ガヤイチの怪 その三

 一九二〇年六月 伊藤の下宿先





 帝居地下での研究を進めた宮森は、伊藤にある調査を依頼していた。


『……と云う訳で伊藤 君、「ガヤイチの怪」の真相を突き止めてくれ』


『まあ、シショーの兄貴かもしんないっつーんならやるしかないっすね。

 な、シショー?』


 だが、当の明日二郎は気乗りしない様子。


『もしかして、もしかしてだぞ。

 もしガヤイチの怪の少年がオニイチャンでジイ様(比星 播衛門)や瀬戸せと 宗磨そうまが関わってた場合、オイラは消されるかも知れないんだ。

 嫌だ……イヤすぎる!』


『少しでも危ないと思ったら伊藤 君から離れてくれ。

 それでも駄目か?』


上鳥居かみとりい 一族との不用意な接触。

 ダメ! 絶対‼』


 三対さんついの胸脚をばつの字に揃えるものだから、宮森はそれ以上の要求が出来なかった。


『仕方ねー、俺ひとりで何とかしてみるっす。

 ガヤイチの怪でしたっけ、その話では「弟の散歩」を邪魔しなけりゃ酷い目には遭わないんすよね?

 遠目から観るだけだったら被害には遭わんでしょーし、あわよくば会話も可能かも』


『調査の際は明日二郎を切り離し、ここに留守番させておいてくれ。

 伊藤 君の方は、危険を感じたら直ぐここに思念波を飛ばす事。

 明日二郎が自分に中継してくれる。

 それから、中久保町の夢幻座公演会場には近付かないように。

 何か有ってからでは遅いからね。

 後、生体装甲の展開はとちらないようにしてくれよ』


『まあ、周りは田んぼだし水分には困らないでしょ。

 シショーなしでもやってみせますって!』


 威勢良く返事をした伊藤が頼もしく映ったのか、宗像から借り受けた信号拳銃と信号弾を伊藤に渡す宮森。


『この弾薬は〈イブン・ガジの粉〉と云うものだ。

 普段は霊的存在を認識できない者でも、〈イブン・ガジの粉〉を浴びた対象なら視認できる。

 要は、霊感が無くても幽霊を視れるって事。

 明日二郎が居ないぶん霊感が発揮できないだろうから、霊的存在を確信したらこれを使ってくれていい。

 判断は君に任せるよ』


『選択肢に入れときまーす』


『じゃあ、今から信号拳銃の使用方法を送ろう。

 明日二郎、頼む……』


 宮森が思い浮かべた資料映像を伊藤の脳裏に流し、据え付けインストールを完遂する明日二郎。


『おー、こーやって使うんすねー』


 伊藤はこれから出会うであろう未知なる怪異に、高揚感と危機感を同時につのらせていた――。





 一九二〇年六月 帝都市谷





 伊藤はここ最近、ガヤイチの怪の正体を暴こうと夜の帝都に繰り出している。

 シショーである明日二郎が同行しない中での探索だが、これも修業の一環と割り切り平常心で臨んでいた。


 伊藤はいま帝居の外堀そとぼりを渡ったばかりで、北は神楽坂かぐらざかに、南は四谷に通ずる。


 伊藤は貧民窟の在る四谷を避け、目撃証言の有った納戸町なんどまちへと向かった。


 街灯も乏しいこの時代の夜道。

 常人は提灯ちょうちんを持ち歩く事がつね


 但し伊藤は違う。

 目立つのを嫌ったのは勿論だが、出かける前に明日二郎から暗視ダークビジョンを付与して貰っていたのだ。


 その御蔭で暗い夜道も気にせず歩ける彼は、両手を頭の後ろで組んで口笛吹き吹き探索を楽しむ。


 仲之町なかのちょうへ着いたが、特に目ぼしいものは見当たらない。

 月明かりの銀幕スクリーンに、鳥や犬猫、蛙、虫の鳴き声が添えられ、湿り気を帯びた風がただ渡って行くばかりだ。


 納戸町から北へ向かい牛込うしごめの辺りに来た伊藤は、『今夜も空振りかーい』と見切りを付け道を引き返す。


 その時だった。


『ブゥーーーーーーーーーーーーン……』


 辺り一帯の空間が振動し、蛙や虫の泣き声が止まる。


 何事かと身構えた伊藤は煙草入れシガレットケースに手を添え、いつでも生体装甲バイオアーマーを纏えるよう準備した。


⦅この振動、東南の一丁目辺りからだな……⦆


 伊藤は震源を探るべく東南の方角に足を向ける。


 草木も眠る丑三うしみどきと云うが、眠ると云うより植物が自発的に息をひそめているが如く伊藤には感じられた。

 彼には、植物の呼吸さえも減衰させる程の空震くうしんが一帯を支配しているのが判る。


 伊藤は目標位置を計算し田んぼの畦道あぜみちへと入った。

 そして手頃なやぶを見付けて入り込み、中で生体装甲バイオアーマーを纏う。


 生体装甲バイオアーマー装着中は身体能力が強化されるのを利用し、見渡せるりまで近付き震源を眺望する伊藤。


 そこには、幼い子供がひとり夜道を歩いていた。

 そして、子供が歩く度に道両端の草が根こそぎ倒れている。


 草擦くさずれの音も踏み倒された草の匂いもはっきりと知覚した伊藤は、不自然なわだちを付け乍ら歩く子供に警戒の念をあらわにした。


⦅確かに何か大きなもんが通ってるみてーな感じがある。

 一か八かやってみるか……⦆


 伊藤は生体装甲バイオアーマーの右腿を展開して信号拳銃を取り出す。

 左腿も同様に展開し、宗像特製の〈イブン・ガジ信号弾〉を装填。

