オペラグラスを君に 結び その三

 一九二〇年八月 高津原山山中





 翌日、宮森は顔馴染みの導きで再び高津原山へと入った。

 昨日とは違う経路を辿った末、頂上付近にまで上り詰める。


 顔馴染みが歩みを止めた場所は、木々が生い茂る緩やかな尾根。


 宮森は顔馴染みに確認を取る。


「なあ金華描きんかびょう、どこまで行くんだい?」


「ニャ~ん」


 顔馴染みはいつも通りに答えると、尾根づたいに林を降って行く。


「おい待てっ!」


 斜面を降る顔馴染みに渋々しぶしぶ追従する宮森。


 三キロメートルほど降った所で、顔馴染みが歩みを止めた。


「本当にこの場所でいいんだな?」


「ニャ~ん♪」


 顔馴染みがいつもより弾んだ声を奏でたので、決心したような顔付きになる宮森。

 彼は背負っていた背嚢バックパックを降ろすと、中から園芸用の円匙えんし(スコップ)と花の種を取り出した。


 宮森は大きな樹木の生えていない場所に目を付け、その根元を播種場所に選ぶ。

 目立つ雑草を引き抜き、円匙スコップで土を掘り返して行った。


 宗像むなかたによると、宮森が蒔こうとしている花は暑さに弱く日当たりのいい場所を好むらしい。

 ここ高津原山は冷涼な気候なので気温は問題ない。

 日当たりについても、臨時の専属庭師に任せれば大丈夫だろう。


 宮森は花の種を取り出すと、そのひと粒ひと粒に自身の霊色オーラを注入して行く。



 霊色オーラの注入は寿命を削るに等しい行為。


 あやめてしまったあの女性ひとへの贖罪しょくざいか、それとも……。



 宮森の霊色オーラを纏う種達はほのかに輝き、内包する生命力を静かにたたえていた。

 きっと、たくましく育ってくれるに違いない。


 宮森は種を蒔き終えると、ふところから煙草入れシガレットケースを取り出す。

 中身は、ふじ が夢幻座の千本引きで引き当てた景品だ。


 煙草の火を見詰めた宮森は、宗像との会話を思い出す――。





 一九二〇年六月 帝居地下 研究区画





 ふじ から貰った鉢植えが花を終えた後、宗像の研究室に足を延ばした宮森。

 種の管理方法など、くだんの植物に関する詳しい情報を教授して貰いに来たのだ。


 宮森が宗像に問う。


「宗像さん、それ何か判りますか?」


「ああ、これは〖Myosotis scorpioidesミオソティス・スコルピオイデス〗やな」


「どう云う意味なんです?」


「〖myosotisミオソティス〗は、ギリシャ語でハツカネズミの耳、っちゅう意味。

 葉っぱに毛ぇが生えとって柔らかいもんやから、そう名づけられたっちゅう話や。

scorpioidesスコルピオイデス〗は、同じくギリシャ語でサソリの尾に似た、っちゅう意味。

 花序かじょ……花の配列の事やねんけど、この花は蠍型花序さそりがたかじょっちゅう種類なんでそれを表しとるんや」


 宗像の詳説しょうせつに思わず聴き入ってしまう宮森。


「なるほど。

 先のふたつを合わせて、Myosotis scorpioidesミオソティス・スコルピオイデスか。

 さすが宗像さん、歩く百科事典の異名は伊達だてではありませんね。

 当然、生息地域なども知ってるんでしょう?」


「北は欧州から南は大洋州たいようしゅう(オセアニア)まで、世界中に分布しとるよ。

 持って来てくれたんは、特に珍しい種類でもないみたいやね」


「じゃあ、この国で育てる事も可能なんですか?」


「コイツは基本的に多年草やねんけど、暑さに弱いから日本では一年草になるかも知れんね。

 まあ、場所しだいや」


 この国での栽培が可能だと判った宮森は、ほっとした顔で質問を続ける。


「もし自生するとしたら、どんな土地を好むでしょうか?」


「おう。

 日当たりと水はけさえ良かったら、北海道から九州中部ぐらいまではイケるで。

 ただ、暑いトコやとだいたい一年草になってまう。

