異形母たちの子守唄 その三

 一九二〇年四月三〇日 富士山麓 外法衆の施設





 無事出産を終えたものの、虚脱を通り越し失神している ふじ。


 それに乗じて自身の仕事を着々とこなす翁。


「赤ン坊ノ細胞採取ハ完了ト。

 次ハコレデスネ……」


 翁の部下が薬品棚から共栓瓶ともせんびん取り出すと、中身の薬液を注射器に移し始めた。


[註*共栓瓶ともせんびん=栓と瓶を共通の材質で製造した実験器具。

 多くはガラス製。

 気密性を高めるため、栓と瓶の接触部分にり合わせ加工が施されている]


 疑問に思ったのか、翁に問う痩男。


「翁よ、それは何だ?」


「元々ハ仙境ノ科学者達ガ開発シタ物質デ、猩々ガ作ッタ巨大籠細工トモ同根デス。

 後ハホラ、フクヨカナ退場門係ノ女性……」


「あの大女か。

 名前は確か……うららだ」


「ソウ、ウララサンデスヨ。

 簡単ニ言エバ、彼女ノ巨体ヤ巨大籠細工ノ構造材ニ使用サレテイル炭素膜ヲ酸化サセタ物質デス。

 粒子ガ非常ニ細カイ上、様々ナ物質ヲ添加スル事ニヨッテ……」


 これ以上話が長くなってはたまらない、と思ったのだろう。

 要点のみを所望する痩男。


「詳しい説明はいい。

 要するに、その物質で何が出来るのだ?」


「先ズ、狙ッタ場所ニ薬剤ヲ届ケル事ガ出来マス。

 次ニ電流ノ通リ具合ヤ、細胞間デ行ナワレル信号切リ替エヲ調整スル事デスネ」


「読めたぞ。

 薬を任意の場所に届けられると云う事は、毒も届けられると云う事だな。

 電流や細胞間信号に関しては、魔術以外での人体操作へ繋がる。

 前述の効果を組み合わせると、病に罹患りかんさせたり殺す事さえ可能となるか」


「ソノ通リデス。

 更ニ研究ガ進メバ、人体ニ埋メ込ンダ電子装置ニ電力ヲ供給シ、感覚ヤ感情サエ操ル事ガ可能トナルデショウ」


 翁の驚くべき見解に、口の端を歪めて笑う痩男。


「となると、電気を使って幻覚を視せる事が可能になるな」


「エエ。

 今現在薬物使用ナシデ幻夢界げんむかい(二次元)ヤ魔空界まくうかい(一次元)ヲ知覚デキルノハ、一部ノ遺伝特性ヲ持ッタ一族ダケデス。

 アナタ方 比星 一族ガソウデスネ。

 大半ノ者ハ薬物ニ頼ラネバ、神々トノ交信スラ覚束おぼつかナイ」


「それが将来、全人類規模で神々との交信が可能になる。

 なるほど、神々がこの次元に復活する為の最善手と云う訳か」


「ソノ為ニモ、今ノウチカラ技術ヲ磨イテオキマセントネ……」


 きょうが乗って来たのか、珍しく嬉しそうな表情の痩男。


「その物質は一度人体に入れるだけでいいのか?」


「イイエ。

 一定期間デ人体カラ排出サレルノデ、定期的ナガ必要デス」


「注射などが必要、と云う事か?」


「注射デ接種シテモ良イノデスガ、別ノ方法モ試シタイノデス」


 翁の勿体もったいぶった言い方に、思わず気がいてしまう痩男。


「翁、別の方法とは何だね?」


「原料ヲ摂取サセルノデスヨ。

 後デ彼女ニ後催眠暗示ごさいみんあんじヲ掛ケ、食材ニ対スル忌避感ヲ取リ除キマス」


「ほう……。

 で、その食材とは?」


「椰子ノ実ノからニモ含マレテイルノデスガ、コノ国デハ大量ニ入手スル事ガ出来マセン。

 ソレニ、粉末ニスルノニモ手間ガ掛カリマス。

 ヨッテ、彼女ニハ昆虫ヲ食ベテ貰イマス」


 昆虫を食させるとの翁の言に、流石の痩男も食い付いた。


「昆虫だと?

