第三節 契約三昧 前半

契約三昧 前半 その一

 一九一九年七月 帝居地下 神殿区画





 先ほど蝉丸が発砲した弾丸は見事に外れる。


 本当に当てる気が有ったのかそうでないのか。

 標的だった筈の男に話し掛ける瞑目めいもくの使徒。


「多野 教授ですね。

 僕は、外法衆正隊員の蝉丸と申します。

 もうふたりは、気狐と橋姫。

 同じく正隊員です。

 橋姫の由来はお解りかと存じますが、気狐とは歳を経た狐が霊力を増し……」


「……知っている。

 妖怪としての野狐やこ地狐ちこ仙狐せんこの上位存在の事であろう。

 と云う事は、準隊員からのし上がった叩き上げか」


 蝉丸の解説をさえぎった多野 教授。

 伝承学の権威である彼に解らぬ筈もない。


 それにもめげず蝉丸は会話を続けた。


「さすが多野 教授、ご名答です。

 では、単刀直入にお伝えしますね。

 僕と契約を交わしませんか?」


「くそっ、また殿下を傷付けよって……」


 奇異な打診に多野は怪訝けげんな表情を滲ませたが、瑠璃家宮 像が再度破壊されたのを機にかんむりを曲げた。


「何を言うかと思えば契約だと?

 帝居地下に侵入し、殿下を殺害しようとしている貴様らとか!

 寝言は寝てからほざくがいい。

 貴様が着けている面の如く、周りが視えておらんと見えるわ」


「普通そうなりますよね。

 僕らの任務は、瑠璃家宮 殿下の暗殺です。

 まあ、見付かっちゃいましたけど。

 詰まり、貴方方あなたがたを始末しろとの指令は受けていないんです。

 僕が言いたいのはですね。

 瑠璃家宮 殿下の命を差し出して貰えさえすれば、貴方方には手を出さない、と云うものです。

 何卒なにとぞご検討の程を」


「蝉丸と云ったな。

 貴様正気なのか?

 どのような魂胆が有るのかは知らんが、殿下の命を差し出せなどと承服しょうふくしかねる!」


 当然ピシャリとね付ける多野。


 蔵主 社長、綾らと闘っている橋姫が泣き出してしまったようだ。


 蝉丸は橋姫を思念でたしなめた後、交渉を続ける。


「普通そうなりますよね。

 でも考えてみて下さい。

 貴方方は外吮山での闘いを終えて満身創痍に近い状態。

 仮にも外法衆正隊員である僕達との戦闘に耐えられますか?

 耐えられないと思いますよ。

 宮森さんでしたか、その方も戦死されたようですし。

 僕は暴力を好みません。

 任務遂行以外での人死にはなるべく避けたい。

 そこで契約という手段を提案している次第です。

 この際ですから、契約内容をご説明しましょう」


 何か考えがあるのか、無言で蝉丸の販売話術セールストークに聞き入る多野。


「瑠璃家宮 殿下の命を頂いた後は、即刻帝居から撤退します。

 その後一年間は、貴方方に手出ししないと誓いましょう。

 ああ、そちらから仕掛けて来た場合は別ですがね。

 もちろん我々の軍門に降って頂いても結構ですよ。

 忠誠を誓って頂けるのであれば、貴族待遇での扱いをお約束します。

 それから、多野 教授は入門いりかど 和仁吾郎わにごろうとはお知り合いでしたよね。

 このまま入門の台頭を許すとなると、貴方方もジワジワと権益を侵される可能性が高いのでは?

 ですが我々と同盟を結べば、入門 ごとき直ぐひねり潰せます。

 同じ九頭竜会に籍を置く者同士、協力してアトランティス派を蹴散らすのが肝要かと存じますが……。

 どうです?」


「なるほど。

 命だけでなく、地位や金銭、アトランティス派との共同戦線までも保証されるとな。

 確かにうまい話だが……その程度で懐柔かいじゅうされる多野 剛造ではないわ!」


「普通そうなりますよね。

 解りました。

 貴方との交渉は一時保留としましょう。

 しかし、決裂と迄はしない積もりです。

 僕はいつでも交渉再開を受け付けていますので、気が変わったらおっしゃって下さいね」


世迷言よまいごとを!

