第十三節 オペラグラスを君に 結び

オペラグラスを君に 結び その一

 一九二〇年七月 帝居地下 研究区画





 帝都を騒がせた人喰いサーカス事件と帝劇の怪人事件から暫く経った頃、宮森の研究室にあやてい 親子が訪れる。


 綾・汀 親子の来訪理由は、〈ショゴス〉との融合で起こる拒絶反応を宮森に肩代わりして貰う事。

 それは彼が九頭竜会に勧誘される切っ掛けでもあり、彼本来の役割でもあった。


 詰まりは、邪霊が人間ヒトを侵食する際にもたらされる害を引き受ける役割。

 その身代わり役を、伝承学の世界では持衰じさいと呼ぶ。


 いつも通りの無邪気さで宮森に話し掛ける綾。


「宮森センセー、アタシと汀ちゃんダイジョウブなの~?」


「綾 様は今のところ問題ありません。

 汀 様は……調整が難しいですね」


「ぐーたーいーてーきーに~。

 わーかーりーやーすーく~。

 お願い♪」


「汀 様の(邪霊)定着率を上げる為には、長時間邪念水じゃねんすいひたって頂かねばなりません。

 しかしそれでは身体……特に骨格の成長に異常をきたします。

 汀 様が御不自由な身体に成長なされると後々支障が出るでしょうから、今は我慢して頂く他ありません」


 宮森の診断を聞きむくれる綾。


「ぶー。

 なら骨格異常も宮森せんせーが肩代わりしてよー」


「良く理解されていないようなので再度御説明します。

 自分が肩代わり出来なくなった分が、綾 様や汀 様に拒絶反応として表れるのですよ。

 ですから、異常が出てしまってからでは遅いのです」


「わかったー。

 じゃ、今日はこれでシツレーしまーす。

 あと、お兄様がすぐに歓談室まで来てくれって言ってたよ。

 なんか、せんせーにご褒美あげたいんだって」


「御褒美?