 虫を食えば、くだんの物質が出来るのか?」


「ハイ、体内デ合成サレルヨウデスネ。

 ソシテ特ニ含有量ノ多イ昆虫ガ、こおろぎデス。

 彼女ニハ蛩ヲタクサン食ベテ貰イ、ソノ物質ヲ切ラサナイヨウニシテ貰ワネバ」


「なるほど、頭を病んだ者はまれに虫を食う。

 その者に憑いた邪霊が、虫から出来るその物質を欲していたのだな」


「痩男サン、ゴ名答デス」


 自身の専門とする邪霊召喚と昆虫食が繋がり、痩男も興味津々のようだ。


「邪霊と繋がり易くする物質……。

 翁、その物質の名前を訊いておきたい」


「……酸化サセタ炭素膜ナノデ、漢字デハ酸化炭素膜ト云ウ字面じづらニナルデショウ」


「横文字では何と言うのだ?」


「直訳スルト、〖grapheneグラフェン oxideオキサイド〗デス」


 翁は説明がてら酸化炭素膜グラフェン・オキサイドを ふじ へと注射し、その後部下に指示を出した。


「被験者ノ体内デ酸化炭素膜グラフェン・オキサイドガ血栓ヲ生成シナイヨウ、交替デ調整ヲ御願イシマス。

 ソレカラ、後催眠暗示ヲ使ッテ蛩ヲ大好キニサセルノモ忘レナイヨウニ。

 デハ痩男サン、ワタシハ出産ガ無事済ンダ事ヲ大悪尉サンニ伝エテキマスネ」


「頼む……」


 翁が退室すると、痩男は ふじ への精神進入を開始した。


 ふじ の額に次元孔ポータルを出現させ、自らの右手を差し入れる痩男。


⦅先ずは、松果体に次元孔を接続しなければならない……⦆


 右手が脳中心部に在る松果体へ到達すると、そこにも次元孔ポータルを生成する痩男。


⦅良し。

 これでこの女の精神へ入れる……⦆


 痩男の霊力が発揚はつようすると、手術室に変化が現れた。

 展開済みの次元孔ポータルが振動を始め、辺りが耐え難い悪臭で満たされる。


 悪臭はかなり強烈らしく、魔術師でもある翁の助手達でさえ嘔吐していた。


 一方、助手達に警告する痩男は涼しい顔のままである。


「耐え切れない者は速やかに退室し給え。

 長く留どまると、精神が疲弊ひへいしてしまうからな」


 不幸にも、次元すら超越する邪神の片鱗を知覚した助手達。

 ひとり、又ひとりと退出して行き、残りは ふじ と痩男だけになる。


 儀式が大詰めに差し掛かると、これまで鉄面皮てつめんぴを崩さなかった痩男も額に汗を浮かべていた。

 何故ならば、彼は自身の精神を ふじ の幻夢界へと投じているからである。


 そう、彼女のはくを喰い尽くさんとする幻魔を探し求めている最中なのだ――。





 一九二〇年四月三〇日 寅井 ふじ の幻夢界





 和洋折衷の近代建築が立ち並ぶ街。

 遠くには純和風の村々があり、高山の麓には里山が、海岸のそばには漁村が在った。


 上鳥居 維婁馬のそれとは違い、寅井 ふじ の幻夢界は至極まっとうな風景を見せている。

 それと云うのも、彼女の生家はそこそこ裕福であり、近親者からの虐待なども受けていないからだ。


 逆に言えば、まともな生活を送れていない場合、精神風景は荒廃する可能性が大半だと云う事。

 そう、自身の祖父であり父でもある上鳥居 なおから、度重なる性的虐待を受けていた維婁馬のように……。


 明るい風景の中を歩いていた痩男……瀬戸 宗磨だったが、彼の目的はそこには無い。

 用が有るのは、彼女が普段見せない後ろ暗い部分だ。


⦅この女の幻夢界に入ったが、今のところ目ぼしい場所は見当たらない。

 街の方へ行ってみるか……⦆


 宗磨が街へ入ると、そこには賑やかな世界が広がっていた。

 通りには人々がごった返し、飲食店や百貨店に立ち寄っている。


 中でも盛況なのは劇場だ。

 瀬戸はここが怪しいとにらみ、中へと入る。


 劇場内の装飾はまさしく絢爛豪華。

 しかし、どこか淫靡いんびで退廃的な要素も感じられる。

 ふじ の根幹に迫ったと自覚したのか、瀬戸も満足気だ。


 観客席は満員御礼。

 瀬戸が席に着くと、舞台の幕が上がる。


 舞台上で演じる役者は、当然ふじ自身。

 最初は独り芝居だったが、別の役者が現れた。


 その役者も、ふじ である。

 現実世界では有り得ない事も、ここでは特段珍しい事ではない。


 だが精神世界の事柄に詳しい瀬戸は、彼女らの異変に気付く。


⦅奴が邪霊だな……⦆


 後から現れた方の ふじ が、元から居た ふじ の頸筋に突然咬みつく。

 観客からは悲鳴や非難が上がるかと思われたが、予想に反して歓声が沸き起こった。


 咬みついた方の ふじ が食事を進める度に、犠牲者の霊性が堕ちて行くのを瀬戸は感じ取る。


⦅……邪霊が定着を始めた。

 さて、鬼が出るか蛇が出るか……⦆


 腹が一杯になったのだろう。

 咬みついていた方の ふじ は食べがらを放り出し、その身体を変容させ始める。


 ドレスの裾からは様々な生物の手足が多数出現し、ドレスの模様は多数の眼球へと変わった。

 更に、両手指から伸びる黒い鉤爪。


 その様子を見物していた瀬戸が心中で一言。


⦅波邇夜須壺との相性の良さをかんがみると〈アブホースの落とし子〉かとも思ったが、どうやら違う。

 早く大悪尉に知らせねば……⦆


 瀬戸の姿が観客席から消える。


 彼は大悪尉を迎えに行く為、物質界(三次元)へと帰還したのだ――。





 異形母たちの子守唄 その三 了

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