異形母たちの子守唄 その十

 一九二〇年六月二三日 帝都中久保町 夢幻座公演会場





 万媚は今しがた取り込んだ部分をそのまま細胞変化させ、次々と消化吸収器官を増設する。

 彼女の下半身はみるみる肥大し、白蟻しろありの女王にも通じる様相を呈し始めた。


 その異様さに呆然ぼうぜんとするしかない今日一郎、宮森、伊藤、澄だったが、播衛門だけは偉業として認識している。


⦅大規模な儀式なしで〈ショゴス〉と融和するとはな。

〈イドラ〉め、うらやましい能力を持っておるわい。

 確かに大昇帝 派が欲しがるのも無理はないか。

 ふむ、ここらで潮時しおどきじゃの……⦆


 得心えしんが行ったのか、次元孔ポータルを生成し帰還の準備を整えた播衛門。

 娘であり、伴侶でもある女性おんなに向け無慈悲な言葉を放つ。


「ふん、始末に追えぬと見て殺しおったか。

 お主らしいの。

 だが琳(澄)よ、はどうするのじゃ?

 子殺しを貫き通すのか、それとも……。

 まあ良い、時が来れば自らの宿業しゅくごうを思い知るじゃろうて。

 それから維婁馬いるま(今日一郎)、夜明け迄なら滞在を許す。

 それを過ぎたら問答無用で連れ帰るぞ。

 ではな……」


 次元孔ポータルが閉じ異物が去っても、比星 親子の気が晴れる事は無い。


 その間にも万媚……〈イ婦人〉は粛々しゅくしゅくと食事を進め、〈イサナ〉の遺体全てを消化吸収し終える。

 そして現れたのは、更なる変態を遂げた〈イ婦人〉。


 下半身、と言っていいのかどうかは判らないが、太く長いぶよぶよの体節に様々な生物の手足が列を成して備わっていた。


 下半身最前列の体節だけは上部に伸び、黒留袖を着た女形めぎょうへと繋がっている。


〈イ婦人〉が下半身を蠕動ぜんどうさせると、その器官内部から音が漏れ出た。


「シュアアアアァグルルウゥ……」


 声を漏らす異形。


 開帳した器官内部には、れっきとした人間ヒトの歯と舌を有している。

 そう、この器官は先程まで〈イサナ〉を食い漁っていた巨大口器。


 乙女はうたう。


「澄さん、そんなに悲しそうな顔はよしてください。

 私の本体である寅井 ふじ もそう思っていますし、貴方の息子の御蔭でこの肉体を手に入れられたのですから」


「……ふじ さん。

 あなたはもう、戻れないのですね」


 澄の歔欷きょきは未練がましくもあり、いさぎよくもある。


「ええ。

 感謝していますよ、澄さん……」


〈イ婦人〉の声音こわねは妖艶でもあり、清廉せいれんでもある。


 そして、さも嬉しそうに相方パートナーつのる〈イ婦人〉。


「ここでの仕事は終わったのですが、私はまだ物足りません。

 宮森さん。

 よろしかったら、これから私と踊ってください」


「……いいでしょう」


「ふふ、嬉しいわ。

 でも、ここは少し狭過ぎますね。

 外で御待ちしております」


『ジュバッ……』


〈イサナ〉を取り込んで得た巨体からは想像も出来ない程の敏捷びんしょう性を発揮した〈イ婦人〉。

 彼女は大天幕テントを突き破り、そのいただきに立つ。


 宮森の決意を感じ取り声を掛ける伊藤。


「やっぱ行くんすね。

 宮森さん、ちょっと待ってて下さい」


 伊藤は自身の背嚢バックパックから替え下着を取り出し、代わりにコルトM1911とウィンチェスターM1912用の予備弾倉スペアマガジンを詰め銃器と共に手渡した。

 予備弾倉スペアマガジン以外の内訳は、箱型懐中電灯、角灯ランタン、灯油、燐寸マッチ、工具箱、ロープ、水と食料、救急用品など。


 澄もそれにならった所で、伊藤に申し入れる宮森。


「外法衆はここでの闘いや人攫いの証拠を隠滅する為、敷地内の全てを転移させるだろう。

