Ep.4『Punishment 』


私の記憶の片隅で、彼女はいつも優しく微笑んでいた…ー



ー…2年前。



「…レオン。」


不意に背後から呼びかけられ、私は作業の手を止めて振り返る。


そこには、SHADE隊長のイルーザ・ロドリゲスが立って居た。


ここは私の自室。


彼女が部屋に入ってきた気配など、微塵も感じなかった。


相変わらず神出鬼没な人だ。


普通であれば、私一人しかいるはずの無いプライベートな空間にいきなり他人が立っていたら驚くのだろうが、もう慣れてしまった。


彼女は長い金髪を指先で弄びながら優しい笑みを私に向けると、部屋の隅に設置してあるベッドに腰掛け、部屋をゆっくり見回した。


「何にも無い部屋ね。」


特に嫌みっぽい訳でもなく、イルーザは私にそう言って困った様に微笑みかける。


「…自室なんて、帰って来てシャワーを浴びて寝るだけですから。」


私は無愛想にそう言いながら、手元で分解された拳銃に視線を戻した。


「そうかしら?ここはセキュリティーも万全なんだから、自分の趣味とか、プライベートを存分に楽しんだっていいのに。ラクアの部屋なんて、まるで猟師の山小屋みたいなんだから。」


イルーザの無邪気な言葉に私は盛大なため息をついてしまった。


造作もなく、しかも部屋の主に気付かれる事もなく入ってきておいてセキュリティー万全が聞いて呆れる。


趣味か…。


確かに私にはこれと言った趣味は無いが、この生活は割と好きではあった。


彼女は作業する私の背中をぼぅっと眺めている。


穏やかな時間。


作業台に置かれた鏡で後ろに腰掛けるイルーザの様子が伺える。


「銃のメンテナンスなんて、軍務総省の整備部に任せればいいのに。今日は休日でしょ?映画でも見ながら美味しいものでも食べてリラックスしなくっちゃ。」


その言葉に、私は深いため息をついた。


「…嫌なんですよ。自分が仕事で使う物を他人に弄くられるのは。隊長だってそうでしょう?」


私はそう言うと、再び作業の手を止めて後ろを振り向き、ベッドに腰掛けている彼女の懐に下げられた銃を指差した。


現在の軍部では使っている人間のほぼ居ない、旧型のリボルバー式拳銃。


美しい白銀の銃身に刻まれた『Made in Heaven』の刻印。


私の指摘に、彼女は自分の懐に視線を落とし、その銃のグリップを優しく親指の腹で撫でた。


「私の場合は、銃が古すぎて整備の子じゃ手がつけられないのよ。作ったメーカーも、年代もわからない、すごく古い銃なの。」


そう言って彼女はまた、困った様に笑うのだ。


これも休日だから出来ること。と考え、私は前々から気になって居たことをイルーザに質問してみることとした。


いい機会である。


「…前々から聞こうと思っていたのですが、何故わざわざそんな旧式のリボルバーを?隠密作戦時に消音もしにくいし、リロードもオートに比べると不便だ。何より装弾数が6発しか無い上に、44では口径も大きすぎるのでは?折角軍務総省が我々SHADEの為に作った銃があると言うのに。」


手元で分解された自分のオートマティックと彼女の顔を見比べながら、私はそう投げかけた。


メーカーも不明だって?


そのリボルバーがどれ程古い物なのかは見当もつかない。


しかしイルーザ自身は、銃の腕に関して非の打ち所がまったくと言ってない。


文句なしにこの帝国特殊機動部隊SHADE一番の腕前だ。


自分の趣味を仕事に持ち込むガンマンも中には居るだろうが、武器や装備にあまりこだわりのない彼女がそんな理由でMade in Heavenを常用して居るとはあまり思えなかった。


「あら。リボルバーにだっていい所は沢山あるわ?弾詰まり(ジャム)を起こす事は無いし、不意な戦闘状態に陥ったとしても、薬莢を落として後で痕跡を探られる事も無い。そもそも戦闘状態に陥らなければ、銃を抜く事だってあまり無いのだから、消音なんてする必要もあんまりないの。」


