債務者の行方 その二

 一九二〇年四月 関東某所 待機寮





 この国で一般人が近付けない土地は、その殆どが九頭竜会関係だと思っていい。

 そんな土地の一画に、伊藤が収容されている待機寮は有った。


 外観は木造建築の大きな長屋と云った風情である。

 遠目から眺めると建屋が整然と並んでいるのが判り、刑務所と同等の威圧感を放っていた。


 収容されている債務者達の部屋は、タコ部屋べやが常だった時代にそぐわず全て個室である。

 理由は脱走防止の他、いずれ行われる見世物で競合する彼らを事前に争わせない為だ。


 又、債務者には当然女性も含まれるので男女間でのいざこざトラブルが発生する恐れも有る。

 そを避ける為、生活空間を男女で分けていた。


[註*タコ部屋べや僻地へきちの土木工事などで、労働者を収容する為の大部屋。

 収容という表現の通り、労働者は監禁、拘束状態におかれ、非人道的扱いを受けていた]


 債務者は監視員からの訪問を受け、手錠され建屋外に出される。

 伊藤を含め六名程の債務者が居るようだ。

 うちひとりは女性。


 債務者達が着ている服の前後には、名前の書かれた布が大きく縫い付けてある。

 所謂いわゆるゼッケンだ。


 女性債務者のゼッケンには、玉島たましまと記してある……。


 玉島は身長こそ日本人女性平均だが、山あり谷ありの肢体は否応なく色気を振り撒いていた。

 施設従業員達の下卑げびた視線を浴び続けているのも無理はない。


 余りにも玉島が見目麗みめうるわしいので、心ならずも心が躍る伊藤。

 だが、その逆に怪しんでもいた。

 あの容姿ならば、彼女を買う者など引く手数多あまただろうに、と。


 待機寮玄関前には数台のほろ付き貨物自動車トラックが到着しており、周辺には三八式歩兵銃さんはちしきほへいじゅうで武装した者達が居る。

 軍服を着ていない彼らは九頭竜会の私兵で、元軍人や元警官が多数を占めていた。

 主な任務は、移送、要人警護、施設警備である。


 伊藤を含む債務者達と監視員を兼ねた傭兵を荷台に載せ、貨物自動車トラックが走り出した。

 荷台では、監視員が債務者達の頭に手拭いを巻いて目隠しする。

 行き先を特定させない為だろう。


 貨物自動車トラックは暫く走ると隧道トンネルに入り、帝都地下に通ずる秘匿ひとく通路へと入った。





 一九二〇年四月 帝都 地下施設





 伊藤 達は帝都地下に設けられた秘密施設に移送された。

 内壁は混凝土コンクリートで、木造の待機寮とは質の違いを感じさせる。


 目隠しと手錠を外された債務者達は、用足しの休憩時間を与えられた。

 その後は手錠のみを付けられ移動を命じられる。


 通路には続々と手錠付きが流れて来た。

 どうやら、他の待機寮からも債務者達が集められているらしい。


 彼らの行き先は、この施設の中央棟会議室だ。


 会議室内は講壇こうだんが在り、後ろには広い黒板がしつらえてある。

 講壇横には台が置かれ、その上には蓄音機ちくおんきが乗っていた。

 異様なのは、講壇とその付近の床に護謨敷物ゴムマットが敷いてある事。


 入室した債務者の人数は、男性十八人、女性六人の合計二十四人。


 債務者達が着席し警備兵が持ち場に付くと、背広姿の男が壇上に立つ。

 伊藤の担当官、戸根川だ。


 戸根川が一席ぶつ。


「管理官の戸根川だ。

 お前達にやって貰う見世物が決まったので、私が代表して説明する。

 その前に注意点を言うぞ。

 二度とは言わんから良く聞いておけ。

 この場、この施設より脱走を企てた者は、捕縛の後公開処刑に処す」


 債務者達がザワつくが、どこ吹く風で続ける戸根川。


「この場、施設内、見世物を行なう会場も含め、職員や他の債務者に暴力を振るった者は、治療費に加え千円(現在の貨幣価値で約四百万円)の罰金。

 職員や他の債務者を買収、扇動せんどう、不必要な接触をしようとした者も同額の罰金。

 各施設の備品を故意に損壊させた者は、損壊させた設備代金と五百円(現在の貨幣価値で約二百万円)の罰金。

 この時点で質問はあるか?」


 戸根川の問い掛けに、女性債務者の若本わかもとが挙手する。

 彼女は日本人女性平均より高い上背の持ち主で、明るい赤みを帯びた髪色と、アフロヘアーに近いちぢれ毛が特徴的だ。


 いかにも気の強そうなあねさん口調で質問する若本。


「罰金、て何さ?

