第1話
それから3カ月が経ち、今はもう夏。
入学式の時は綺麗な花を咲かせていた桜の木も、今は青々とした葉が覆っている。演劇部一年の
「もう、夏休みかー」
入道雲が立ち上がる真っ青な空。
じんわりと額に汗を滲ませながらこれまでを振り返る。
高校生活も早3カ月。
最初の内は色々と不安があったものの、お昼ご飯を一緒に食べるクラスメイトもできたし、演劇部でもたまに劇に参加させてもらっているし、充実した日々を送れているのではないだろうか。
ただ、一つの事を除いては。
「ん、どうしたの。 悩み事?」
凪と同じように、箱一杯に入った小道具を持った女子に声を掛けられる。彼女の方を見ると柔和な笑みを浮かべた彼女のポニーテールが柔らかく揺れた。
凪は再び校庭に目を移すと、しみじみとした口調で呟く。
「いや、部に入ってもう3カ月経つんだなーって思って」
「そうだね、早いね~」
あっという間だったという凪に、彼女もうんうんと頷く。あの時はあんなに小さかったのに……と感慨深そうに凪を見下ろす。
相変わらずスタイルがいい彼女に対し、凪は悔し気に半眼を向けた。
「わ、私だって、いつかは先輩みたいにっ……!」
たわわに実った双丘が箱の上に乗っかっている。強がっていたものの、自身の寂しげな上半身と見比べて思わず声が震えてしまった
そんな後輩に、思わず先輩――
灯里は演劇部の部長を務めおり、夏休み明けに行われる文化祭での演劇を最後に演劇部を卒業することになっている。あと数カ月に迫った部活動からの卒業にどこか寂し気な笑みを漏らした。
「私も年を取る訳だ」
そう言っておどけて見せる。
灯里は面倒見がよく、部内でも彼女を慕う人は多い。いつも飄々として、ふざけることも多いが、後輩に演技のコツを教えたり、一人でいる部員に優しく声を掛けたり……後輩思いの先輩でもある。
凪も例に漏れず、よく彼女のお世話になっており、今も演劇部に在籍しているのは彼女のおかげと言っても過言ではない。
「先輩もあと数ヶ月ですね」
「うーん、そうだね。 こればっかりはどうしようもないから。 ……留年して、来年も残っちゃおうか?」
どうかな? という先輩に、凪は「先輩は成績いいじゃないですか」とツッコむ。既に有名大学への推薦確実とも噂されており、進路はほぼほぼ決まっているらしい。
そんな後輩の指摘に、灯里はニッと口角を上げた。
「まっ、それは冗談だけどさ。 でも、残りたいっていうのは、本心だよ? だって、凪みたいな後輩と離れ離れになるのは淋しいな」
「そ、そうですか?」
「だって、こんな可愛い後輩、そうそういないもん」
そう言うと灯里は凪に顔を近づけて頬をスリスリした。
凪の頬と朱里の頬が触れ合う。
「ちょ……せ、先輩っ……暑いですっ。 あと私、汗かいてるからっ……」
「おー、照れちゃって、可愛いな~」
灯里はそう言うと、さらに頬を押し付けた。
これはよく灯里がするスキンシップで、彼女曰く「凪が可愛くて仕方ない」からやっているらしい。凪も初めの頃は困惑していたが、最近は頬をスリスリされても照れる位で嫌がる事無く受け入れている。
今では他の部員からも「凪ちゃん、可愛いー!」と同じように頬を無理やりスリスリされており、演劇部のマスコットキャラ的な感じになっている。
凪自身、こうやって仲良くしてもらえるのは嬉しい。あまりコミュニケーションが得意ではない彼女にとって、無理やりにでもこうやってスキンシップを取ってくれるのはありがたいことだった。
ただ、灯里とこうしている時、彼女の頭にはいつも一人の人物が浮かんでいた。
(
あまり接点を持てていない憧れの先輩を思い浮かべる。
どうにか彼女と仲良くなる術はないのだろうか――柔らかくすべすべな部長の頬を感じつつそんなことを思っていると。
「何やってるんですか、部長。 遊んでないで、早く荷物持っていってください」
背後から冷ややかな声が響く。
その声がした瞬間、凪の心臓がきゅっと引き締まった。
振り向くと間違えるはずもない、今自分が勝手に思いを寄せていた人物が凍てつくような眼差しでこちらを見つめていたのだ。切れ長の瞳に雪のような白い肌、そして肩まで伸びた黒髪は宝石を糸にしたように光り輝いている。
言葉を失う凪に対し、灯里は何となしに答えた。
「ああ、ごめんごめん。 今から持ってくから」
「そうしてください」
平謝りする灯里に対し少し呆れたような、ムスッとしたような態度を見せた彼女はそう言うと部室の方へと消えていった。
夏の暑さなど感じない、涼し気な空気が一瞬で辺りに広がる。
(やっぱり、カッコいい……)
凪は息をするのも忘れて、遠ざかってゆくその背中に釘付けになった。
真っ黒な髪がサラサラと揺れる背中だけでも絵になっている。
「ごめんね、美織怖いよね」
あまりにもジッと彼女を見つめていたせいで勘違いしたらしい灯里は、凪に対して眉をひそめて謝る。灯里と美織は幼馴染で、昔から一つ違いの姉妹のような間柄らしい。いつもはあんな感じじゃないんだけどね、とかばう彼女に凪はブンブンと頭を振った。