私はね。


イルーザは少し得意げにそう言うと、私のベッドに仰向けに倒れ込んで、大きく伸びをした。


確かに、オートロックのこの部屋になんの痕跡も残さずに侵入している事を鑑みると、そこまで性能のいい銃は彼女には必要ないのかもしれない。


彼女が殺意を持ってこの部屋に侵入した敵であったなら、間違いなく私は命を失っていたのだから。


しかし、もっともらしい事を言っている様には聞こえたが、私には誤摩化している様にしか思えなかった。


彼女が敢えてその銃を使う理由が、まだ他にある様な気がするのだ。


「…でも、あなたが知りたいのはそんな事じゃないわね。何故私がこの銃を敢えて使うのか、もっと根本的な理由を知りたがっている。」


心の中を読まれていたのだろうか?


この人にはそう言う不思議な部分が多々あった。


私は、ただ振り返るだけではなく、腰掛けた椅子自体を回転させて体全体を彼女へ向けた。


しっかりと聞く体勢を取ったのだ。


「…なんて事は無いの。この銃は、私のお守り。そして、私が私である証。」


イルーザはそう言いながら何処か悲しそうな表情を浮かべると、両足を上に上げ、それを降ろす反動で寝転んでいた上体を起こした。


「…もうすぐシスタニア侵攻作戦が始まる。悲しい事だけど、私たちSHADEは最前線に赴く事になる。」


立ち上がり、真っ直ぐに私を見据えながらイルーザは静かな声音でそう言う。


穏やかな時間は終わりを告げた。


そう言わんばかりの表情を浮かべながら。


「分かっています。」


私はただそれだけを返事すると、彼女から目を逸らし机の上でバラバラになった自らの銃に再び視線を戻した。


まるで、現実から目を逸らすかのように。


「…私に何かあったら、レオン。あなたがSHADEを守るのよ。」


私に背を向け、部屋の扉に向かって歩き出す彼女。


それには答えることなく、私はただ手元だけを見つめている。


私が無言のままでいると、それと。と、何かを思い出したかのようにイルーザが立ち止まった。


「あなた、この前の作戦で敵兵の殺害数がまた一番だったわ。」


その言葉に、私は流し目で視線だけを彼女に向ける。


「それが何か?隠密作戦ではなく、今我々が行おうとしているのは戦争なのでしょう?褒められこそすれ、まさかそこにまで『いつもの』を持ち出すんじゃないでしょうね?」


彼女が本当は何を言いに来たのかを察した私は何か言われる前に杭を打つ事にした。


イルーザが部屋の出入り口のドアノブに手をかけながら、こちらに視線を向ける。


私たちは互いの視線をまっすぐに受け止め合った。


「…私は、あなたを心配しているのよ。あの年齢で特務執行員に選ばれてしまった『あの子』も。人をたくさん殺すことで、自分自身の心が壊れると思った時は、殺さないという選択肢もある。それは敵を救う為じゃない。自分の心を殺さない為の防御策。そして、未来を紡ぐ為の勇気ある選択。」


イルーザのエメラルド色の瞳はいつもの優しい眼差しでは無くなっていた。


まるで哀れむかのような悲しい表情だ。


「…イルーザ。我々はクローレンツ大帝国の兵士ですよ?眼前の敵を無視することは出来ない。人殺しを戦争によって正当化するつもりは無い。ただ、私は私に与えられた任務を遂行しているだけだ。」


私の言い放った言葉に、彼女はまるで母親が子供にするかの様に、目を閉じてゆっくりと首を横に振った。


「無駄に殺さなくてもこの国は勝てる。そうでしょう?それぐらいに私達は力を持ち過ぎてるわ。何億もの命を自由にできる程の圧倒的な力を。だから私は、仲間の為、任務の為に必要な時以外は徹底して不殺を貫く。たとえ私達だけでも、この国にそういう部隊が、兵士が居てもいいと思うの。」