 アタイらはとっくにオケラなんだよ。

 どこをどうすりゃカネが湧くっていうんだい?」


もっともな質問だな。

 罰金については後で詳しく説明する。

 で、今回お前達にやって貰う見世物は、『競艇きょうてい』だ」


 競艇、との単語に聞き覚えが無いのだろう、大半の債務者が頭を捻っている。


「キョウテイ、ってなんだい?」


「聞いた事ねぇ……」


 債務者達の混乱ぶりを見た戸根川が説明する。


「競艇とは、早い話が舟漕ふねこぎ競走の事だ」


 舟漕ぎ競争と聞いて、調子のいい口調の男性債務者が自身を吹聴ふいちょうする。


「わしゃ元船乗りだ。

 わしの優勝は決まったも同然やねやだな!」


「元船乗りに勝てるわけねえだろ!

 不平等だ!」


「そうよ!

 女の私が男に敵うわけないじゃない!」


 不平不満が出始めた所で介入する戸根川。


勿論もちろんただの舟漕ぎでは面白くないからな、趣向を凝らしてある。

 お前達は、乗る舟を自身で漕ぐ事は出来ない。

 又、原動機(エンジン)などの機械を使う訳でもない……」


「それじゃあどうやって舟漕ぐんだ?」


「化け物に曳航えいこうして貰うのさ……」


「化けもん?

 あんた頭がどうかしてるんじゃねえのか?」


「そりゃ楽でいいや!

 おまけに化けもんまで拝めるたあ、いきはからいだねえ!」


 債務者達が困惑し一部失笑している中、戸根川の表情は至って真面目である。


 戸根川が職員に合図すると、席に着いている債務者達とは違う雰囲気の者達が入室する。

 黒板前に並び立った男女の眼はどこかうつろで、眼と眼の間がやけに開いている者も多い。


 彼らの姿を見て思わず叫んでしまった伊藤。


三好みよし

 おまえ三好だろ⁈

 良かった、死んでなかったんだな!」


「話し掛けても無駄だ。

 今こいつらには特殊な措置を施し、お前達の声が届かないようにしてある。

 これ以上こいつらに話し掛けると罰金を科すぞ」


 戸根川の叱責しっせきが飛ぶと、伊藤は不満そうに口をつぐむ。


 三好とは、伊藤と同じ班で土木工事員をやっていた男性債務者だ。

 伊藤より年若く素直なので、伊藤は後輩として可愛がっていたのである。


 そんな三好も、昨年七月に起こった〈食屍鬼グール〉襲撃の際命を落とした筈だった。

 はらわたが流出した三好の姿を、伊藤は確かに見ている……。


 伊藤を黙らせた戸根川が命じると、職員は蓄音機の喇叭管らっぱかんを三好 達の方へ向けた。

 発条ぜんまいが巻かれ、記録媒体である蝋筒ワックスシリンダーが回転し始める。


 その喇叭管から滲出しんしゅつした音は、不浄の歌声であった――。



「ラa六らA6ラa六らA6ラa六らA6♪」

「A6ラa六らA6ラa六らA6ラa六ら♪」

「6らa六ラA6らa六ラA6らa六ラA♪」



 その歌声は綾……〈イダ゠ヤー〉のモノ。


 歌声に含まれる邪悪な成分が、黒板前に並ぶ者達の郷愁きょうしゅうを呼び起こす。


 債務者達の目前で彼らは、〈深き者共ディープワンズ〉へと変わった――。


 黒板前にはまばたきしない魚眼を持つ男やらかにはさみを持つ女やら、多様性バラエティー豊かな仲間達が御目見えしている。

 中には大量の粘液を分泌させる個体もいて、床の護謨敷物ゴムマットが活躍した。


「な、何じゃありゃあ!」


「気持ち悪い……」


「お、おぞまし過ぎる!」


「三好……お前……」


 当の三好は目玉が肥大化し、口元がだらしなく歪む。

 それに暑いのか、着ていた長着ながぎの胸元をおもむろき開いた。


 鳩尾みぞおちの下に、腹鰭はらびれの変形した吸盤らしきものが形成されている。

 三好はどうやら、葦登よしのぼりの特徴を持つ〈深き者共ディープワンズ〉に変容してしまったらしい。


[註*葦登よしのぼり=ハゼ科ヨシノボリ属に分類される魚の総称。

 最大の特徴は吸盤状に発達した腹鰭はらびれで、川底の石や護岸に貼り付く事が出来る]





 債務者の行方 その二 了

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