サーカスがやって来た! その六

 一九二〇年四月三〇日 帝都中久保町 夢幻座公演会場





 官憲達の目が貼り付いているとは知らず退場門を目指す ふじ。

 その途中、一軒の出店が彼女の目に留まる。


 見世物小屋出口の奥と云う目立たない場所にひっそりと店を構えていたのは占い小屋。


 ふじ が占い小屋に近付くと、隣の迷子預かり所から子供のむずがる声がする。

 子供の声に思う所が有ったのか、彼女は下腹を押さえ占い小屋へと入った。


 小屋の内部中心にはテーブルが在り、その手前と奥に椅子が一脚づつ。

 奥にも部屋が在るようだが、天井から垂れ下がる裸電球の明かりが頼りにならないのではっきりとは判らない。


 外は大層賑わっているが、ここは閑古鳥かんこどりが泣いている。

 いや、閑古鳥だけではない。


「チッ、チチッ……」


 奥から出て来たのは、ここのあるじと思われる中東風の民族衣装を着た熟年女性。

 彼女は鳥籠を下げており、中の白文鳥しろぶんちょうが鳴いていた。


「まあ可愛い」


 白文鳥を見た ふじ が相好そうごうを崩すと、飼い主だろう女性が挨拶する。


「悩める貴女あなたをお手伝い……。

 ようこそ占い小屋へ。

 見物されてお疲れのようですね。

 今お茶を用意しますから少々お待ち下さい。

 お茶の料金は頂きませんのでご心配なく」


「あっ、ありがとうございます……」


 女占い師は奥の部屋へ行き茶を入れに掛かった。


 茶筒には、〘カミトリー 播衛門 濃いめ〙と表記されている。

 茶葉の銘柄だろうか……。


 なし崩し的に茶をきっする事となった ふじ は、出された茶を申し訳なくすする。


 ふじ が茶を飲み終えるのを待ち、女占い師が告げた。


羽衣はごろもと申します。

 ご覧の通り暇で暇で。

 何かお悩み事があるようでしたらおっしゃって下さいな。

 私とこの文吉ぶんきちがお手伝いさせて頂きます」


「こんばんは羽衣さん。

 寅井 ふじ と申します。

 実は悩んでいる事がありまして……」


「それは、今お腹にいらっしゃるお子さんの事ですか?」


「すごい……。

 占ってもいないのによく判りましたね」


 妊娠している事を言い当てられ、狼狽ろうばいしてしまう ふじ。


 羽衣は ふじ に優しく微笑み掛けると、テーブル上に置いてある箱のふたを開けた。

 箱の中身は封筒の束であり、占い道具を連想させる。


「占いは質問ひとつにつき十八銭ですが、いかがなされますか?」


「お願いします。

 あの……出産した後も今の仕事が続けられるか知りたいんですけど……」


 ふじ が料金を支払うと、鳥籠を開け文吉を解き放つ羽衣。

 文吉はくちばしを器用に使い、封筒がぎっしり詰まっている箱の中から一つを取り出し羽衣の前に引っ張って来た。


 羽衣は部屋奥の抽斗ひきだしから米粒が乗った皿を取り出し、一つつまんで文吉に食べさせる。

 どうやらこれが文吉への報酬らしい。


 羽衣が封筒から中身を取り出すと、一枚の紙札が姿を現す。

 その紙札には、『五十九番:去住心無定・行蔵亦未寧・一輪清皎潔・却被黒雲瞑』とあった。


 内容を読み上げる羽衣。


「いま何をするべきか、どんな態度を取るべきか決心がついておられないようですね。

 本来は清らかな心をお持ちであるのに、黒雲に覆われた月のように貴女の思いは伝わらず誤解されるでしょう」


「まさに、その通りですね……」


「このくじは現在の状態を表しています。

 では次に、考え得る選択の結果を占ってみましょう。

 文吉……」


 羽衣が文吉をでると、文吉は再び箱から封筒を取り出し持って来た。

 その後は『ピッ、ピッ』と、美味しそうに米粒を頬張る。


 羽衣が封筒の中身を出すと、そこには『五十一番・修進甚功奇・労生未得時・騰身遊碧漢・方得遇高枝』と記してあった。


「まるで修行僧の如くお仕事に打ち込まれているようですが、問題解決には至りません。

 ですが、今までとは全く違う方法を用いれば解決するでしょう」


「今までとはまったく違う方法?

 もしかしてそれは、子供をろすとかそういう……。

 あれ?

 何だか、急に目がぼやけて、ねむ、い……」


 ふじ がテーブルすと、羽衣が籤の解釈を語った。


「心配しないで。

 貴方は本当にいい母親になれますよ。

 私共がお手伝いして差し上げます」


 うっすらと笑みを浮かべ、ふところから増女面ぞうおんなめんを取り出し着ける羽衣。


 すると、文吉がもう一枚封筒を引っ張り出して来た。


 羽衣が取り出して読み上げる。


「六十四番。

 安居あんきょあやうきをおもんぱかれ。

 情深くして別離をつかさどる。

 風飄かぜふいて波浪はろう急なり。

 鴛鴦えんおう、各自飛ぶ。

 お気の毒に……」


「キュー、キュー……」


 悲しそうな文吉の鳴き声は、意識を失う寸前の ふじ に、愛する者との別れの予感を抱かせた――。


[註*増女面ぞうおんなめん増阿弥ぞうあみの創作とされる面で、女神、天女、仙女などの役に用いられる。

 小面こおもてのような若々しさや明るさは見られず、上品な雰囲気を漂わせる面]





 閉演時間が差し迫った頃、官憲達が占い小屋へと押し入って来る。


「おい女!