再び私に背を向け、その為に。と彼女は続けた。


「SHADEの隊長になったのだと、私は思いたい。」


イルーザはそう言い残し、私の部屋を後にした。


綺麗事だと私は思う。


きっと他の兵士からしてもそうだろう。


物心がついた時から、私は銃を握っていた。


今でも夢に見る。


幼い私が、同じく幼い誰かと、戦場になりかけた田舎の畦道を、手を引かれながら走る光景を。


私達帝国兵は、これ以上ない程に人を殺す術を叩き込まれている。


彼女だって私達と同じ境遇のはずだ。


なのに、私と彼女では一体何が違うのか、その頃の私には分からなかった。


それを教えてもらう前に、彼女は、イルーザはこの世から居なくなってしまったのだから。


私の兵士としての価値観を変えた運命の日。


今でも鮮明に覚えている。


彼女とその会話を交わした、丁度半年後だ。


私達SHADEはシスタニア制圧の為、彼の地へ赴いていた。


度重なる戦闘を越え、同胞であるレン・マッケンジーの死を越えて、我々もいよいよ限界を迎えようとしていた。


シスタニアを制圧し、いよいよ帝国への帰国が叶うという時分。


それでも私達は、最後まで戦い続けていた。


兵士との戦いがひと段落すると、次に我々の敵となったのは武装した民兵達だったのだ。


時には、泣きながら子供を抱いているフリをして大量の爆弾を抱えていた女を。


小さな手で大きな銃を拾い、我々にその銃口を向けた子供を。


神の存在を信じ、その先に救いがあると信じて自爆テロを試みようとした老人を。


『…この世に、神などいない。』


それは、皆がおそらく同じ事を考えていただろう、冷たい雨の降る夜の出来事だった…。



「待てっ!」


私は降り注ぐ雨に打たれながら、そこから去っていこうとする何者かへ銃口を向けた。


視界が悪い。


その姿はもはや気配としてしか捉えることが出来なかった。


「…レ…オン…。追っては…ダメ…。」


彼女はそう言うと、苦しそうに血の混じった咳をしながら、私に縋るように力無く手を差し伸べる。


「今すぐ兵舎へ。もう喋るな。」


しかし、彼女は首を横に振るのだった。


「…これは…私の…運命…。」


いつものどこか困ったような表情をうかべ、彼女は、イルーザ・ロドリゲスは私の腕の中で微笑んだ。


そんな彼女の言葉を無視し、私はイルーザを抱え上げようとするが、彼女はそれに抵抗する。


酷い銃槍だ。


普通の弾ではない。


先程ここから立ち去った人物に撃たれた事は明白である。


「何をしているんですか!」


強い雨に混じり、辺りには雷鳴が轟き始める。


暗い森のざわめきに消されそうになる彼女の言葉を聞き取るべく、私はその口元に耳を寄せた。


「…レオン…。SHADEは…。あなたが…守るのよ。」


前に自室で言われたのと同じ言葉。


しかし、その重みは今となっては比べ物にならない。


何も言えずに戸惑う私を見つめながら、イルーザは懐から自分の銃を不器用に引き抜き、それを指先で回して銃のグリップを私に差し出した。


Made in Heaven。


美しい銃身にその十二文字が重々しくあしらわれた、イルーザ愛用のリボルバー式拳銃。


何故だ?


これを懐に携帯していながら、彼女は抜く事もなく無抵抗のまま撃たれたと言うのか?


そんな私の思考を他所に、イルーザはそのまま私の胸にグリップを押し付ける。


背負えと言うのか?


この私に?