 承知しました。

 直ぐに向かいます。

 では綾 様、汀 様、御大事に」


 綾が退室しようとすると、汀が宮森に手を伸ばして来た。


「みぁもぉぃ、しぇんしぇ」


「うふふっ。

 汀ちゃんは宮森センセーが好きなのね~」


 宮森の指を握り、喃語なんごを発する汀。


 そんな汀を眺めた宮森は、ふじ への罪悪感と汀への煩慮はんりょで板挟みになる。


⦅自分は ふじ さんを生贄にして組織での立場を得た。

 そんな自分に、あの子とこの国を守り切れるだろうか……⦆


「汀ちゃん、宮森センセーにお別れ言って」


「しぇんしぇぅ。

 とっとぉ……」


「センセーはじゃないでしょ。

 とっとはお兄様。

 汀ちゃん、解った?」


「うぅぁ……。

 あ、あ、あうぅあぁぁぁぁーーーーーーーーーーっ!」


 宮森を父と呼ぶ事を否定された汀が泣き出した所で、綾は慌ててこの場を後にする。


 一方の宮森も、汀が自身の遺伝子を受け継いでいる事を悟られはしまいかと危惧きぐした――。





 一九二〇年七月 帝居 歓談室





 歓談室にまかり越した宮森は、自身を召し出した瑠璃家宮に理由を問う。


「殿下、この度は何の御用で?」


「実はな宮森。

 来年十月、英国で魔術結社の大会が行なわれる。

 世界の名立たる魔術結社にこの国の正式な代表、並びに九頭竜会の盟主として認めさせるには、大会までに大昇帝 派との趨勢すうせいを決しておかねばならん。

 条件は奴らも同じ。

 こちらを叩き潰す為、躍起やっきになり攻め立ててこよう。

 その戦いを制すには、其方そなたの力が是非とも必要である。

 解ってくれるな?」


「殿下に御期待頂けるとは恐悦至極。

 具体的には何をすれば宜しいので?」


「その事については追って連絡を入れるので今は考えなくとも良い。

 話は変わるが、綾と汀の調子が随分といいようだ。

 しばらくは症状を心配せずとも良かろう。

 宮森、其方は充分に働いてくれた。

 来年からは忙しくなる。

 この際、里帰りでもしてみてはどうだ。

 家族とは長らく会っていないのだろう?」


 降って湧いた提案だが、宮森は素直に喜べない。

 彼は名実共に瑠璃家宮の側近。

 当然、外出時には警護が付く。


「では、日程を詰めしだい護衛と同道して……」


「其方が裏切る筈も無し。

 監視は付けなくとも構わん。

 元よりその必要も無い」


「と云いますと……」


「先日下げ渡した足玉たるたま

 アレは、余が所持している祭器と云わば兄弟のようなモノ。

 深い関係にある祭器同士は共鳴現象を起こす。

 足玉が其方の許にある限り、そちらの位置は余に知れると云う訳だ」


 足玉の謎めいた機能に驚く宮森だったが、ここで動揺してはこれからに関わる。

 宮森は人格を裏に切り替え、何事も無かったかのようにへつらった。


「殿下に見守られているとなれば千人力を得たようなもの。

 この宮森、感謝にえません。

 御言葉に甘えまして、いとま頂戴ちょうだいいたします。

 八月上旬の旧七夕きゅうたなばた儀式以降に出発すると思いますが、他に条件は御座いますか?」


「ふむ……。

 郷里には最低七日間滞在せよ。

 先の条件を守るなら、くに以外はどこへなりとも行って構わん」


「承知しました」


「大昇帝 派と本格的にぶつかるとなれば、余とて命の保証は出来ん。

 今生こんじょうの別れになるやも知れんから、家族とは有意義に過ごせ。

 良いな?」


「有り難き幸せ……」


 宮森が最敬礼しようとするも、瑠璃家宮が制する。

 まだ話が有るらしい。


「褒美の話がまだだったな。

 今後其方には、真道院しんとういん大学の客員教授として動いて貰う」


「この年で教授だなどと御冗談を。

 殿下も御人おひとが悪い……」


「冗談ではないぞ。

 既に大学にも話は通してある。

 なに、学生の前で講義をしろと言っておるのではない。

 其方の活動に支障が出ぬよう、肩書をくれてやると云うのだ」


「早とちりをしてしまい申し訳御座いません。

 殿下の御心遣おこころづかいを無駄にせぬよう、誠心誠意つとめさせて頂きます」


 いつ迄も堅苦しさを払拭ふっしょくし切れない宮森に苦笑する瑠璃家宮。

 対する宮森も、虚偽の笑顔で場を取りつくろう。


 そんなこんなで、宮森の里帰りが決定した――。





 一九二〇年八月 静岡県小山町おやまちょう





 宮森は今、寅井 ふじ の故郷を訪れていた。

 帰郷前に、彼女がどのような場所で生まれ育ったのか確かめたかったのだろう。


 ふじ の実家は裕福な材木問屋である。

 この国の急速な工業化と云う時流に上手く乗れた為、そこそこの儲けを出していた。


 ふじ の四十九日もとうに過ぎ、彼女の実家は日常を取り戻しているかに見える。

 そう、見えるだけだ。


 顔には出さなくとも、ふじ の家族は深く哀しんでいる。

〈イ婦人〉との闘いで成長した宮森には、それが知れた。


 宮森は、自分が ふじ を殺した下手人げしゅにんだ、と全て打ち明け、彼女の家族の前で断罪される事を望む。

 だがそれは叶わぬ願いだ。


 ふじ の家族を巻き込まぬよう、早々に町を去る決心をした宮森。

 そんな彼が駿峨するが駅に向かうと、顔馴染みが声を掛けてくる。


「まさか、自分を心配して来てくれたのかい?

 いや、そんな訳はないか……」


 気だるそうに「ニャー」と鳴いた顔馴染みは、宮森を誘うように駅の乗降場ホームへと駆け上がって行く――。





 オペラグラスを君に 結び その一 了

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