされてたんだからさ。まあ、僕があまりに綺麗過ぎて見惚れちゃうのも仕方ないよね。それは仕方ない。でも、ぽかーんと口を開けられてちゃねェ。そろそろ話しかけたほうが良いかなァって思うよね」

「弐色さんなの?」

「僕以外の何だと思ったの?」

「……ねえ、弐色さん。夏祭りの時に、迷子を助けたこととかない?」

「夏祭りの時に? それならあるよ。それこそ随分と前の話になりそうだけどね。それがどうかしたの?」

「ううん。ちょっと、確認したかっただけ」

 クスクス笑う笑顔にやっぱり見覚えがある。ああ、そっか、この人だったんだ。

「ちなみにこの髪はかつらだよ。正真正銘、天然素材の人毛。こんなにサラサラの髪もなかなかないよ。上質」

 聞いてないけど、弐色さんは説明をしてくれた。

 夏祭りの時に助けてくれたお礼を言いたかったけど……昔のことは話したくないのかしら? そもそも、助けた相手があたしじゃないかもしれないわね。きっと、顔とかも覚えてないだろうし。ここに迷い込む人はたくさんいそうだし。それなら、この話は思い出のままにしておこう。今から何をするか聞いておこうかしら。

「今から何するの?」

「舞の奉納だよ。僕は月に三度、舞を奉納するんだ。勿論、大祭の時も僕が舞う。僕は厄災の巫女だから、神に心身すべてを捧げる事ができる。それに、あのバカのヘッタクソな舞を見てらんないでしょ。ここでは雅楽の演奏は無いけど、僕の美しさに見惚れたら良いよ」

 弐色さんはどれだけ優子さんのことを嫌ってるのかしら。あと、厄災の巫女って何だろう?

 そんなことを考えていると、弐色さんは少し高くなった舞台に上がり鈴と扇を手に取った。あれは神楽鈴かぐらすず蝙蝠扇かわほりおうぎって名前だったかしら。昔教えてもらった記憶は曖昧。おばあちゃんはあたしに色々教えてくれてたんだけど、あたしはほとんど覚えてない。なんて悪い孫なんだろう。

「お集りの皆々様。うちは、にしきって言います。織物と同じ漢字の錦な。どうぞ遠くにおる人も近くに来ちゃって。初めて見る人がおるなら前を譲ってあげてな。そんでは、よしなに。……願うところは、家内安全、身体堅固、五穀豊熟、商売繁盛、万難退除ばんなんたいじの守護に叶い、幸わえと、結願成就の御座なれば、ご機嫌伺い、託宣御神つかまつる様を平らけく安らけく聞こし召し給いて、何事も願いのままに感応かんのう成就あらしめ給えとかしこみかしこみみ申す」

 声が変わった。完全に女性の声。

 周りを見る。扉の前には永心さんがいた。みことちゃんと彩加ちゃんも一緒。ということは、お授け処は優子さんだけがいるのね。大丈夫なのかしら。

 ――しゃんっ。

 神楽鈴が鳴る。たんっ、と強く床が蹴られる。

 ニュースで見たのだと、巫女さんがもっと静かに淡々と動いていた印象があるんだけど……『彼女』の動きは、とても激しく見える。

 赤色に彩られた爪先が跳ね、巫女衣装の袂が翻る。

 飛び跳ねてから回転をしてみた後に、片足を前に伸ばし、もう片方の足は膝を床につけて着地……まるで競技体操を見てるような気分にもなる。

 音と共に錦さんが舞う。舞と共に音が鳴る。

 それは、美しい舞だった。

 それは、躍動感のある舞だった。

 それは、心を揺さぶる舞だった。

 それは、魂を掴むような舞だった。

 それは、物悲しさまで感じる舞だった。

 ――しゃんっ。

吐普加美依身多女とほかみゑひため吐普加美依身多女とほかみゑひため吐普加美依身多女とほかみゑひため寒言神尊利根陀見かんごんしんそんりだけん

 錦さんが舞いながら祝詞のりとをあげる。

 つま先立ちで床をたんっ、と強く蹴り上げる。

 床を強く踏みしめているから、少し大きな音が鳴り響く。

 よく見たら、右足が出た時は右手が前に出てて、左足が出た時は左足が前に出ていた。

 錦さんは何度も右に回ったり、左に回ったりの動きを繰り返していた。

 時折、床を踏みしめるように強く蹴って、高く跳ねる。

 その瞬間を捉えようとカメラをかまえてる人の姿も見えた。こういうのって撮影して良いの? とはちょっとだけ思う。

「荒神様のまします道にあやはえて錦を映えてとくとふしゃまる」

 舞ながらも錦さんは歌う。

 音程があってるかどうかはわからないけど、あれだけ動いているのに息切れを一つもせずに歌えるのが素直に凄いと思った。

 旋回運動は激しさを増していく。右に、左に、同じ動きを繰り返しているはずなのに、なんだか別の動きを見ているように思ってきた。手に持っている物が神楽鈴から御幣ごへいに変わっているし、扇も開いたり閉じたりしている。