あなたが背負って来たものを。


差し出されたMade in Heavenは、この暗闇の中でさえ、神々しい輝きを放っている様に見えた。


「それは、隊長のお守りなんでしょう?自分が自分である為の証だと言っていたじゃないですか!私には受け取れない。私は、あなたの様にはなれないんだッ!」


同じ境遇に育ちながら、兵士でありながら、人を生かす為の道を選択し続けた彼女。


それとは対照的に、任務だけを正義と捉え、その為に数多くの命を奪ってきた私。


そんな私に、彼女を象徴するかの様な銃を受け取る資格などない。


Made in Heavenは、彼女にこそ相応しい。


しかし、私の叫びは既にイルーザには聞こえていない様だった。


「全ての…真実を…知った時…あなたはきっと苦しむ…。でも…。」


彼女の途切れ途切れな声を聞きながら、私は震える手でそっと銃を受け取った。


すると、まるで人生における全ての目的を達成したかの様にイルーザの手は力を失い、雨でぬかるんだ地面に、ピチャリ。と落ちる。


「どうか…目を逸らさないで。世界を…有るべき…姿…に…。あなたなら…出来…る…。」


死の間際。


最後にイルーザは私にそう言い残した。


私には何もわからなかった。


何故彼女が死ななくてはならなかったのか、何故私がMade in Heavenを託されたのか。


その時抱いていたであろう彼女自身の意思も、その言葉に秘められた意味も。


それから一ヶ月もしない間に、私はこのSHADEの隊長となった。


副隊長にはスナイパーだったラクアが選任され、それまでその座についていたルノアは異動。


SHADEと同じ軍務総省所属の部隊、zodiacの隊長となったのだ。


私は今でも、彼女が言う『真実』を何も知らないままに独り追い求めている。


彼女の化身であると信じて止まない、Made in Heavenを胸に抱いて。



★1

帝都南区第三軍事基地 SHADEオペレーションルーム

PM13:45


「隊長。」


背後からの呼びかけに、私は記憶の中から現実の世界へと呼び戻された。


声のした方向を振り向くと、そこにはSHADEの衛生担当であるアイヴィー・アレクサンドラが立っていた。


隊員の中では最年長の、ベテランサポーターだ。


衛生担当とは言っても、銃の扱いには長けているし、ヘリぐらいなら操縦できる万能兵士である。


役割上彼女も現場に出動する事が極端に少ないため、アイヴィーと過ごす時間は割と多い方だ。


アイヴィーは私の席に湯気の立ったコーヒーカップを静かに置きながら、何か釈然としない表情を浮かべていた。


普段から彼女も眼鏡を掛けているせいか、雰囲気がハッカーのバロンと似ている。


彼女には現在、鉤爪の刺青(クロウ)に対する情報捜査の方で力になってもらっていた。


「何かわかったか?」


私の問いかけに、アイヴィは首を横に振る。


「鉤爪の刺青(クロウ)に関しては何も。…ですが、フロレイシアという男について調べてみたところ、その人物らしい記録を、E.I.Aのトラブルリストで発見しました。」


なんだ。


それらしいものをキッチリ見つけているのではないか。


ただ…。


「E.I.A…か。」


その名を聞いてしまうとあまり気が進まなくなる。


E.I.A。


Empire Intelligence Agency (帝国情報局)。


彼らはこの国において、我々軍務総省と並ぶ程の権力と強大さを持った帝国の諜報機関だ。


実態の全てが謎に包まれており、他国への潜入を含めた諜報活動や要人の暗殺任務などを行なっているとされる。


刺客を差し向け、初代SHADE隊長であるイルーザを殺したのもあるいは。


私がそう疑っているうちの一つでもあった。


トラブルリストは、そんなE.I.Aが諜報活動の末に、他国のスパイや国内に潜伏中の犯罪者、テロリストなどを危険度毎にリスト化したものだった。


「まさかトラブルリストとはな。やはり、E.I.Aの連中は我々の知らない情報をまだまだ秘匿しているらしい。同じ帝国の組織だと言うのに厄介なしがらみだ。クリアランスレベルは?」


私の問いに、アイヴィーはまた首を横に振る。


「それが、変なんです。」


「変…?とは?」


彼女は私の疑問に答えるべく、自らが使っていたタブレット型端末を私の目の前に持ってきて見せた。


「そもそもこのファイルがフロレイシアのものであるのかはわかりませんが、普通なら、大体のクリアランスレベルはBかAですよね?最高でもSだったハズです。ですが、これは一体?」


私は彼女が指差す画面上の表示を睨みつけた。


クリアランスレベル『SSS(トリプルエス)』だって?