「い、いえ……やっぱり、カッコいいな……って」
「あれっ、もしかして凪も美織のファン?」
凪の言葉に、灯里は合点したように顔を綻ばせる。
演劇の白雪――美織は高校でそう呼ばれている。白雪「姫」ではないのは、姫っぽくないから、らしい。その見た目の美しさと、日頃から高潔な彼女のイメージとぴったりな名前だ、と密かに凪も気に入っている。
そしてそのような異名が付くくらいの人物なので、当然ファンも多い。
男子人気は言わずもがな。むしろ女子からの人気が高いくらいで、男子に言い寄られても全く意に介さないその高潔さが人気の理由らしい。媚びを売らずに生きるヒロイン――まるでドラマのような彼女の姿に好感を覚える女子が多かった。
その証拠に美織が告白された云々といった話もちょくちょくと噂に上がっているものの、告白に成功した、という話は全く上がっていない。
「でも気づかなかったな~。 凪も美織のファンってこと」
意外そうに呟く灯里。
それもそうだ。
美織に憧れて演劇部に入った生徒は例に漏れず彼女にべったりになる。男子も女子も関係なく、彼女に話しかけに行く。それを見て、「あの娘も美織のファンか」ということが分かるのだが、凪はそういったことを一度もしたことがなかった。
というか、今日まで美織と話したことすらなかった。
「に、入学式で先輩の演技に魅せられて、それで入ったんですけど……そのっ…………」
「憧れの人の前では、内気になっちゃって……」
「そ、そうなんです!」
言葉を継ぐように代弁する灯里に、凪は興奮してグイッと彼女に顔を近づけた。
するといつもあまり大声を出さない凪がいきなり声を張ったことに驚いたのか、灯里が少し仰け反った。それを見て、我に返った凪は恥ずかしそうに俯く。
「す、すみません……ずっと誰にも言ってなかったので」
ボソボソと謝る。
ずっと心に溜めていた彼女への思いが一瞬だけあふれ出てしまった。
「分かるよ、その気持ち。 痛いくらいよくわかる」
そんな凪の姿に、灯里は噛みしめるように呟く。
灯里の同意の仕方は、まるで自身もそういった経験があるかのようだった。
「えっ、先輩も美織先輩のこと……?」
「ああっ、違う違う。 似た感じの相談をさ、前に別の奴からされたことがあってね」
「そういうことですか。 てっきり、先輩も美織先輩のこと……」
「ないない。 私は昔からあいつと一緒にいるから」
それにしても人気だよね、と彼女が歩いていった方向を見つめる。
凪もコクコクと細い首を縦に振った。
いつも美織には取り巻きのように人がいる。
凪が部室に来ると毎回誰かが彼女に話しかけているし、以前凪が休み時間に美織を見かけたときも同様に誰かから話しかけられていた。そして凪はその人達の輪の中に一緒に入って美織とも話す、ということがどうしてもできずにいた。
どこか申し訳ないような、気恥ずかしいような……そんな感情が邪魔するのだ。
そのため凪は彼女が話しているのを傍で聞くか、たまに一人でいる美織に話しかけようとしたところを別の部員に横取りされ、その失意のまま部室からでていくか……という日々を繰り返していた。
しかし、そのような日々が続いていく中でも凪は悲観はしていなかった。いつかは話せるだろう、と高をくくり、のほほんと日々を過ごしていた。
だが、それが良くなかった。
今日こそは美織先輩と話せるかな……あ、ダメそう。今日は……今日もダメだ……そうやっている間にもあれよあれよと時は過ぎて、気づけばもう3カ月。
完全に話しかけるタイミングを逃していた。
3カ月も経ってしまっていると、逆に話しかけづらい。
先輩に話しかけたかったけれど、タイミングを掴めなかったため話しかけられなかった後輩――というのが実情なのだが、普通に見れば「あえて」彼女に話しかけなかった後輩ということになる。
そんな中これまで一度も会話もしたことがない相手に急に声を掛けるのは意外と高い壁であって。コミュニケーション能力が常人と比べて高い訳でもない(むしろ平均以下の)凪の目の前に堂々と反り立っていた。
美織に憧れて入った演劇部――のはずなのに。
「それなら私からあいつに言ってあげよっか? 凪が話したがってるって」
どう? と凪に尋ねる。
これは思ってみなかった提案だった。部長は美織の幼馴染にであり、彼女が頼めば恐らく美織の方も承諾してくれるだろう。そうすれば、すぐにでも彼女と話せる――。
だが、凪はすぐに首を縦に振らなかった。
そして。
「そ、それはっ――……やめてください」
逡巡して、断る。
苦渋の決断。
部長からの提案はとても魅力的な提案……なのだが、そういう感じで美織と話したくなかった。やはり自分の力で彼女に話しかけたいということを部長に伝える。
まぁ、実際それで3か月も話せてないのだが。
「そっか……まぁ、夏休みも部活はあるし、また困ったら相談して」
応援してるから、と朱里は軽くウインクする。
少し湿っぽい初夏の風が二人を包み込んだ。
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