 舞台の端から端まで、錦さんは移動して回る。

 四方、じゃなくて、五方に向かって同じような舞を繰り返していたと思う。もう一時間は優に越えていると思う。

「祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え」

 ――しゃんっ、しゃんっ。

「あまりの美しさに見惚れていた」

 誰かが呟く。

 その舞はひたすらに美しくて、あまりの美しさに思わず涙を流してる人までいた。はらはらと涙を流しながら、両手を合わせて拝む人もいた。

 後には自然に拍手と歓声がわいていた。誰もが『彼女』をたたえていた。

「どうも、おおきに」

 にこり、『彼女』は笑う。屈託のない美しい笑顔。

 仮面のような笑顔じゃなくて、心からの笑顔みたい。

 今まで見た中で一番綺麗な笑顔だった。ぼーっと見惚れてしまうような美しい笑顔だった。

 錦さんはあたしの前に来ると、手を掴んで、そのまま扉の向こう側まで歩く。

 扉の向こう側の廊下には、永心さんとみことちゃんと彩加ちゃんがいた。

「にーさま、すっごくきれーだったー!」

「きゃはっ、おおきに」

「弐色あにさま。今日も美しい舞でした!」

「今は錦あねさまやわ。みこっちゃん」

「はい。失礼いたしました!」

 錦さんは駆け寄ってきた彩加ちゃんを抱き上げる。

 こうして見ると、お母さんと娘のようだわ。葛乃さんともよく似てると思う。美形の一家なのね。

「で、菜季はどうだった? 僕の巫女神楽みこかぐら

「え、え、え、えーっと、その、声はどうなってるの?」

「は? 僕は舞の感想を聞いてるのにどうして声のことを聞いてくるのさ。空気読みなよ。胸にばっか栄養行って考えらんないの?」

「な、何よ! 舞はすごく綺麗だったわよ! でも、声が気になるんだもの!」

 今の声は、いつもの色気を含んだ男性のものになっている。

 あたしは舞よりそっちが気になってしまった。錦さんは溜息を吐く。

「種も仕掛けも何も無い。ちょっと声帯が自由利くだけなんやわ。うちはこんな声も出る。あんたはどっちのうちが好き?」

「貴方って京都の人なの?」

「それ、今はどうだって良いでしょ」

 錦さんは頬を膨らませる。

 本当に綺麗なお姉さんなんだけど……普段も綺麗なお兄さんだと思うんだけど、この人、性格が最悪なのよね。難点はそこだと思う。あたしが言うのも失礼な話だけど。

「永心はどうだった? うち、綺麗やった?」

「錦ちゃんの舞は、相変わらず綺麗で美しく、魅力的ですよ」

「だったら、うちを――」

「みこと。優子の手伝いに戻ってください。彩加ちゃんもすみませんがお願いします」

「はーい!」

「承知しました!」

 みことちゃんと彩加ちゃんは廊下を早歩きで去っていった。

 本当にしっかりしている子よね。さすがって感じがするわ。

 永心さんは錦さんに向き直す。

「錦ちゃんもお願いします」

「何でうちも手伝わなあかんの。うちは今日休みやって言うちゃったやないの。そもそも、あの人の手伝いなんてしたくないわ」

「それじゃあ、こうしましょうか。私には、貴女が必要なんです」

 永心さんは錦さんの腕を引いて、腕の中にすっぽり収めた。

 なんだか見てはいけないものを見てしまったような雰囲気がするけど、さっきまで子供のように甘えてたから、親子だと思えば別におかしくないと思う。

 だけど、今は巫女服で女装してるってことになるから、ちょっと見てはいけないような感じになっている。

「…………わかったわ。手伝っちゃったらええんやろ」

「錦ちゃんは良い子ですね」

「うちは良い子やわ。昔から……」

 錦さんを離すと、永心さんは廊下を行ってしまった。

 あたしは錦さんを覗き込む。少し頬が赤らんでいた。

「にし――」

「聞いてのとおり、僕、今からお勤めするから、キミはどうする?」

「へ?」

 また声が戻っててビックリした。さっきまでのが嘘のよう。

「案内はここで終わり。夕方になれば、こやけが僕の家に迎えに来ると思うよ。それまでキミはどうする? 落ち着いたら迎えに行ってあげるよ」

「それなら、図書館に行って良い? どんな本があるか見てみたいの」

「図書館ね。ああそうだ、これ持って行って」

 コウモリの形をした和紙があたしの手に乗る。何かしらこれ。前に見たことあるような気もするけど。

「これは式符しきふ。式を打てば使役することができるよ。キミには無理だけど。きゃははっ!」

「何よ!」

「持っておけば良いことがあるかもしれないし、無いかもしれない。とりあえず持ってて。次に会う時は、だから、見惚れる心の準備をしておきなよ」

「もう十分よ」

「きゃはははっ。そうかもね」

 廊下を歩いて神楽殿の出入り口にまで行く。足を止めて、『彼女』は笑った。

「ほんなら、うちはここで。お勤めきばってきます。ばいばーい」

「ば、バイバイ」

 外に出る。お授け処に人が並んでいた。錦さんが彩加ちゃんの隣に座ると、更に人が押し詰めてる。あのままあそこに座っちゃうのね。

 そういえば、何で織物の錦と同じ漢字って名乗ったのかしら? 芸名とかかしら?

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