一体、なんだこれは?


トラブルリストとは本来、E.I.Aがネットで世界へ向けて公開、逃亡中の重犯罪者を重要指名手配扱いで情報提供を呼び掛けている為、帝国の軍人や役人だけではなく民間人ですら閲覧する事ができる仕様だ。


中にはそれを利用して、凶悪犯やテロリストを捕まえて、帝国に引き渡す賞金稼ぎのような民間組織もある。


しかし、開示される情報には各々クリアランスレベルという閲覧制限が掛けられており、Bなら軍の准尉から大尉、Aなら少佐から大佐、民間人はCから下。と言った具合に自分の立場や階級に準じて閲覧できる情報が決まっているのだ。


ちなみに我々SHADEの隊員は、クリアランスレベルAまでの情報なら階級関係なしに閲覧する事ができる。


軍務総省所属部隊の特権の一つであり、役立つ事もあるには有るのだが、世界の本当に暗い部分に潜んでいる、Sクラス以上の情報は全てE.I.Aだけが握っていると言う事になる。


しかし、これは?


「…クリアランスレベルSSSなんて聞いた事がない。国家機密レベルだとでも言うのか?あの男、一体何者なんだ?君の父上なら何とかできるか?」


私の問いにアイヴィーは首を傾げる。


彼女の父は何を隠そう、帝国政府最高機関『七貴人』の一人、特殊兵士養成所『Area51』所長のダグラス・アレクサンドラなのだ。


我々SHADEや、zodiac等、特殊な素質のある人間達だけが訓練を受ける事を許される場所。


帝国の特殊部隊員になるには、厳しい試験を乗り越えてここに入らなければならない。


もちろん私自身も、この養成所の出身である。


「わかりませんが、一応聞いてはみます。この件も踏まえ、引き続き調査を続けますわ。」


そう言ってアイヴィーは自分の席に戻って行った。


立ち振る舞いがまさにお嬢様そのものである。


それにしても、クリアランスレベルSSSか…。


脳内でその言葉を繰り返していると、ナノマシン通信が入電した。


体内のナノマシンを介し、無線の相手が副隊長のラクアである事が分かる。


「こちらレオン。ラクアか?」


私の問いかけに、無線の相手は、あぁ。と低く返事をした。


現在彼と部下のアリスは上空から渦中の委員会庁舎を監視している筈だ。


『…ちょっといいか?』


「…なんだ?」


今気づいたが、この無線は私個人に送られたものだ。


他の隊員にはモニターできないようになっている。


『今回、アドルフの護送にエリーナを行かせたのは何故だ?』


…そう言うことか。


この男、目の前の獲物にしか興味のない振りをしておいて、意外に仲間のことを案じている。


「…乗り越えねばなるまい。少しづつでも。確かに間接的とはいえアドルフに強い恨みを持つ彼女を行かせたのは適切ではなかったかもしれないが、私はそこに可能性を感じた。それだけの話だ。」


