第22話
そろそろお昼になりそうな頃。
お腹も空いてきたけど、あたしは石段を上っていた。
この神社はもう少しバリアフリー化するべきだと思う。必死に上りきると、弐色さんが鶏と
「やっと来たね。それじゃあ、行こうか」
「ちょっと休ませてよ」
「仕方ないなァ」
あたしはベンチに座る。ここにベンチを置いた人は天才だと思うわ。
座っていると、人が次々石段を上りきってそのまま境内へ向かっていくのが見える。慣れかしら、皆疲れてないみたい。
それとも、死んでるから疲れないとか? でも、たまに息切れしてる人も通るし、疲れるのよね、やっぱり。
「にーさま! みこっちゃん、にーさまだよ!」
「あれ、弐色あにさま。今日はお休みなのでは?」
「休みだけど、里の案内をしているんだよ。菜季。こちらは、
「初めまして。ご紹介に預かりました金刺みことと申します」
「みこっちゃんはね、すごいんだよ。へびみこさまなんだよ!」
「みぃは、そんなにすごくないですよぉ!」
彩加ちゃんはみことちゃんにくっついている。とても仲が良さそうだわ。
みことちゃんは、紅白の巫女衣装がとても似合っていて可愛い。ポニーテールに白蛇のようなシュシュが巻かれている。横の髪にも蛇が絡みついているかのような飾りがついている。小さいのに凄く礼儀正しい。幼稚園児くらいかしら? もしくは小学生? どっちなんだろう。
「小さいけど、
「え、ええ」
弐色さんはあたしの耳元でそう囁く。耳元で言われるとぞわぁっとするのよね。この色気混じりの声は、あまり近くで聞いちゃいけないと思う。
「で、みこっちゃん。優子様はいる?」
「はい。お母様は
「じゃあ、
「え。神楽殿に行くんじゃないの?」
「……優子様に会いたくないんだよね」
弐色さんは凄く嫌そうな表情をしながら言った。
本当に会いたくないみたい。これは絶対に嘘じゃないわ。何でそんなに嫌なのかあたしにはわからない。
優子さんって、お茶とお茶菓子を持ってきてくれた人よね。
あの時は確か「幽霊から食べ物を――」って話だった。それなら、優子さんは幽霊なのかしら?
「陽光神社は広いからね。のんびり参拝すると五十分くらいかかるよ」
「そんなに?」
「そんなにだよ。みこっちゃん。永心に僕が来てること伝えておいてくれるかな? あ、あと、彩加は夕方に送るからって伝えておいて」
「承知しました」
「それじゃあ、菜季はもう休めたよね? 行くよ」
「う、うん」
あたしはベンチから立ち、先を歩く弐色さんの後を追った。
目の前に広がるのは、大きな森。清々しい空気が
「ここは
「手を洗えばいいの?」
「手だけじゃないよ。心を洗い浄めるんだ。まず右手で
あたしは言われたとおりに、左手、右手、口、左手と浄めた。ハンカチを渡されたので、手を拭く。可愛い猫の刺繍が入っている。弐色さんの趣味が全くわからない。
「これは第一鳥居。石段にも鳥居があったけど、あれはまあ、オシャレみたいなものだと思ったら良いよ。ここからが神様の住まう場所――神域の入り口だよ。ちゃんと『お邪魔します』という思いで一礼してからくぐってね。本当はここで祝詞でも奏上するんだけど、キミには無理だから許してあげる」
鳥居は素朴で直線的なフォルムをしている。あたしは弐色さんに言われたままに一礼する。
お邪魔します。
この前はしなかったわ。あたし、失礼にもほどがある。疲れていたからってすごく無礼なことしちゃってた。
進んでいくと、左右の森が次第に深く、濃くなっていることに気付いた。
湿り気のある森の空気に肺が浄められたような気分。そこに、再び大きな鳥居が立っていた。こちらは苔むしたようになっている。
「これは第二鳥居。説明しなくてもわかるよね。……うーん。そろそろ磨こうかな。でも、ちょっと苔むしてる方が良い感じするよね」
ここの掃除は弐色さんがしているのかしら。ちょっと気になる。ほど良い苔の付き方は、普段の手入れのお蔭みたい。