 対象が居ると思われる地点の上空に向け信号弾を発射した。


 信号弾とは云うものの、強い発光や発煙が有る訳ではない。

 有るのは推薬すいやく時の発光ぐらいで、隠密使用にも問題は……


『パン!』


 有った。


 どうやら、爆発時の音までは隠せないようである。


 その音に気付いた子供が上空を観ると、月明りを反射した〈イブン・ガジの粉〉が舞い散った。

 キラキラと光るそれは、付着した霊的存在をこの世に引き摺り出す。


 子供の背後に控えている存在を注視した伊藤は驚愕きょうがくに打ち震えた。



 目、鼻、口、耳などの人間ヒトの顔や頭部に相当する器官が見当たらず、ブヨブヨしたにかわ(ゼラチン)質の体節にはおびただしい数の眼球が植わっている。

 体色は半透明の灰桜色はいざくらいろで、満遍まんべんなく散った青紫色の輪紋が特徴的だ。


 体表前面には、人間ヒトの手を中途半端に真似たような胸脚きょうきゃくが三対。

 その下部にけいの太い腹脚ふくきゃくが四対。

 脚部とそれに近い体節だけはキチン質で、竈馬かまどうまに似た後脚こうきゃくが生えていた。


 体表側面には麹塵色きくじんいろ領巾ひれに似た触手が一面に突き出しており、先端は唇状しんじょうになっている。


 そして頭頂部らしき箇所に覗くのは、赤い目をして顎の無い、明日二郎と同じ顔――。



⦅な、なんだーありゃ⁈

 道幅いっぱいのデケー身体に、シショーそっくりのカオカタチ!

 こりゃ宮森さんに直ぐ知らせねーと!⦆


 伊藤が藪を跳び出すと、子供が伊藤の方角を視た。


『ブゥーーーーーーーーーーーーン……』


 もう一度空震が起こったのを伊藤は知覚したが、一刻も早く宮森へ連絡せんと我武者羅がむしゃらに走る。

 子供の足では追い付けないだろうと後ろを振り返った彼は、強化された視力で子供から充分に離れた事を確認した。


 伊藤は気を落ち着け、宮森 あて精神感応テレパシーを試み……離れてはいなかった。


 伊藤が前を向いた途端次元孔ポータルが目の前に展開。

 そのまま次元孔ポータルへ突っ込み初めての転移を味わった彼は、強烈な眩暈めまいを覚えてよろめいた。


 立ちくらみから回復した伊藤が顔を上げると、そこには白面はくめんの少年と巨大な明日二郎に似たナニかが彼を見詰めている。


 少年が肉声で話し掛けて来た。


「何者だ?」


「嘘だろ⁈」


 伊藤は横っ飛びで離脱を図るも、移動先に次元孔ポータルを展開され元の位置に戻されてしまう。

 腹を決めた彼は、事態を打開せんと少年目掛け拳を打ち込んだ。


『ブゥン……』


「かはぁっ⁈」


 しかし伊藤の繰り出した拳が向かった先は……彼自身の土手っぱらである。

 腹を抑えうずくまる彼は、少年の顔前に開いている次元孔ポータルが閉じる所を視た。


 腹部打撃ボディブローが余程効いたのだろう。

 伊藤がうめき声を上げて苦しむ中、少年は背後の怪物に仕事を頼む。


「【イサナ】、奴の手足を縛ってくれ」


「ワ、ワカ、ワカッタ……」


 体格に似合わない幼児声で返事をした怪物は、触手を伸ばし伊藤を大の字の姿勢で宙吊りにした。


 空中ではりつけ状態の伊藤を詳細に精査スキャンする少年。

 特に生体装甲バイオアーマーの構造には目を見張っている。


 そして、生体装甲バイオアーマーに縫い込まれた霊力に見知ったものを感じた少年は伊藤に疑問を投げ掛けた。


「その鎧の構造からして、さっきの攻撃は本気じゃなかったようだね。

 何故だ?」


「はぁ……はぁ……。

 子供を本気で……殴れるかよ。

 それに、宮森さんから君の事は聞いてる……」


「確かに、その鎧からは宮森さんの霊力を感じるね。

 名前を聞こう」


「はぁ……はぁ……俺は、伊藤 開智かいち

 宮森さんの、荷物持ちだよ。

 君は比星 今日一郎 君、だよな……。

 はぁ……はぁ……あんたら一族の、経緯いきさつも聞いてる。

 播衛門とか、瀬戸 宗磨、だっけ?

 厄介な身内もいるみたいだから、はぁ……はぁ……できれば、精神感応で話したいんだけど……。

 ……あと、俺は新米で魔術が得意じゃねーんだ。

 精神波の遮蔽しゃへいと認識阻害術式っつたか、はぁ……はぁ……あれ使ってくれると、助かる。

 特に後ろの弟君おとうとくん、今は霊感が無い奴にも、丸見えみてーだからよ……」


『確かめさせて貰う。

〈イサナ〉、やってくれ……』


 今日一郎が頼むと、後ろの怪物が触手を震わせ伊藤に伸ばして来た。


「ちょ⁈

 ちょい待ち!

 何すん、だああああああぁぁあああああぅうああああぁっ!」


 怪物の触手は生体装甲バイオアーマーの至る所を這い回り、伊藤の精神波を読み取った。


 伊藤は強烈な吐き気をもよおしたが、生体装甲バイオアーマーを装着している今、ゲロをぶちまけると大惨事になってしまう。

 彼が気合で吐き気を我慢していると、ようやく怪物の触手が引っ込み地面へ降ろされた。





 ガヤイチの怪 その三 了

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