私はそれだけを答えた。


実際、それ以上の深い理由はない。


エリーナとロックは現在SHADEの重要なポイントマンだ。


彼等なら出来る。


そう思ったからこその采配だった。


『…だよなぁ。まぁ、あいつは大丈夫だと思うぜ。何せロックが着いてる。あのガキ、すっとぼけたフリして意外と周りが見えてるからな。』


フッ。ガキとは。


だが、私もラクアに同感だ。


ロックはまだ若いが、立派な一人の兵士だ。


私は私なりに彼を尊敬している。


『お前も、早く乗り越えるんだな。』


ラクアから思いがけない言葉をかけられ、私は少々面食らった。


イルーザのことを言っているのか。


現在までにSHADEは二人の殉職者を出している。


少数精鋭の我々に取って、一人の仲間の死が隊員達全員に深い傷を残すことを私は知っている。


「…あぁ。そうだな。若いロックやアリスを見ていると心底そう思うよ。」


私は自嘲気味に微笑んだ。


『だけどな。お前がイルーザの死の真相を追い続ける気持ちもわかる。まぁ程々にな。』


副隊長のその言葉を最後に無線は切れた。


私は椅子に深く座ると、一度深呼吸をした。


ラクアめ。


「隊長。」


ラクアとの通信が終わった後、不意に横から声をかけられた。


お次は、SHADEの優秀なハッカー君か。


彼の呼びかけに、私はバロンの方を向いた。


「ブリーフィングの時の事ですが…。」


「なんだ?」


お前もか。


全く。


任務中にどいつもこいつも、仲間の心配とは。


そんなことを考え、私は少し可笑しくなってしまった。


その張本人は、何をどう言おうか迷っているといった表情をしている。


「その…。エリーナさんの様子おかしかったですよね?」


彼の問いかけに、私は、そうだな。と答えた。


考えている事は皆同じ。か。


「やはり、まだレンさんの事を…。」


バロンの言葉に私は深くため息を吐いた。


「…誰だって仲間の死をすぐに整理出来る物ではないさ。特に、レンは彼女の相棒だったからな。アドルフが直接レンを殺した訳では無いと言う事は、エリーナも心の何処かで分かっているだろう。だが、もう彼が死んだのは二年も前の話なんだ。何処かで踏ん切りを付けなければ前進出来ない。これは彼女だけの問題ではない。彼女が前進するのを恐れている間は、我々チームメイトも同じく前進出来ない。私たちSHADEの様な少数精鋭部隊は、全員が同時に踏み出した時初めて力を発揮出来るんだからな。」


私は自分で言いながら、あぁ、これは自分にも言える事だな。と思い、顔を覆いたくなった。


確かにそれは大事な事である。


しかし、私が独りでイルーザの死の真相を追いかけていることも、このチームの前進を止める事に直結してしまうのかもしれなかった。


幸い、私は仮面を被るのが得意だ。


私が彼女の死について独り調べ回っている事は、今この隊の人間の中には知る者は居ないだろう。


先程の無線の事を考えれば、ラクアにはバレていた様だが。


それから、元々同じチームにいたzodiacのルノアは、私と同じ様に彼女の死の真相を自分なりの視点で探っているのは知っていた。


私が同じ様にそうしている事をまた、おそらくルノアも知っているだろう。


全ては建前。


誰もが皆、自分達の過去に翻弄されているのかも知れない。


「そう言えば、君もSHADEの創設メンバーだが、どうだ?さすがに五年もいれば慣れたか?」


私は話をすげ替えた。


我ながら卑怯であると思う。


こうやって、色々なことを誤魔化しながら私は今まで生きてきた。


イルーザに対する気持ちでさえも。


しかし、バロンは何の疑いも無く頭の後ろを掻きながら苦笑して答えた。


「いやぁ…。まぁ仕事にはさすがに慣れましたよ。祖国相手にサイバーテロまがいの事をしていた頃に比べたら、更に知識も増えましたしね。」


彼の言葉に私は微笑んだ。


私にも想像のつかない事であったが、目の前の優男バロン・サイレスは、大学を卒業したばかりの頃はかなり荒れていたらしい。


有名な国立大学出身だった彼だが、その敷かれたレールを只ひたすらに進んでいた自分の人生に疑問を抱き、自分の能力を過信して色々と悪さをしていたのだ。


「黒歴史、と言うやつだな。君を陸軍のサイバー部隊から引き抜いた事は正解だったとルカ少佐が前に言っていた。」


私が言うと、バロンは照れたように、いえいえ。と顔の前で手を振って謙遜した。


「陸軍サイバー特殊部隊v.r.e.a。あそこも元々は、警察局に逮捕された僕をルカ少佐が拾ってくれた事で入隊できた場所ですからね。中々居心地のいい所でしたが、今の方が仕事は楽しいですよ。軍務総省所属ってだけで、あんなに仲が悪かった父親も、『国立を卒業させた甲斐があった。』と喜んでいましたしね。」


