第18話

「菜季。ごめんなさいね」

「おばあちゃん!」

 おばあちゃんが居間でお茶を飲んでいた。

 あたしはおばあちゃんに抱き着く。触れる。おばあちゃんの優しい香りがする。

 おばあちゃんはあたしの頭を優しく撫でてくれた。どうしておばあちゃんがいるんだろう? 骨壺を見ると、蓋が開いていた。

「先に教えてあげれば良かったのね。知った方が貴女は苦しむと思ったの。知らない方が幸せだと。それは、おばあちゃんのエゴだったのね。菜季には教えてあげれば良かったんだわ」

「ううん。ううん。あたしこそ、お守りのことを先に言わなくてごめんなさい!」

「泣かないで良いのよ。菜季は、なぁんにも悪くないの。悪いのはおばあちゃん。だから、夕焼けの精霊様が迎えに来た時にお願いしたの。『罰をください』って」

 まさかあの場でバラバラにされちゃうなんて、おばあちゃんも思ってなかったんだけど、痛くなかったわ。とおばあちゃんは笑いながら付け足した。

 バラバラにされたってわかってるということは、おばあちゃんはやっぱり――……。

「弐色くんがね、あたしを一時的に式にしてくれたの。あたしの魂を固定するのは、やっぱり難しいようで、もう少ししたら消えちゃうんだけど、菜季と最後に話せて、おばあちゃんは嬉しいわ」

「弐色さんが……」

「ねえ、弐色くん?」

「言わなくて良かったのに」

 弐色さんは湯呑みをちゃぶ台に置いた。

 彩加ちゃんがふうふうしてから口をつけている。ほうじ茶の良い香りがする。

 弐色さんにお礼を言わないといけないけど、おばあちゃんが消えちゃう前に、聞かないと。

「おばあちゃん。あたし、これからどうしたら良い? おばあちゃんのお骨も、どうしたら良い? あたしにはもう居場所が無いの」

「そうねぇ。おばあちゃんのお骨は、お庭にでも埋めて頂戴。金魚のような扱いが、悪いおばあちゃんにはちょうどいいわ。そして、もう現世うつしよに居場所が無いと感じたなら、ここにいれば良いの。ここは神様や精霊様のいらっしゃる所。失礼の無いように過ごせば良いのよ。戻りたくなったら戻れば良いの」

「そんなことって、できるの?」

「ええ。できるわよ。意志を強く持つの。心を奪われてしまったら戻れなくなるわ。気を付けて」

 おばあちゃんの姿が薄くなってきた。あたしの腕が貫通する。もう触ることはできないの?

「おばあちゃん!」

「菜季。幸せにおなりなさい」

 そして、カサッという音と共におばあちゃんの姿は消えて、人の形をした紙が落ちた。

 あたしは紙を拾う。朱色で文字が書かれているけど、あたしには読めない。

「弐色さん。ありがとう」

「…………大した事してないけど、どういたしまして。これ、持っておきなよ」

 弐色さんはコウモリの刺繍が入ったお守り袋をくれた。

 あたしは人の形をした紙を小袋に入れる。骨壺の中から小さなお骨を取り出して、一緒に入れておく。

 こうしておけば、おばあちゃんのことを忘れることはない。あたしはお守りを握り締めた。

 弐色さんはお茶を啜る。笑顔が消えている。切れ長の目に、通った鼻梁。やっぱりすごく美形だと思う。ずっと見ていたら目が合った。黒というよりは濃い灰色をした瞳。

「僕に見惚れちゃった?」

「そうよ」

「っ、そ、そう。僕の方がキミの何百倍も可愛いもんね」

 あれ? さっきと反応が違う。ぷいっとそっぽを向かれた。

 もしかして、肯定したら照れるタイプだったりするの? 否定したらつっかかってくるけど、肯定したら恥ずかしがるの?

 そう考えたら子供っぽくて可愛いかもしれない。というよりも、子供のように扱うのが正解かしら。虐待されていたのなら、誰にも甘えられなかっただろうし。

 だからって、この人を甘やかすのもおかしい話だわ。

「あの、おばあちゃんが言ってたことなんだけど……ここには神様も精霊様も住んでるのよね?」

「そうだよ。永心は蛇神、こやけは夕焼けの精霊。キミは既にどちらにも会ってる。他にも妖怪や悪霊、魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこしてるよ。ああ、一応、景壱も雨の神だよ。ちょっと種族が違うけど。で、神には神の領分が、精霊には精霊の領分が、人間には人間の領分がある。それを互いに侵してはいけないとは言うけれど、ここは誰でも平等に、誰にでも分け隔てなく、永久の安らぎが約束されている。ま、失礼の無いようにするのは、どこの組織に属していても常識だと思うし、キミが深く考える必要は何も無いかな。強いて言うなら――」

「強いて言うなら?」

「人間の勝手な分け方で、役立つものを神、厄災を招くものを鬼と言う。利用できるものを祭り上げて幸運を授けてもらって、祟るものを祭り上げて災いを抑止する。これは現世うつしよでもここでも同じ事だよ」

 強いて言うことなの? なんだかよくわからない……。

 それから少しして、彩加ちゃんがウトウトし始めたので、弐色さんに客間へ案内された。

 綺麗に整頓された部屋。あたしは押し入れから布団を出して、電灯を消して寝転んだ。

 よく日干しされた香りがする。明日からどうしよう。夕方にはこやけちゃんが迎えに来る、のよね?

