ガヤイチの怪 その四

 一九二〇年六月 帝都市谷





 今日一郎は認識阻害術式を展開。

 伊藤との会話に踏み切る。


『なるほど。

 その鎧は〈ミ゠ゴ〉と融合した宮森さんが生成したのか。

 伊藤さんと云ったね。

 貴方の正直さに免じて、ひと先ず言う通りにしよう……』


『はぁ、はぁ……。

 何とか解ってくれたみてーでありがたいぜ。

 つかぬ事をお聞きしますが、後ろの弟君は明日二郎シショーとは違うの?』


『明日二郎とは違う。

〈イサナ〉だ』


『〈イサナ〉君、ね。

 随分と大きく育ってるみてーだけど、今んとこ暴れる素振りは見せねーな』


 今日一郎の言葉に、体表に散らばっている眼球をパチクリさせて反応する〈イサナ〉。


『それは相手による。

 嫌いな相手には容赦しない』


『一般人には手出ししてねーみたいだし、信じるぜ。

 じゃ、もーひとつ。

「六月二三日の未明に夢幻座公演会場まで澄さんを連れて来い」って、万媚 姐さんから言われてんだけど……』


『万媚は知っているが、母さんを呼び出していた事は今聞いた。

 まあ、〈イサナ〉は会いたいだろうけど。

 そうだろ、〈イサナ〉?』


『ア、アイタイ……。

 オ、オカ、オカアチャン……』


 舌足らずな〈イサナ〉にある種の不憫ふびんさを感じた伊藤は、慎重に言葉を選び質問し続ける。


『やっぱり〈イサナ〉君は澄さんの息子なんだな……。

 君達……ああ、一般人に見られてんのは今日一郎 君の方だけだと思うけど、怪談として噂になってんのは知ってる?』


『知らないね。

 俗事には興味が無いし、僕と〈イサナ〉は陸軍の地下施設でほぼ軟禁状態だよ』


『そ、そーだったんだ……。

 さっきの……ほら、俺捕まえたヤツ!

 転移魔術っていうんだっけ?