第二鳥居をくぐって、すぐ左手にある建物を無視して弐色さんは進んでいった。
何でいきなり無視するの? と思って見ると、お授け処があった。優子さんがこちらに手を振っている。あたしは振り返す。弐色さんは無視して先に進んでいく。
「ねえ、弐色さん。優子さんが手を振ってるわよ」
「知ってるよ」
「何で振り返さないの?」
「あのバカにかまってらんないよ」
いったいどういう関係なんだろう。ずっと見ていると、みことちゃんと彩加ちゃんがお授け処に座った。いつの間に追い抜かされたのかしら。
そして、あたしは弐色さんに置いていかれてたので、小走りで追いつく。木漏れ日の射す境内は凛とした空気が満ちている。
「ここは、拝殿。奥が本殿だよ。神社の中で最も神聖な場所。風にひらめく正面の
「へえ」
「あんまり興味無さそうだね」
「ちょっと難しいわ」
「そうだなァ。キミの弱い頭でもわかるように言うと、直接見られたら恥ずかしいってことかな」
そんな説明で良いの? わかりやすいけど、なんだかそれはそれで良いのか心配になってしまう。
白い石がじゃりじゃり音をたてている。
そういえば、弐色さんは高下駄なのに歩きにくくないのかしら。と思ったけど普通に歩いてる。それにしても、洋服に高下駄って前衛的なファッションになってるわよね。
「ここの白い石は
弐色さんが指さした先には、黒い石が敷かれていた。
石にでもそんな意味があるのね。知らなかったわ。
彼はなんだか楽しそうに説明をしてくれている。楽しそうにされると、こっちまで楽しくなってくる。
内容は正直あまり理解できてないんだけど、とても楽しい。そういえば、
「注連縄は無いの?」
「ああ。ここでは、神聖な場所を示すものとして
よく見ると、鳥居に榊が括り付けられていた。あの葉っぱにそんな意味があったなんて知らなかったわ。
あたし、神社のこと全然知らないのね。
ちょっとは知っておいたほうが今後のためになりそう。
「で、ここが神楽殿。見てのとおり、お授け処はここにあるよ。ここは参拝者の祈祷、神楽の
オッシャレーかは、ちょっとわからない。
でも、確かに綺麗な造りをしてるとは思うわ。きっと手入れが行き届いてるんだと思う。
「そういえば、お神札の数え方ってわかる?」
「え? 一枚二枚?」
「駄目だよ。お神札やお守りは、一
「へ、へえ。そうなのね」
どうして神社については丁寧に教えてくれるのかしら?
今までとは全然違う。すごく真面目に説明してくれてると思う。
「弐色くん。なんだか個性的な服装ですね?」
「ああやっぱり永心もそう思う? これだと僕の可愛さが半分以下になっちゃうよね。着替えにきたんだ」
神社の案内が目的じゃなくて、着替えが目的だったの?
それにしては、すごく長い間説明されたと思う。
弐色さんはあたしを置いて社務所に行ってしまった。永心さんがあたしを見て微笑む。
「弐色くんの相手をしていただきありがとうございます。本当は寂しがり屋で心の根の良い子なんですが、どうも他人との距離感が掴めないようで……。菜季ちゃんは上手い事かわしてくれてるんですね」
「あ、あの、永心さんは、あたしのおばあちゃんのことを知っているの?」
話の腰を折っちゃうような事を聞いてしまった。
会えたら聞いてみようと思ってたから、つい、声に出してしまっていた。永心さんはやわらかい笑顔で口をゆるゆる動かす。
「ええ。知っていますよ。その昔、私が池にいた頃、千代子は私の世話をしてくれたものです。弐色くんにお守りを渡すように頼んでいたのですが――」
「え! 永心さんは、弐色さんにお守りを預けたの?」
「ええ」
話が違う。どういうこと?
弐色さんは「永心からのお守りなんて嘘だよ。アレは僕が作った強い呪いを込めたお守り」と言っていた。
あれが、嘘だとしたら、何がどうなってるの?