 おばあちゃんの言うように従おう。おばあちゃんの教えは正しいって弐色さんも言っていた。

 戻りたくなったら戻れば良い。それがいつになるかわからない。ここで上手くやっていけるかわからない。まずは、ここのことを知ることから始めよう。家族には働きだしてから一回も会ってないもの。忘れて当然なのよね。

 いっそ忘れちゃおう。何も考えなきゃ良いんだわ。残してきたものなんて無い。そう、何も無い。

 あたしは目を閉じる。こうすれば怖いものは何も見えない。怖いものは見なければ良いの。知らなくて良い。

 いつの間にかあたしは眠っていたみたいで、朝日が障子を通して射し込んできていた。

 枕元のスマホを見ると、時刻は五時四十七分。目がパッチリと開いたので、あたしは起きることにした。

 こやけちゃんのカラスが届けてくれた服に着替える。白いオフショルダーのトップスに、デニムのショートパンツ。

 廊下に出て、洗面所で顔を洗って、うがいをする。ついでに、昨日洗濯した衣類を持って行く。部屋にあったハンガーで廊下に吊っておいた。ここなら、きっと良い感じに乾くと思う。

 朝食を作っておこうかしら。あたしは台所へ向かう。何か物音がする。障子を開くと、和服をたすきがけしている弐色さんがいた。

「おはよ。けっこう早起きさんなんだね」

「おはよう……。弐色さんは、寝てないの?」

「嫌だなァ。僕は景壱と違って眠れるよ。神社のお勤めは日の出と共に始まるから、早起きの習慣がついてるだけだよ。今日は特別にお休みだから、夕焼けの里の案内をしてあげる」

「どうして休みなの?」

「永心に連絡したら『案内してあげなさい』ってさ。はい、朝ごはんできたよ」

「ありがとう……。いただきます」

「どうぞ召し上がれ。僕は彩加を起こしてくるね」

 弐色さんからエッグベネディクトを受け取って口にする。

 こんなものを作れるなんて、弐色さんの料理の腕はかなり良いみたい。彩加ちゃんが「おいしい」って評価していたくらいだもの。すごく美味しい。

 でも、家の感じに全然似合わない。弐色さんは彩加ちゃんを抱っこして居間に戻ってきた。まだ寝かせてあげてても良いと思うんだけど、起こすからには何か理由があるのかしら?

 ただ、ごはんが冷めちゃうとかそういう理由のようにも思ってきたけど。

 食べ終わって、お皿を片付けていると弐色さんの姿が消えていた。自分の部屋に戻ったのかしら?

 彩加ちゃんは「じんじゃにいってきます!」って出て行ったのを見たけど……。案内するって言っといて、何処に行ったのよ。

 あたしは弐色さんの部屋へ向かう。障子を軽く叩いて、返事を確認してから、障子を開いた。

 三面鏡の前に弐色さんは座っていた。隣に化粧道具の入った箱が置かれている。鏡を覗くと既に弐色さんの瞼には紅が引かれていた。もう化粧は終わったところみたい。

「弐色さんって、どうして化粧してるの?」

「それは秘密。ついでにキミにもしてあげるよ、早く座って」

 弐色さんに促されるままに、あたしは鏡台の前に座る。弐色さんは化粧品を並べて置いた。色々な種類の物が出てくる。オレンジブラウン系統の色の物が多い。

「目を閉じていて。僕が良いって言うまで開けちゃ駄目だよ」

 あたしは目を閉じる。パフが肌に触れる。下地からきちんとしてくれるみたい。アイラインとか目を開けないで良いのかしらと思うんだけれど、「良い」と言うまで開けちゃいけないから、あたしは目を閉じたまま。ハトが遠くで鳴いているみたい。カラス以外の鳥もいるのね。ちょっと安心。

 かれこれ十分くらいしたかもしれない。弐色さんが「もう良いよ」と言ったので、あたしは目を開く。

 弐色さんはクスクス笑っている。まさか、おかしな顔にされてたりしないわよね。あたしは鏡を見る。

「え……これ……あたしなの?」

「キミだよ。今までどんなメイクしてたか知らないけど、キミにはオレンジブラウン系統が似合うと思うよ。これ、あげるね。試供品で貰ったけど僕には似合わないからさ。最後にリップ塗るけど、僕に塗って欲しい? それとも自分で塗る?」

「自分で塗るわ!」

 なんとなく嫌な予感がしたのであたしはリップを弐色さんから受け取る。

 弐色さんは自分の唇を舐めてから笑っていた。あ、これ、塗ってもらうことにしたら、またキスされてたやつね。

 それから化粧品セットを受け取った。きちんと手提げカバンに入れられていて持ち運びやすい。

「さて、僕の可愛さにつりあうようになったことだし、案内してあげよっか」

「まだ七時なのに?」

「大丈夫だよ。その箱は置いといて。どうせ夕方に戻って来るからさ」

 箱を置くと、弐色さんは楽しそうにあたしの腕を掴んで歩き始めた。

 ここにいる人達って腕を掴んで移動させるの好きなのかしら?

 そう思いながらも、あたしはついていくことにした。

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