ザ・ランブルクリーチャー その八

 一九二〇年四月 帝都 地下競艇会場 海側放水路





 潮の香りが充満する海側放水路に、鉄と臓物の匂いが加わった。

 伊藤が三好の遺体を運んで来たのである。


 何者かの気配を感じた伊藤は、暗いにも拘らず放水路の流れに逆らう異形群を発見した。

 それらは血の匂いを嗅ぎ付けた肉食魚の如く伊藤へと接近する。


 異物群の一つが放水路のへりに水掻きの備わった手を掛けると、伊藤の見知った顔が現れた。

 大槻である。


 大槻は鬼鮟鱇おにあんこう型の〈深き者共ディープワンズ〉で、ブヨブヨとした鱗の無い肌と顎部がくぶから伸びたひげ状発光器が特徴的だ。


 大槻は発光器を鈍く発光させ、鮟鱇らしい大きな口を開けて伊藤に尋ねる。


「伊藤 君は無事で何より。

 三好 君は、駄目だったようだね……。

 私達はこれから仲間の救助のため競艇会場に向かう。

 君はここらで隠れていたまえ。

 今から放水路のせきを破壊する。

 撤退時に迎えに来るまで、君はなるべく高い場所にいてくれよ」


「ハンチョー、俺……」


「君の所為じゃない。

 三好君はこちらで与ろう。

 九頭竜会の奴らは、三好 君の遺体でさえも実験に使うだろうからね。

 奴らの好きにさせないよう、こちらで丁重に葬っておく」


 大槻が合図すると、放水路から〈深き者共ディープワンズ〉が続々と揚がって来た。

 彼らのうち二体が三好の遺体を抱え、水中へと戻って行く。


 三好の遺体が水中に没すると、大槻が一体の雌性しせい深き者共ディープワンズ〉を呼び出した。

 その個体は大槻と同じく鮟鱇型のようだが、かなりの大柄で全長二メートルを軽く越えている。


 その雌性個体がしゃがみ、伊藤に顔を近付け自己紹介して来た。


「伊藤さん、いつも主人がお世話になっております。

 ワタシ、大槻の妻の杏子あんずと申します。

 以後お見知りおき下さい」


「は、初めまして……。

 でもハンチョー、結婚してたんすか?

 俺聞いてないっすけど……」


 妻の迫力に狼狽うろたえる伊藤。


 その疑問には大槻が答える。


「実は〈深き者共〉になった際、同じ施設に居たんだよ。

 その時知り合って意気投合。

 いい仲になったって訳さ」


「そ、そうだったんすか……。

 でも、〈深き者共〉って人間との交配を好むんじゃ?」


「それは人によりけりだな。

 私は妻一筋だよ。

 はっはっは!」


「幸せそうっすね……」


 愛妻宣言も束の間、大槻夫婦は更なる奇天烈きてれつ行為をかます。


 大槻が妻に『愛してるよ……』と甘い言葉を掛けると、妻は『ワタシもよ、アンタ……』と惚気のろけた。


 この緊急時に何が始まるのかと思ってみれば、矮躯わいく夫が偉丈婦いじょうふ妻に口づけ。

 だが場所がおかしい。


 大槻がキスマークを付けたのは、妻の脇腹だった。


 大槻夫婦は恍惚こうこつの表情でもだえる。


「大潮のこの日、やっとアンタと一つになれたわ……」


ふぉおふぁふぁふぇふぁふぃふぉもう離れないよ

 ふぁんふ杏子!」


 口を一旦放してから愛の告白をすればいいのに……と思った伊藤だが、その考えは次の瞬間に吹き飛ぶ。


 大槻の口部が、妻の脇腹にみるみる癒着して行ったのだ。


 混乱する伊藤に『ふぃふぉふぃふぇふぁふぁふぇふぉ急いで離れろ!』と身振りを交えて指示する大槻。

 すると、大槻の寸法サイズはそのままで妻の体躯だけがいきなり巨大化し始める。


 余りに急速なので必死でこの場を離れる伊藤。

 一体化の後も巨大化を続ける妻は、自重に耐えられなくなる前に水中へと戻った。


 伊藤は辺りが熱気を帯びている事に気付き、大槻夫婦を心配して大声を上げる。


「何かこの辺が凄く熱くなってるぜハンチョー!

 大丈夫か?」


 杏子が水中で身を翻すと、大槻の姿が辛うじて確認できる。

 だが大槻の口元は完全に妻の皮膚に癒着してしまい、モゴモゴと不明瞭な音を漏らすばかりだ。


 鬼鮟鱇おにあんこう類は雄と雌の体格差が顕著で、雌に比べ雄が余りにも小さいので矮小雄わいしょうゆうと呼ばれる。

 雌の体表に癒着すると、雄は内蔵その他までも退化させ精巣のみを発達させるのだ。


 そして生命活動の一切を雌に委ね、精子を供給するだけの存在になり果てる。

 完璧なヒモ生活と云えなくもないが、脳まで退化した雄にその自覚が有るのかは疑問だ。

 因みに雌一匹に雄が五、六匹くっ付いている例も有り、深海の深刻な婚活事情が垣間かいま見える。


[註*矮小雄わいしょうゆう体躯たいくが雌より極端に小さな雄の事。

 深海魚に例が多く、昆虫ののみや甲殻類のうおなども有名]


 気温に続き水温もいちじるしく上昇。

 温泉の如く辺りがけぶった。


 生物は体積が大きくなるに連れ、体内で発生した熱が逃げにくくなる。

 杏子は二〇メートル程にまで成長したらしく、摂氏二〇〇度弱にまで達する計算だ。

 今のところ水で冷却しているようだが、長時間は持つまい。


 湯煙の中に消える寸前、大槻は伊藤に向け力瘤ちからこぶを作って魅せた。

 矮小雄である大槻の力瘤は小さく可愛らしいものだったが、伊藤にはどこまでもたくましく感じられる。


「ハンチョー、絶対に死ぬなよーーーーーーーー!」


 伊藤の激励に、大槻はウインクで返した――。





 ザ・ランブルクリーチャー その八 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る