 居残っていては危ないから、澄さんを帝居まで護送してくれ。

 伊藤 君、電車に乗る前に貰った切符はまだ持ってるかい?」


「ええ、捨ててませんけど……」


「良かった。

 その切符を持ってさえいれば、〈ザイトル・クァエ〉の放出している花粉で催眠状態になったりはしない筈だ。

 澄さんを頼む……」


 伊藤が自身の任務を自覚しうなずく中、今日一郎は母の手を握った……。


 息子の体温が伝わったのだろう。

 澄は顔を上げ、涙をぬぐう。


「宮森さん、少しお待ちください……」


 澄は左腕の次元孔生成器官ポータルジェネレーターから、負革スリングさや付きの西洋両刃長剣ロングソードひと振りを物品引き寄せアポートした。

 彼女と今日一郎は共に霊力を高揚させ、先程の西洋両刃長剣ロングソードへと静かに流し込む。


 今度は宮森に触れ、その意志を伝える今日一郎……。


 の意思を理解した宮森は、澄から西洋両刃長剣ロングソードを受け取ると母子に礼を言う。


「……そう云う事だったのか。

 今日一郎、澄さん、ありがとう。

 そして、って来ます」


 去り行く宮森に笑顔を向ける伊藤と母子。

 彼らの笑顔で、宮森の覚悟は決まった。


〈ブアク〉との戦闘で損傷した箇所を再生させ、生体装甲バイオアーマーの修復を終えた宮森。

 彼の荷物は、西洋両刃長剣ロングソード、ウィンチェスターM1912標準タイプ、ウィンチェスターM1912ソードオフタイプ、スプリングフィールドM1903、コルトM1911二丁に加え、中身満載の背嚢バックパックが三つ。


 余りの大荷物に普通は戦闘どころではない筈だが、その問題は直ぐに解決した。


 宮森が霊力を高揚させると、彼の肩部装甲に加え後背部装甲も分割され始めた。

 分割されたそれは細長い形状へと組み上がり、先端部には多関節で構成された五指が備わっている。


 肩部左右からそれぞれ二本、後背部左右からもそれぞれ二本。

 総勢八本……いや、八臂はっぴと表現した方が正しいだろう。


 そう、宮森の肩部・後背部装甲が変形したのは所謂いわゆる造腕マルチアームだ。

 着想元は、あの天芭てんば 史郎しろう千手観音せんじゅかんのん増臂法ぞうひほうである事は言う迄もない。


 ただ相違点も有る。

 天芭の造腕マルチアームは身体の左側には左腕だけ、右側には右腕だけの構成となっていた。


 宮森のそれは天芭のものとは異なり、左肩装甲に左右両腕、右肩装甲に左右両腕となっている。

 後背部に展開している造腕マルチアームも同様だ。


 自身の物と合わせて十臂じゅっぴとなった宮森は、目前の大荷物を全て抱え切る。

 そして踵部付属肢ヒールジャッキを発動し、天幕テント開口部から夜空へと飛び出した。



 舞踏ダンスの誘いに乗った宮森に呼応するかの如く、〈イ婦人〉の獣口じゅうこう雄叫おたけびを上げる。


「オオオオオオオオオォォン……」


 狂おしくも何処どこか淋し気な鳴き声は、聞く者すべてに郷愁きょうしゅうもたらす歌のよう。


 おぞましくも何処か悲し気なき声は、聴く者すべてに哀愁あいしゅうを齎すうたのよう。


〈ショゴス〉で拵えた混ざりモノの複製とは云え、自らの息子を殺した澄。


 魔人達よる望まない妊娠と出産だったとは云え、自らの息子を喰らった ふじ。


 禁忌を犯した彼女らが許される事は無い。


 だが、それでも母たちはうたい続ける。


 図らずもこの苦界くがいに産み落としてしまった、自らの子らに手向たむける鎮魂歌レクイエム



 異形母マドンナたちの、子守唄ララバイを――。





 異形母たちの子守唄 その十 了

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