第11話
昼食は何にしようかしら。キッチンに立ってあたしは考える。
いつの間にかご飯が炊かれていたようで、電子音で『きらきら星』が鳴った。炊き上がりの時間を間違えてるんじゃないかしら。炊き立てを食べるなら、一時間半後に炊き上がらないといけないのに。
冷凍するには、この時間で良いのかしら? ちょっとわからないわね。
「ふわぁ……」
「あら、起きたのね。おはよう」
「んぅ。おはよ……」
景壱は目を擦っている。ウトウトしているから、まだ眠ってたほうが良いんじゃないかしら。とは思うんだけど、座ったから起きる気があるのよね。
見ていると、リビングを出て、ちょっとしてから戻って来た。顔を洗ったみたいね。あたしは麦茶をグラスに注いで、テーブルに置いた。景壱はすぐに麦茶を飲み干した。
「こやけは?」
「あたしの願いを叶えるって言って出て行ったわ」
「願い? あなたは何を願ったの?」
「『おばあちゃんに会いたい』って言ったの。『ここに連れて来てあげましょう』と言っていたわ」
「それは……言葉足らずやね」
「どういう意味よ」
「そのままの意味。言葉が足りてない。それやと、生死を問わずに、ここに連れて来られる。相手がここに来ることを拒否した場合……知りたい?」
「知りたいに決まってるでしょ!」
「そうやな……。後一時間十二分ぐらいしたら嫌でも知ることになると思う」
「いつから起きていたの?」
「起きたのは四分前。こやけが外で仕事してくるとしたら、だいたいそれぐらいになる」
四分前には既にこやけちゃんはいなかった。
それにしても、何でこんなに分刻みで言うのかわからないわ。嫌でも知ることになるってどういう意味なのよ。おばあちゃんを連れて来るだけなのに、どうしてよ。
景壱は鼻歌まじりにノートパソコンを開いていた。
パソコンばかり弄っている気がするわね。いったい何があるのかしら。
朝に見た時は文字ばかりでチンプンカンプンだった。たまにキーボードを弾いてるから、何かしてることはわかるんだけど……。
それにしても文字ってあんなに早く打てるものなのね。よく見ると景壱は耳に何かつけていた。マイクもついている。ヘッドセットって言うんだっけ? オペレーターがつけてるやつ。って、見てないで昼食よ。
あたしは冷蔵庫からハム、もやし、コーンを取り出し、野菜バッグからタマネギを取り出して、下処理をした。
ハムともやしとタマネギを粗みじん切りにして、熱したフライパンにごま油を引いてから、コーンも一緒に炒める。
火が通ったら、冷凍室にあったご飯を加えて炒め、トマトケチャップ、醤油、塩胡椒を入れ、ケチャップライスができたところで、いったん皿に取った。
ここで冷蔵庫から卵を取り出して、溶き卵を作る。
今ここにいるのは景壱だけだから、とりあえず彼の分を先に作ってあげよう。フライパンに卵を注いで、周りが焼けたら、火を止めてケチャップライスを置いて、お皿にひっくり返した。
うん。上手くできたわ。
ケチャップをかけて、オムライスの完成。あら、スープを作っていなかったわね。
鍋にお湯を沸かして、コンソメ顆粒を入れ、冷蔵庫の隅に押しやられていたトマトを一口大に切って、鍋に投入。味見をして薄かったから塩と胡椒を足して……あと、パセリ缶があったわね。パセリを散らして完成っと。
あたしは完成したオムライスとトマトコンソメスープを景壱の横に置く。景壱はノートパソコンを閉じた。
「はい。昼食できたわよ」
「ありがとぉ。美味しそうやね」
「美味しそうじゃなくて、美味しいのよ」
「いただきます」
景壱はスプーンを右手に持って、ケチャップを薄く延ばすと、掬い取って一口運んだ。にぱぁっと表情が明るくなるのをあたしは見逃さなかった。どうやらお口に合ったみたい。
美味しそうに食べてくれるから作ったかいがあったわ。今まで眠っていたからあまりお腹が空いていないと思って少量に作ったんだけど、男の子だし、もうちょっと多めにしてあげたほうが良かったかしら?