 殿下を売る者など、我らの中におる筈もない」


 屹然きつぜんと言い放つ多野に対し、肩をすくめて両掌を上に向ける蝉丸。


 取り付く島が無いと断じ、別の人物達へ思念を送った。

 開放型伝送路オープンチャンネル送信なので、他の者達にも会話内容は聞こえる。


『僕の声は聞こえていますね。

 初めまして、比星 家の方々。

 多野 教授との交渉は纏まりませんでしたので、これから戦闘行為に入ります。

 そちらの先代とは不可侵条約を結んでおりますので、僕達から貴方方に危害を加える事は有りません。

 出来れば、戦闘が想定される領域からは退去して下さい。

 いかがされますか?』


 蝉丸の呼び掛けには、蒼顔の少年……維婁馬が答える。


『言い分は解った。

 だが、お前達の闘い振りを見物したいのも事実。

 この場に居させて貰おう。

 こちらはこちらで障壁を張る。

 流れ弾を当ててしまう心配は無いから存分にやってくれ』


 闘いを見物するとの維婁馬の言葉に、母である澄が懸念を示す。


「駄目よ坊や!

 ここはとても危ないの。

 お願いだからお家へ帰りましょう!」


「帰る家などどこにある?

 母さんが避難したいのであればすればいいさ。

 止めはしない」


 母の願いを冷笑の下に却下する維婁馬。

 仕方なく折れた母は、戦闘が予想される領域から少しでも離れようと少年の手を引いて行く。


『よろしい。

 つきましては、我々との約定にもとづき一切の手出しを無用に願います。

 その証拠として、貴方には〘思念書しねんしょ〙を書いていただきますので……』


 蝉丸の口走った思念書との言葉を聞いた維婁馬の足が止まる。


 全員がいぶかるが、当の蝉丸は疑念を意に介さず三密加持を行なった。


 両手の指先を揃え掌中に空間を作る形の虚心合掌こしんがっしょうから、両人差し指と両小指を第三関節から深く曲げ、中節骨ちゅうせつこつの背を付ける形の密印ムドラーを結び、『――ナウマク・サマンダ・ボダナン・エンマヤ・ソワカ――』と真言マントラを唱えた蝉丸。


閻摩天えんまてん冥約法めいやくほう〙が成った。

 蝉丸が霊力を集中すると彼の背後に特異なビジョンが浮かび上がり、なんとそのビジョンから言葉が発せられる。


『おう、待たせたな。

 ワシは【エンマダイオウ】っちゅうもんや。

 まあ、コイツ(蝉丸)の作った分身みたいなもんやけど』


 そのビジョン……エンマダイオウはいかつい男性の顔を有しており、顔色は真っ赤で下顎したあごの犬歯が口から突き出ている。


 服装は更に異常で、道服どうふくかんむりと云った一般に膾炙かいしゃしている閻魔えんま大王の服装ではない。

 派手な青紫色の背広スーツに名状しがたがらの黄色いワイシャツ、短総髪オールバック細縁ほそぶち眼鏡と、完全に〘ナントカの帝王〙のような格好をしていた。


 上半身の細部ディテールのみがハッキリしており、下半身は煙状で不明瞭ふめいりょう

 煙部分の前面は文机ふづくえになっており、机上きじょうには帳面やら万年筆やら文房具までも再現されていた。


 蝉丸 以外の者達にも視えているようで、特に多野は驚愕の度合いが大きい。


「こ、これは〘陽神ようしん〙!

 今の時代にこれ程の使い手が残っておったとは……」


 多野の言葉に有る陽神。

 簡単に云えば霊力で作った分身で、紙人形を使った式神などの上位互換に当たる。

 物質を媒介としている場合を除き、霊感の乏しい者には視えもせず触れもしない。


 用法は殴る蹴るなどの単純破壊行為や、火炎、電撃などに代表される攻撃魔術の使用。

 その他にも、遠隔地に放っての偵察や通信など多岐にわたる。


 式神との相違点は、術者に応じた知能を持ち完全自立行動が可能である点と、術者とは独立して精密行動が可能な点。

 その為、陽神の外見と能力には術者の個性が大きく反映されると云われる。





 契約三昧 前半 その一 了

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