「おばあちゃんは……あたしが帰った日に、亡くなったの……」
「それは……お悔やみ申し上げます」
「あ、ありがとうございます。それより、あたしは弐色さんの言ったことが気になって……」
「弐色くんは何を?」
あたしは今までの事を永心さんに説明する。
あの日の夜に何があったかを全部。ヘタクソな説明だって、わかってる。
それでも、永心さんは頷いて聞いてくれた。そして、少し間を空けて、こう答えてくれた。
「弐色くんは、貴女を傷つけたくなかったのかもしれませんね」
「どういうこと?」
「夜の戻り橋では、生きているものは息を止めて橋を渡りきらなければなりません。あそこには凶悪な霊や妖怪の類が潜んでいるんです。息をすると生きている――つまり生者と認識されます。悪霊達は生者を捕って食らい、新たな生を得るんですよ。しかし、貴女はお守りを二体持っていたので難を逃れました。一体は弐色くんの説明のままに呪い返しの作用がある物。こちらは悪霊や呪いを力として取り込みます。一体は、私が作った物。このお守りは悪霊や呪いの力を防ぐことができます。この二体は一対として効力を発揮することもできるのですが、一体が力を失った瞬間に――後はもうわかりますね?」
「そうだったのね……」
「弐色くんは、嘘吐きなので、貴女が自分を責めないように嘘を吐いてくれたんですよ」
永心さんは微笑みながらそう言った。
そこへ、神主衣装の弐色さんが戻って来た。弐色さんは永心さんとあたしを交互に見て首を傾げた。
少し可愛いと思ってしまったあたしは、だいぶ毒されてきてると思う。顔の綺麗なお兄さんが首を傾げてぽかーんとしてるんだもん。
「永心、何でそんなに楽しそうなの?」
「貴方がいないからですよ」
「えー! ひどーい! どうしてそんなひどいこと言うの? 僕、泣いちゃうよ?」
「どうぞご自由に」
「ううっ、ひどい! ねえ菜季、この蛇神様すっごくひどいと思わない?」
「え、えーっと……」
どう反応するのが正解かわからない。
永心さんの腕を引っ張ってる弐色さんを見ると、父親と息子のように見えてきた。そういえば、弐色さんからお父さんの話を一度も聞いてない。……聞いちゃいけないわよね。いつか聞ける日が来たら聞くことにしよう。聞かないほうが良いかもしれないけど。
永心さんは弐色さんの頭を撫でていた。弐色さんは目を細めて喜んでいる。……子供扱いして甘やかすっていうのは、間違いじゃないのね。
「弐色くん。神社の説明はもう終わったのですか?」
「
「良い子にしてたら好きですよ」
「わかった。じゃあ菜季。行くよ。こっち!」
「え、え、え、ちょっ、ちょっとー!」
弐色さんはあたしの腕を掴むと走り出した。
あたしの足じゃ追いつけない。すぐ転んだ。石で膝を打って痛い。血が滲んでいる。
振り向いたら永心さんが苦笑いをしていた。子供を優しく見守るお父さんって雰囲気がする。
弐色さんはあたしの前にしゃがむ。少し前にしたように、指で星を描き、何か呪文のようなものを唱えてから人の形をした紙で傷を撫でて、それを飲みこんだ。お腹を壊さないか心配だわ。
あたしの傷は消えた。弐色さんはあたしの手を引っ張って立たせてくれると、服の埃を掃ってくれた。
態度がさっきまでと全然違う。ここまで親切だと薄気味悪い。
「ごめんね。胸が邪魔で走りにくいよね」
「うっ」
前言撤回。態度は同じだったわ。相変わらず何か失礼なことをぶち込んでくる。
今度はゆっくりと歩いて移動する。少なからず参拝客もいるので、弐色さんにお辞儀していた。弐色さんもお辞儀を返す。そうよね。神主の服を着ているんだもの。神主なのよね。って、弐色さんは拝み屋――陰陽師だって言ってたわよね。
「ねえ、弐色さん。陰陽師って何するの?」
「前も説明したよ。お祓いとかするのがお仕事」
すごく投げやり。図書館で調べてみようかしら。きっとそんなこともわかる本が置いてあるわよね。
石をじゃりじゃり鳴らしながら歩いてると、前方に鳥居と大きな川が見えた。奥には山が続いている。
川の前には玉砂利の敷かれた道。参道っていうはず。これはなんとなく知ってる。参道の左右には庭園が広がっていた。芝生の上に松が植えられている。
「ここが
「弐色さんが掃除してるの?」
「そうだよ。神社のお勤めはだいたい掃除なんだ」
綺麗だとは思っていたけど、掃除が仕事なら納得できる。
大きな川に架かっている橋は木が組まれたもの。渡ろうとしたら、弐色さんに手を引っ張られて、あたしは戻された。
「この橋は長さ百一・八メートル、幅八・四メートルで、聖界と俗界の境だよ。ここから先は俗界。今渡るのはやめておいた方が良いかな」
「俗界って何?」
「キミが元々いたところ。この橋の先も気まぐれでね、何処に繋がってるかわからないんだ。けど、こちらからも参拝客はいっぱい来るんだよ。ほら」
弐色さんの声で橋の向こう側を見ると、人が歩いてきてるのが見えた。誰もが笑顔で楽しそうだ。
「あれが観光客。夕焼けの里の貴重な財源、かな。戻るよ」
弐色さんについて歩く。境内に参拝客が増えていた。お昼時になると増えるのかしら。
そういえば、きちんと参拝してないわ。これだけ境内を説明してもらってるのに。
「ねえ弐色さん。あたし、お参りしてないわ」
「ああ。ここは二拝二拍手一拝だよ。見てて」
弐色さんは、拝殿に進むと姿勢を正して、背中を真っ直ぐにしたまま腰を九十度に折って、二回深い礼をした。その後、胸の高さで両手を重ね、少し右手を下にずらす、肩幅程度に両手を広げて二回拍手をして、ずらした指先を戻して、再び深い礼を一回した。
「これが二拝二拍手一拝だよ。深いお辞儀を
「わ、わかったわ」
お願いをする所じゃなかったのね。あたしの神社の知識は色々間違ってたみたい。
あたしは、弐色さんの真似をする。これであってるわよね?