 極端な乾燥も苦手やから、標高の高い場所がええやろ。

 ふつう秋口あきぐちが種蒔きの時期やねんけど、寒冷地では春に蒔く。

 本州の高い山やったら、夏の終わりでもええかも知れん」


「解りました。

 種を蒔く際に検討してみます。

 それと、品種改良された形跡は有りますか?」


「花さいとるトコ観とらんから判らんな。

 種わけてくれたら、ワイが育ててみるけど?」


「その時はお願いします」


 宮森は種の寄贈を約束すると、今度は花の来歴について尋ねた。


「宗像さん、この植物に関する逸話などは知っていますか?」


「もちろん知っとるで。

 中世欧州……今でいうドイツ共和国に伝わる悲恋物語で、内容は……



 ――騎士ルドルフには、ベルタと云う名の恋人がいた。


 ――ある日ルドルフはベルタに花を送ろうと思い立ち、ドナウ川の岸辺に咲く花を摘もうと試みる。


 ――しかし川岸を降りようとしたルドルフは足を滑らせ川に落ち、そのまま帰らぬ人となった。


 ――だがルドルフは命の灯火ともしびが消える瞬間、摘んでいた花を岸へと投げる。


 ――ひとり残されたベルタはルドルフをしのび、彼の墓にその花を供えた。


 ――そして、ルドルフ最期の言葉を花の名にしたとされている。



 ……っちゅう話や」


 花にまつわる伝説を聞いた宮森は、影の見え隠れする表情で宗像に問う。


「花言葉は、なんと?」


「国や花の色によってちごうとる。

 イギリスでは〘思い出〙。

 フランスでは〘誠実な友情〙。

 色別でいくと、薄紅うすべに(ピンク)が〘真実の友情〙。

 薄青が〘真実の愛〙。

 そして白がもっとも有名なヤツで、〘わたしを……」





 一九二〇年八月 高津原山山中





 暫く物思いにふけっていた宮森が我に返ると、この旅の目的を果たし始めた。

 彼は種と一緒に、ふじ との思い出の品である壊れたオペラグラスも土に埋める。

 ついでに残りの煙草を埋めあとに立て、線香代わりとした。



 彼は天へと上る紫煙を眺め、過去を振り返る。


 罰を受けると知り乍ら、罪を犯してしまった事を。


 彼は蒔いた種に想いをせ、未来を夢想する。


 託された花が命をつむぎ、この尾根一杯に広がっている様を。


 彼はうずめたオペラグラスに休眠状態の〈ミ゠ゴ〉胞子を仕込み、現在いま可能な最大限の行為を成す。


 将来この場所が地獄と化した時、正義にじゅんじる覚悟を持った者が、自身のこころざしを継いでくれる事を願って――。



 煙草が粗方燃え尽きた所で、宮森はひとちた。


「何でだろう。

 ふじさんと浅草でデエトした後に吸った時は、確かに苦かった。

 でも、今日の煙草はやけに、塩辛い味がするな……」


 彼女に手向けた煙草が塵芥ちりあくたとなって消える。


 それを確かめた彼と顔馴染みは、粛々しゅくしゅくと山を降りて行った――。





 宮森はこの国を……いや、全世界を覆わんとする奸計かんけいに感付いている。


 自身の寿命さえも花に与えたのは、彼女の死をいたみ罪をつぐなう為か。


 うずめたオペラグラスに〈ミ゠ゴ〉胞子を仕込んだのは、将来現れるかも知れない継承者に希望を託す為か。


 それはきっと、後の時代が証明してくれるだろう――。





 195◯年6月 高津原山





 第二次世界大戦から十年余りが経ち、この国は一応の安寧あんねいを迎えている。


 文化面でも復興の兆しが見え始めたこの頃、植物研究者達が国の調査で高津原山を訪れていた。

 彼らは高津原山のとある尾根で、外来植物の自生を確認する。

 国内での自生確認は初だったらしく、新たに和名を付ける事と相成った。



 付けられた和名は、真勿忘草しんわすれなぐさと云う――。





 オペラグラスを君に 結び その三 了

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