でも、残りのケチャップライスを考えると、こやけちゃんが全部食べちゃいそうなのよね。朝からご飯をお茶碗二杯分食べちゃうくらい元気なんだもの。
景壱はこやけちゃんと違ってガツガツ食べないけど、上品に、丁寧に、黙々と食べてる姿を見ると、なんだか作り手としても気持ちが良いわ。
「ごちそうさま」
「もうちょっと食べる?」
「もう満足。ありがとぉ。美味しかった」
「どういたしまして」
あたしはお皿を下げて、流しに置く。少しして、こやけちゃんの帰ってきた音がした。
「ただいまです!」
「おかえり。俺は見ていたけど、おばあさまは?」
「ふふん。ちゃんと連れて来ましたよ! ほら!」
こやけちゃんは、大きな麻袋をドスンと床に置いた。麻袋には赤いシミが広がっていて、所々黒くなっている。おまけに赤い液体がジワリと床を汚していく。
なにこれ。なんなのこれ。おばあちゃんはどうしたの?
「感動のご対面でございますよ!」
こやけちゃんは麻袋の口を開いて、一気にひっくり返した。
出てきたのは、脚と、胴体と、腕と、首。バラバラ……。それは、あたしのよく知っている人で――……。
あたしはその場に崩れ落ちる。脚の震えが止まらない。
床に転がっているバラバラのにんげんを直視しないように、そっと目を閉じた。怖いものは見なかったら良い。そう、見なければ怖くない。
これは夢だ。悪い夢だ。あたしは太ももを摘まむ。痛い。痛覚のある夢なんだ。
早く覚めろ覚めろ覚めろ!
目を開く。あたしの願いもむなしく、これは現実だった。
目から零れ落ちた涙が太腿に当たる。どうなってるの。状況は何も変わってない。赤黒い麻袋が片付けられたくらい。
こやけちゃんがあたしの前に体育座りをしていた。
「どうしたのです? おばあさまを連れて来ましたよ。嬉しくないのですか?」
「連れて来たって言っても、こんなにバラバラになっていたら、話もできないわ」
「それでしたら、ツギハギにしましょうか! それが良いでしょうご主人様?」
「ツギハギにしても、人間は一度バラバラにしたら二度と話せない」
「ふむ……。それは困りましたね。でも、私はきちんとおばあさまを連れて来たのですよ」
「それはそうやね。こやけは菜季のおばあさまをここに連れて来た。えらいえらい。いいこいいこ」
「えへへ。褒められたのですよ」
恐怖さえも吹き飛んでしまった。
ここまで異常なことが続くと、変に耐性がついてしまうみたい。
あたしって順応性が高いのね。自分自身を嘲笑う。
あまりにも現実離れしていて、この状況を理解できてないっていうのが現実。まるで映画のスクリーンの向こう側の光景。ホラー映画の一場面のよう。
ああ、これが夢なら良いのに。ああ、これが映画の小道具とかなら良いのに。と思うのさえバカらしくなってきた。
これは夢じゃない。だって、痛いもの。心が、痛い。あたしは呼吸を整えながら、こやけちゃんを見る。
「どうしてこんなことしたの?」
「菜季さんが願ったからですよ。菜季さんは言いましたよね? おばあさまに会いたかったのでしょう? ほら、私はきちんとおばあさまを連れて来たのですよ。感動のご対面なのですよ。嬉しくないのです?」
ああ、やっぱりあたしが悪いのね。全部、あたしのせいなんだわ。あたしが「おばあちゃんに会いたい」なんて言うから。でも、こんなバラバラにすることないじゃないの。
あたしは床に落ちた包丁を拾う。おばあちゃんごめんね。こんな孫でごめんなさい。
せめて、少しでも傷つけられたら、おばあちゃんも少しは許してくれるかしら?
あたしは包丁を握りしめる。でも手に力が入っている感覚が無い。あたしが何を考えているか読めたのか、こやけちゃんは左手に大鎌を携えた。ああこれ、あたしが切りかかる前にスパスパっとされちゃうわ。
「感動のあまりに、殺し
「何が魅力的なのよ!」
思ったよりも、脚に力が入った。
鎌が振り抜かれるのが横目に見えた。もう駄目。目を閉じる。
そう、何も見なきゃ良いのよ。これが甘えって言われても、怖いものは何も見なければ良い。
何も感覚がしない。もうあたし死んだのかしら。首を刎ねられたら即死だものね。感覚なんてしないわよね。
でも、近くで金属のかち合う音が聞こえた気がするわ。あたしの包丁じゃあんな大きな鎌を受け止められないんだから、包丁じゃないわよね。それに、重みも何も感じなかったし。
あたしは目をゆっくり開く。青い髪が見えた。あれ?