 アレでひとっ飛びして逃げらんないの?』


『伊藤さん、転移魔術を使えるのは僕だけじゃない。

 逃げた所で追い掛けられるのは目に見えてる。

 それに、僕は重度の遺伝病でね。

 薬がないと生きていけないんだよ。

 だから、外法衆の息が掛かっている施設から逃げだすのは今のところ無理かな……』


『オ、オニ、オニイチャン。

 カワイソウ、ソウ、ウ……』


 今日一郎の諦念ていねんに同調したのか、〈イサナ〉の目……体表に植わっている多数の眼球に涙が浮かぶ。


〈イブン・ガジの粉〉の効用でその様子を認識できている伊藤が恐る恐る切り出した。


『き、君達も大変なんだね……。

 じゃ、話題を変えよう。

 実はここ最近、政治家や帝劇のお偉いさん達が万媚に誘拐されてんだけど、どこ行ったか知らない?』


『知っているよ。

 なあ、〈イサナ〉』


〈イサナ〉は何かを思い出すかの如く視線を宙に固定すると、その口から大量のよだれを垂らし始める。


『ト、トテ、トテモ、オイシカッタ、デスデス……。

 ジュ、ジュル、ジュルルルルゥゥウゥゥッルンルン♪』


『あー、もう食べちゃってたのね……。

 んじゃ次の質問。

 君達が軟禁されてる陸軍の地下施設って、この近くの陸軍士官学校かな?』


『そうだよ。

 まあ、殆どの教員と学生は知らないけどね。

 その地下施設で〈イサナ〉を育ててたんだけど、〈イサナ〉も大きくなって来たし、外の世界を見せてやりたいと思ってさ』


『だから夜中に散歩してると……。

 君達の行動は解った。

 一般人を襲ったりはしねーだろうから、宮森さんも安心するでしょ。

 んじゃ最後に。

 外法衆が夢幻座公演会場で何してるか知ってる?』


 伊藤を真っ直ぐに見詰めて答える今日一郎。

 背後の〈イサナ〉も同様である。


『公演初日は五月祭。

 そして、貴方方が呼び出されている日付は夏至の翌日。

 邪神崇拝の儀式を行なっているのは確実だね。

 母さん以外の招待客……詰まり貴方と宮森さんの事だけど、儀式の生贄なのは言う迄もない』


『やっぱそうなるか~。

 詳しいご説明あんがとね。

 で、多分そこでドンパチやる事になると思うんだけど、助太刀すけだち頼めたりなんかしちゃったりする?』


『それは出来ない。

 比星 家は大昇帝 派と瑠璃家宮 派の争いには不干渉を貫く決まりなんだ。

 詳しくは宮森さんに訊いてくれ』


 今日一郎が霊力を集中すると空震が起き、伊藤の目前に小さな次元孔ポータルが現れる。

 続けて今日一郎が念動術サイコキネシスを発動すると、次元孔ポータルからてのひらに収まるぐらいの物体が転移して来た。

 信号弾の燃えかすである。


 信号弾の燃え滓を伊藤の手に運び、彼に通告する今日一郎。


『偶然近くに居合わせた一般人が帝居方面へと向かっている。

 きっと、〈イブン・ガジの粉〉の所為でこちらのやり取りを視てしまったんだろう。

〈イサナ〉の姿を直視してしまっては、軽度の認識阻害術式は効かない。

 僕達は今から帰るけど、伊藤さんは外法衆に感付かれている可能性も有る。

 夜道にはくれぐれも気を付けて……』


 別れを告げた今日一郎が歩み始めると、〈イサナ〉も地を這って付き従う。


 怪人姿の伊藤は、両足の付属肢ジャッキ全力フル稼働させ帝居方面へと急いだ――。





 伊藤が帝居の外堀を越え中央線市谷停車場辺りに来た頃、ひとりの男性が血相を変えて走って来る。

 その男性は伊藤を見付けると、彼の長着ながぎの袖を掴んで泣きわめいた。


 大の男が鼻水垂らして震えるていたらくに、仕方なく男性をなだめる伊藤。


「おっさんどうした。

 ぎにでも出くわしたのか?」


「違う!

 幽霊の小僧と……ば、化けもんだ……。

 ありゃあ、この世のもんじゃねえ……」


「化けもん?

 化けもんってなー、いったい何なんだよ?」


 伊藤の問いに、頭を抱えて塞ぎ込む男性。


「どこもかしこも大福の皮みてえにぶよぶよでよぉ……。

 虫とか蚯蚓みみずをくっつけたみてえな図体でよぉ……。

 目ん玉がそこら中に付いてんだよぉ……。

 心太ところてんみてえな腕何本も伸ばしてよぉ……。

 化けもんが息するたんびに出たり入ったりしてんだよぉ……。

 そんで青紫の輪がびかびか光ってよぉ……。

 あああああああああぁぁぁぁぁっ、神様仏様っ!」


「おっさん大丈夫か⁈」


「顔が……顔が付いてたんだよぉ。

 目だけが赤くてぇ……幽霊の小僧とそっくりの顔が付いてたんだぁっ!

 付いてたんだよおおおぉうおおおおぉおおぅうぇぇぇっっ‼」


 伊藤は錯乱した男性の背中をさすってやる。


「分かった。

 分かったから先ず落ち着けよ。

 なっ?」


「お、落ち着いてなんかいられるかっ!

 それにもう一匹、もう一匹いたんだ。

 ありゃ、近頃帝都を騒がせてるって新聞に載ってたヤツだよ。

 帝劇の怪人だ!」


「化けもんに怪人ねぇ……。

 んで、そいつらどうなったの?」


「闘ってた……。

 そうだ、闘ってたんだ。

 怪人は幽霊の小僧と、化けもんとも闘ってたんだよ‼

 で、でも……」


 いい加減面倒になったのか、伊藤はぶっきらぼうに問う。


「でも何なの?」


「負けたんだ……。

 怪人は化けもんに磔にされて、殺されちまったんだよ……」


「怪人が殺されただって?

 とどめ刺されたとこでも見たってのかい」


「見てねえよ……。

 怪人が殺されたら次は俺の番だと思って、ここまで必死で逃げて来たんだからよーーーーーーっ!」


 余程怖かったのだろう。

 男性はうつむいて固くまぶたを閉じている。


 男性は暫くそうしていたが、瞼の上から黄土色の光が差し込むと違和感を覚えた。

 掴んでいた袖の感触が消えたからである。


 男性がハッとして目を開けてみると、そこにはなんとも形容しがたい容姿の『怪人』がたたずんでいた。


 怪人は男性に対し不服を申し立てる。


「殺されたなんてバカ言っちゃいけねえや。

 幽霊小僧と化けもんとは話し合って……。

 そう、和解したんだよ。

『化けもん同士で争って何になる。どうせなら、人って仲良く喰い合おう』ってな。

 という訳でおっさん、あんたは和解始まって以来の獲物なんだよ。

 このまま……俺達に大人しく食われてくれや!」


「て、て、帝劇の……かい、じん?

 で、で、出たーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ‼

 は、離せっ⁈

 あぁぅ……」


 怪人は暴れ出した男性を取り押さえ、頸動脈を圧迫し気絶させた。

 そして、周囲に誰も居ない事を確認し生体装甲バイオアーマーを解除する。


「やっぱ派出所に連れてかなきゃ駄目だよなー。

 あーもー、めんどくせー」


 伊藤が男性を担ぎ立たせると、生温かい感触が彼の右腿辺りに広がった。

 彼は急速に版図はんとを広げる染みを眺め嘆息たんそくする。


「何で俺が担いだ途端に漏らすんだよ~。

 あ~、生体装甲解除するんじゃなかった~~~~」


 まだ若干冷えの残る帝都の夜に、湯気と伊藤のぼやきがホカホカと立ち昇る。


 この後『帝劇の怪人』と『ガヤイチの怪』は、第二次世界大戦前の帝都における代表的な怪談として語り継がれるのであった――。





 ガヤイチの怪 その四 了

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