 ここらで小柄な女を見かけなかったか?」


「小柄な女と言われましても……ああ、迷子ですか?

 迷子ならお隣りの預かり所に……」


「子供ではない!

 中を検めさせて貰うぞ!」


 官憲達は占い小屋のあらゆる場所を引っ掻き回した。

 文鳥の餌の入った抽斗も籤の入った箱も全て引っ繰り返すが、そこに目当ての人物が入っている訳もない。

 官憲達は地団太じだんだを踏んでいきり立つ。


「キャルルルルルルルルッ!」


 有無を言わせぬ官憲達の横暴に、流石の文吉も御冠おかんむりのようだ。


「あらあらまあまあ……。

 おまわりさん、いったいどうなさったんです?」


五月蠅うるさい!

 くそっ、どこへ行ったあの女!

 見付からなかったら降格じゃ済まんぞ……」


 捜索だけでなく身代しんだいも大変になりそうな官憲達を尻目に、羽衣は心中で罵声を浴びせる。


⦅もうこの場に居るものか。

 こんな事も見抜けないとは、寅井 ふじ の監視に魔術師を付けていなかったと見える。

 まあ、仮に付けていたとしてもこの【増女ぞうおんな】の前ではどうにもならなかったでしょうけどね……⦆


 苛付いらついた官憲達が占い小屋を去った後、入れ違いで燕尾服に絹帽シルクハットの男が来訪した。

 髭団長こと羅巣らす風珍ふうちんである。


「あら団長さん、お早いお迎えで」


「少し前に研究所のおきなから連絡が入った。

 彼女はだったそうだよ。

 君の御蔭だ、礼を言う……」


「そう、それは良かったわ。

 で、彼女はどうなったんです?」


「出産は無事済んだ。

 これから彼女にいた邪霊を勧誘する積もりだが……君も来るかね?」


「今は遠慮しておきます。

 騙された事が彼女に知れたら只じゃ済まないかも知れませんし、今からはでこっちも忙しくなりそうですしね」


「解った。

 そちらの方は頼む」


 ふたりの会話が終了すると、小屋内に振動が湧き起った。


『ブゥーーーーーーーーーーーーン……』


 次第に高まった振動が次元孔ポータルを形成すると、痩せぎす中背で痩男面やせおとこめんを着けた男性が転移して来る。


 彼は外法衆正隊員の痩男やせおとこであり、上鳥居 本家当主でもある、瀬戸せと 宗磨そうまだった。


「増女、これにて失礼する。

 大悪尉おおあくじょう、行きましょう」


 何の面白みも無い痩男の口上こうじょうに文吉がそっぽを向くと、増女は凄絶せいぜつな笑みを浮かべて羅巣・風珍こと大悪尉に提案した。


「今日は西洋で云う五月祭ですからね。

 子供が必要でしょう。

 いま身繕みつくろいますから、遠慮なく持って行って下さいな」


「ふはははは!

 活きのいい子供は大好物でね。

 あのプリプリした噛みごたえがたまらんよ。

 では、御言葉に甘えて……」


 現在では、ヨーロッパの五月祭とその前夜祭及び後夜祭は楽し気な祭りとして定着している。

 しかし、その源流は古代から続く生贄儀式なのだ。

 当然、祭りの裏で邪神崇拝者達の邪悪な儀式が行なわれているのは言う迄も無いだろう。


 魔人達と魔女が占い小屋を後にすると、敷地内に閉演の喇叭らっぱが響き渡った。

 だがこの喇叭は閉園の合図だけでなく、生贄儀式の開始を告げるものでもある。


 敷地内に客や官憲が居ないのを確認し、強大な認識阻害術式を展開する大悪尉。

 この術式の効果により、外部からここの様子をうかがえる者はほとんど居なくなる。


 魔術師や霊感の強い者は別だが、それも一興いっきょうと大悪尉はたかくくっていた。

 何より、これから始まる儀式は瑠璃家宮 派に向けての挑発でもあったからである。


 巨大鬼内部には、眠らされた迷子やどこぞから連れてこられた男女が詰め込まれている。

 彼らはパチパチと云う音と灼熱感で目を覚まし、自らの置かれた状況を理解した。


「あ、熱い……燃えてるのか⁈」


「いやあああああぁぁっ!

 出して、このおりから出してええええええええええぇぇぇっ‼」


「おっとう、おっかあ、どこにいるの~。

 あついよ~、たすけてよ~!」


 閉じ込められた皆が、力の限り檻を揺すったり蹴飛ばしたりしている。

 だが出入口を開けようにも、巨大鬼の内部には魔術による障壁バリアが張られているため籠の網目を掴めもしない。


 この巨大籠細工の正体は〖ウィッカーマン〗。

 その昔西洋で信仰されていた〖ドルイド教〗における人身御供ひとみごくうの一種で、巨大な人型の檻に家畜や人間を閉じ込めたまま焼き殺す祭具なのだ。


 興行時に籠細工の中から放たれていた喜声も、今や困惑の悲鳴と怨嗟えんさの怒号へと変わっている。

 燃え盛る炎が人体を焦がし、独特の煙臭えんしゅうを辺りに漂わせた。


 正常な精神の持ち主ならば胸をえぐられるような惨憺さんたんたる光景を目にしておき乍ら、白狐面を着け一様に三密加持さんみつかじいそしむ従業員達。

 彼らが結ぶは、左手の五指をそろえて上方へ伸ばし、右手全体で左手の甲を握る形の訶利帝母印かりていもいん


 生贄達の悲痛な叫びと『――オン・ドドマリ・カキテイ・ソワカ――』との真言マントラが幾重にも重なり、ヴァルプルギスの夜に朗々ろうろうこだましていた――。





 サーカスがやって来た! その六 了

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