「そうか。」


どうやらここに来たことがきっかけで孝行息子になったらしい。


SHADEの守秘義務により、親族であっても所属していることを教えてはならない決まりになっているが、軍務総省勤務と言うのは間違いでは無いだろう。


さて、続きは後だ。私はそう言うと、軽く息を吐いてから静かに目を閉じた。


それに対してバロンは頷くと、自分の席に再び戻ろうとする。


空かさずそんな彼の背中を私は呼び止めた。


世間話で言い忘れていた事を告げる為だ。


「…バロン。この件、もしかするとE.I.Aが絡んでいる。奴らはフロレイシアに関する情報を隠匿している可能性がある。奴らを調べてみてくれ。手段は問わない。」


私の命令に、バロンは少し驚いたような表情を浮かべた。


「E.I.Aですか…。厄介ですね。世界一強大な情報網を持ちながら同じ帝国の組織であっても、僕達と決して交わる事なく、七貴人と帝国皇帝の意のままに動く諜報機関ですから。」


その通りだ。


彼らがもう少し、手にした情報を軍務総省にも共有してくれれば、こちらの捜査も大きく進展する事だろう。


この国は強大な権力組織がいくつも連なっている。


初代隊長、イルーザ・ロドリゲスの死の真相を知る者も、あるいは何処かに居るのかもしれない。


喰らい付いてやる。


私は改めて強い決意を胸に宿すと、懐で抜き放たれるその時を待っているMade in Heavenを強く握りしめた。



★2

帝国国防委員会庁舎地下

PM13:45


「…フロリー。…生きていたのか…。」


彼等の会話を理解するまでに俺は数秒の時間を要した。


アドルフと、今目の前にいる男が兄弟…?


いや、アドルフの話によれば、弟であるフロリーは、帝国のシスタニア侵攻作戦時に首都デカルタで死んだのでは?


しかし俺の疑問は目の前の男、フロレイシア本人の言葉で払拭される事になる。


「あの日…。デカルタの警察本部に居た僕は、帝国軍の空爆と銃撃に見舞われて死にかけた。シスタニアの兵士と我々警察が協力して帝国軍に最後まで抵抗していたことが原因だ。だが、僕は生きていた。累々と横たわる仲間の骸を踏み越え、迫る帝国軍に怯えて、それでも地の底を這いずり回りながら、ずっと兄さんやローズを探していたんだ。」


「…そう…だったのか…。」


実の弟の戦火での状況を始めて聞き、兄であるアドルフは目を伏せて俯いた。


思い出しているのだろう。


あの日の事を。


大切な人を目の前で失った、あの惨劇の夜を。


フロレイシアも兄であるアドルフと同じ様に俯いていた。


シスタニア人に多い、銀髪や紅い瞳を抜いたとしても、俯き加減の表情はやはり似ている。


「…でも、結局兄さんを見つける事は出来なかった。僕は『ある男』に拾われ、彼等と共に、こうして帝国への報復を行う事に決めたんだ。」


フロレイシアは顔を上げ、アドルフでは無く真っ直ぐに俺を見据えた。


その目にははっきりと、憎悪の色が浮かんでいる。


「…お前を助けたという男。そいつは鉤爪の刺青(クロウ)の関係者か?お前等の目的は一体何なんだ?」


三ヶ月前、SHADEが凍結に至った事件。


今回の同じ刺青をもつ者たち。


彼らには、組織的な大きな目的がきっとある。


SHADEの隊員達は皆はそう感じているだろう。


そしておそらく、フロレイシアの言う『あの男』と言うのが、この国の何処かに潜み、彼らの様な存在をまとめ上げている内通者。


俺の問いかけに、フロレイシアはいつものように嘲笑を浮かべながら答えた。


「彼らも『あの男』も、これからの僕にはもう関係が無い。僕はこれから、僕の為に生きて行く。失った時間を取り戻す。その為に、僕はここまで来た…。」


まるで昔に戻っているかのように、一人称が僕に変わっている。


フロレイシアの眼差しには、強い決意が込められていた。


歪んだ決意が。


俺は言葉を詰まらせ、アドルフがここに来るまでの車中で語った過去も含めて、色々な事を考えていた。


もしこの二人が、その地獄のような戦火の中で再開する事が出来ていたら、こんな悲しい対面をしなくてすんだのだろうか?