「こやけ。十二時間四十二分三十四秒前の約束をもう忘れたん? 『殺処分はしない』って言うたやろ」
「でも、ご主人様。せっかくの魅力的な殺し愛のお誘いですよ?」
「これは殺し愛のお誘いではない。おまえに対しての怒り。で、ちゃんと飼育書読んでないやろ?」
「そうなのです? 感動のお誘いではないのですか? あと、飼育書は文字ばかりでつまらないのですよ。絵本のほうがずぅっと良いのです」
「はあ」
景壱は溜息を吐きながら、うなだれた。右手に――剣を持っている。美術品のように綺麗な剣。剣を鞘に収めると、景壱はあたしのほうを向いた。こやけちゃんも鎌を消した。
「その包丁は精霊を調理するためにあるものではない。本来の用途以外に使うと劣化してしまう。それと、こやけに昼食を与えて」
「今作っている場合じゃ――」
「作れ」
「……はい」
あたしはそんな気分じゃなかったけど、一応助けられたってことになるから、キッチンに立つ。
オムライスとスープを盛り付けて、席に着いたこやけちゃんの前に置く。こやけちゃんは「いただきます!」と言うと、目をキラキラ輝かせながら食べ始めた。横を見ると、景壱がバラバラのにんげんを箱に入れてた。血で濡れた床を雑巾で拭いている。
「菜季。おばあさまのこと――知りたい?」
「知りたいに決まってるでしょ!」
「そう。それなら教えてあげる。真実を教えてあげる。俺の一言一句聞き逃すなよ。菜季のおばあさま――千代子さんは、こやけが来た時に、こう願った。『菜季に悪いことをしてしまった悪いおばあちゃんに罰を頂戴』と。だから、こやけは罰――死を与えた。罪の代償は死と。人間は生まれた瞬間からある罪を背負っている。だから、代償として死を迎えると言われている。……これは一説によると、ってことやけれど。で、千代子さんをバラバラにした後、こやけは気付いた。『このままだと菜季さんの願いを叶えてあげられない』と。だから、麻袋に千代子さんを詰めて帰ってきた。あなたの願いは『おばあちゃんに会いたい』。ここには、生死は問われていなかった。こやけは『おばあさまを連れてきたら良い』としか思っていない。結果はこう、バラバラの死体と感動のご対面」
「そんなの滅茶苦茶よ」
「それでも、これが真実。信じるか信じないかはあなた次第」
景壱は箱の蓋を閉じながら言った。
信じるか信じないかの前に、どちらにしてもおばあちゃんはもう死んでしまった。それだけはゆるぎない真実。
大粒の涙が零れ落ちる。あたしが願わなきゃ良かったんだわ。そうすれば、こやけちゃんはおばあちゃんの元に行かなかったし、おばあちゃんもそんな依頼をすることはなかった。あたしが全部悪いのよね。
――あたしが死んじゃえば良かったのに。
刺すような鋭い視線を感じて、あたしは顔をあげる。こやけちゃんはオムライスを頬張って幸せそうな表情をしている。景壱を見る。表情はさっきと全く変わっていないのに、怖い。ひどく冷ややかで、嘲笑っているようにも見える。まるで内側に恐ろしいものが巣食っているみたい。
「菜季さん駄目ですよ。また死にたいって思ったでしょう?」
「……思ったわよ」
「貴女にはもっと生きてもらわないと困るのですよ。殺し愛も魅力的ではございますが、せっかくの
「ペットねぇ……」
あたしは胸元の赤いリボンを見る。
ああ、これがある限り、あたしはこの子のペットなのね。考えている間に、景壱が部屋から消えていた。箱も無くなっている。ドアが半開きになっているから、持って行ったのかしら。ずっと視界にバラバラ死体があるのは嫌だから良かったけど……。
「菜季さん。景壱君は、人間の皮で遊ぶようなヒトですよ」
「それがどうしたの?」
「まだわからないのでございますか? おばあさま、持って行かれましたよ。このままだと遊ばれてしまうのでございます。彼のことですから、カウチにするだの太鼓にするだの色々考えておりますよ。彼は、里の人間を素材にしないのです。外部の人間をいくらでも弄り回すのでございますよ」
あたしはすぐリビングを飛び出して、景壱の部屋へ向かった。
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