あまい月とやさしい夜〜ボクっ子吸血鬼、九十八回死んだ悪役令嬢を拐って、都を出る〜
上埜さがり
第一章 あまい月とやさしい夜
Prologue——或る日の朝、悪役令嬢の独白——
射し込む朝陽の眩しさに、瞼をくすぐられる。こそばゆい感覚にもう少しだけ寝かせてと思っていたのだけれど、堪えきれず瞼は閉じるのを諦めてしまった。身体を起こして、明るくなりつつある窓の外へ恨めしい視線を向けてやる。
もうすぐ秋も中ごろの筈なのにまだまだ暑さが感じられるせいで、少しだけかいてしまった汗の感触が気になる。
「……みず……いや、やめとこ……」
汗もかいたし、キッチンに出向いて水を一口もらおうかと思ったのだけれど、思いとどまる。この時間の感覚だと、ベルとメルクーナが二人で朝食を拵えている筈だ。
ただ仲良くご飯を作っているだけだったら良かったのだけれど、たまたま今日の様に早くに目が覚めた時、キッチンでメルクーナが後ろから抱きついて、貪る様なキスをベルにしているのを目撃してしまった。それ以来、この時間のキッチンに突入するのは、何となく気が引ける。
「あの人はもう少し慎みを……いや、言えた義理じゃないか」
結局のところ、私も慎みを持つなんて事は出来なかったのだから。
昨晩も、吸血種として二百年も生きたくせに未だあどけなさが残る彼女に対して、自分でいうのも恥ずかしいくらいに、熱く蕩ける様なキスをしてしまった。
自分の隣に目をやると、そのお相手の彼女が無防備な寝顔を晒しながら、すやすやと寝息を立てている。寝ているというのにベッドから上半身を起こした私の腰の辺りに、逃さないぞとばかりに抱きついている仕草はやっぱりいつ見ても愛らしい。
起きていると、自分を偉大だの高貴だのと姦しい彼女といるのも、もちろん楽しくて好きだ。けれども、こうして同じベッドで夜を過ごして、朝目覚めた後隣に眠る彼女の顔を眺めると、やはり私達は特別な関係なんだと、毎日が幸せに感じられる。
「……ほんと可愛いわね、ノッテは……」
いつもはツインテールに纏めた黒髪を、ストレートに降ろした姿を見られるのも、やはり特別な関係ならではの特権だと思う。眠っているせいで、魅力的な赤い瞳や笑顔になった時に垣間見せる犬歯などが見られないのは、少し残念だけれど、まあ、穏やかな寝顔を眺められるのだから悪い気はしない。
つい悪戯心が湧いて、その柔らかい頬を指先で押してみると、ふにふにとした弾力が私の指を押し返してくる。はじめて触れた時から、私の指先はこの子の肌の虜だ。
「……む、ぅ……るなでぃあ……」
不意に名前を呼ばれてドキッとする。起こしてしまったかと慌てて指を引っ込める。けれども起きた様子はなくて、また静かな寝息を立て始めた。そんなベタな事をしないでほしい。ただでさえ、私の胸はノッテといられる毎日に高鳴り続けているというのに、これ以上の事をされてしまっては、死んでしまいそうになる。
ノッテが、ころん、と寝返りを打って仰向けになると、彼女の可愛らしい顔にも朝陽がかかった。この分だと、彼女ももう少しで目を覚ますだろう。
「まったく、ノッテは私の気も知らないで……」
「……るなでぃあ……ふふ……よぞらのさんぽは、どうかな……」
まだ眠り続ける彼女の頭を撫でていると、再び寝言が聞こえてきた。『夜空の散歩』……もしかしたら、あの日の夢を見ているのかもしれない。私達が、二人揃って王都を旅立った、あの夜の事を。
ノッテは私を救ってくれた。数多の死を迎え、絶望に心砕かれそうになる私の前に颯爽と現れ、立ちはだかるものを打ち払い、ついに死ぬ筈だった私は、今日という日まで彼女と共に生きることができた。その鮮やかな在り方は、まるで魔法使いの様だと私は思っている。
そんな魔法使いの彼女に、私はただ一つの想いだけは確かに、あの日からずっと抱き続けている。
「愛してるわ、私のノッテステラ」
その想いを言葉にして、それから優しく彼女の唇に、私のものを重ねてみる。
叶うなら今すぐに、起きてほしい、気づいてほしい、出来ればその口から、同じ言葉を聞かせてほしい。けれども、千年を超える時間を過ごしてしまった私の擦れた心は、それを自分からお願いする事を躊躇ってしまう。だからこうして、起きない様に、気づかない様に、密やかに口にして、少しだけのキスをする。
「……ふふ、幸せそうな、顔してる」
もしかしたら、想いが伝わったのかもしれない。唇を離してから見る彼女の顔は、まだ寝ているのにも関わらず、幸せに満ちた様な安らいだものだったから。今の私には、それだけで充分、胸の内が充たされていく様に思える。
彼女はもう少しだけ眠っている。その間は、彼女が夢の中でそうしている様に、少しだけ昔に想いを馳せてみよう。
『悪役令嬢』だったルナディアと、『吸血種で、私の魔法使い』のノッテステラが、はじめて逢ったあの日からの思い出を。
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