いつの間にか参拝客が更に増えてて、一斉に同じ動きをしていた。長々何かを呟いてる人もいる。
「『何ごとのおはしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる』って
「ど、どういう意味?」
「誰がいるか知らないけど、恐れ多くて、ありがたくて、ただただ涙が溢れ出て止まらないってこと。ちなみに、ここのご祭神は蛇神――永心だから、彼に話しかけてもお参りになるんじゃないかな。何かお願いをしたいなら、直接言ったほうが早いよ。叶えてくれるかどうかは知らないけど、『お嫁さんになりたい』って女性の願いは叶えてたね……。何であのバカをお嫁さんにしたんだろ」
これは、嘘じゃないわよね?
神社については本当のことしか言ってないと思う。ここで嘘吐いたら永心さんに怒られそうだもの。
それにしても、今の、最後だけ声が小さくなったのはどうしてかしら。
神楽殿に戻る。優子さんが忙しそうにしていた。
「手伝わなくていいの?」
「あれぐらいなら、みこっちゃんもいるし、なんでか彩加も手伝ってるからなんとかなるよ。ここに来る人は待たされて怒るような人でもないし」
みことちゃんも彩加ちゃんも一緒になって手伝ってるけど、見るからに人手が足りてなさそう。あたしが手伝うのもおかしいし、ここは弐色さんが手伝ったほうが良いと思うんだけど……。
「ああ、戻って来たんですね。休みだとは伝えましたが、舞の奉納をお願いしても良いでしょうか」
「きゃはっ、良いよ。他でもない永心のお願いだからね」
弐色さんはウキウキしながら神楽殿に入っていった。
舞の奉納ってことは踊るの? 神社で巫女さんが舞をしてる姿をニュースで見た事がある。何かのお祭りの時だったと思うんだけど、今日はお祭りなのかしら? あたしが知らないだけ?
近くを飛ぶ虫の羽音が聞こえる。静かだけど、自然の音が少しやかましいくらい。暑いんだけど、木陰はとても涼しい。神楽殿を取り囲むように人が集まり始めていた。
やっぱり何かお祭りがあるってこと?
「永心さん、今日って何かお祭りがあるの?」
「弐色くんには月に三度ほど舞の奉納をしてもらうんですよ。それがたまたま今日だったということです。うっかり休みだと伝えてしまいましたが」
永心さんは頬を掻きながらそう言う。眼鏡の奥の目がとても優しい。神様だとわかっていても、なんだか親しみやすさがある。普通に神社にいる神主さんって感じ。
「
「テレビのニュースで見たくらいで……実際には一度も」
「でしたら、こちらへどうぞ。あの子の舞は本当に美しいので、是非近くで見てください」
あたしは永心さんに案内されるまま神楽殿の中を歩く。お授け処の裏を通って、大きな広間に出た。
正方形に近いような舞台は壁も無くて、少し高めに造られている。真正面には柱が無くて、拝殿と向かい合わせになっていた。神様に舞がよく見えるように、とかそういう理由で柱も無いのかしら? 気が付くと周りにたくさん人が集まっている。
あたし、こんな所に座ってて良いの? 神社の関係者でもないのに!
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