少なくとも当時のフロレイシアは正義の心を持った警察官であったはずだ。


もしかすると、アドルフが人としての道を踏み外す事を止めていたかもしれないと思うと、やり切れない気持ちになる。


だが、彼等の呪われた運命に同情する事は帝国の意思に背く事になる。


俺自身はシスタニア侵攻作戦には参加していないが、あれは帝国による世界統一の第一歩。


世界が力ある一つの国に統一される事で、人類が今まで積み重ねてきた争いという罪を撲滅するという、今まで誰もがなし得なかったその意思に。


その矛盾は、この国の兵士としてあってはならない事だった。


わかっている。


その道が、数々の恨みや憎しみを生むであろう修羅の道だと言うことは。


だが、未来はどうだ?


いつか戦争という言葉すら無い世界で、自由に暮らす人々の為に、俺たちは戦っている。


そう信じている。


「…さぁ。兄さん。これから僕らの人生をやり直すんだ。帝国と冷戦下にある西側諸国で仲間が待っている。新しい家族だ。僕等の悲しみはこれで終わる。帝国への報復は彼ら(クロウ)に任せておけばいい。そうすれば、この国はいずれシスタニアと同じ結末を辿る事になるのだから。」


葛藤する俺の心を遮るかのように、フロレイシアはそう言うと、こちらにいるアドルフに向けて手を差し伸べた。


実の弟より差し伸べられたその手を、兄であるアドルフは静かに見つめている。


「…。」


フロレイシアは視線を俺と先輩の方に向ける。


その視線を真っ直ぐ受け止めながら、俺は一歩前に出た。


「…待て。まずはアドルフが起爆装置を解体するのが先だ。もう時間がない。」


ここは冷静に。


どんな挑発を受けてもあっけらかんとしていた、フリードの兄貴を見習って。


俺の言葉に、フロレイシアは、ふん。と鼻を鳴らし、いいだろう。と冷笑を浮かべた。


俺はアドルフを向き直り、彼に目で合図を送る。


彼はこの状況に戸惑いながらも、俺から工具箱を受け取って頷き、フロレイシアの傍に置いてある大きな黒い鞄に近づいた。


「さぁ。兄さん。僕も兄さんに未来を委ねる。この国が家族を。ローズを奪った事を忘れてはいないだろう?全て兄さんの好きにしていい。ここで、兄さんと一緒に吹き飛んだって僕はいいんだ。」


優しく語りかけるようにフロレイシアがアドルフに声を掛ける。


過去を思い出させ、心を掻き乱そうとしているのだろう。


アドルフはそれを聞いてか、どこか複雑な表情を浮かべながらも、無言のまま起爆装置の近くに工具箱を置き、そこにかがみ込んだ。


鞄の中で何か黒い装置のような物が赤い輝きを放って鼓動しているのがわかる。


あれが、庁舎の至る所に仕掛けられた爆薬を起爆させる装置なのだろう。


フロレイシアにとってもこれは賭けだ。


アドルフがシルバーサンライズブリッジの時のように報復心に囚われて、爆弾の解体を断念すれば自らも死ぬことになるのだから。


アドルフは、死に関して悟りを開いていると言っても過言では無い死刑囚だ。


仮に、俺が爆弾を解体しなければ殺す。と銃で脅したとしても、死という結果は変わらないのだから、恐らく無意味だろう。


逆に、彼が素直に爆弾を解体したとしたら?


フロレイシアはその後どうする気なんだ?


庁舎屋上に留まっている例のガンシップでアドルフを連れて世界の西側へ?


いや、かたや死刑囚、かたやテロリストなのだ。


庁舎爆破と言う保険が無くなる以上、いつ空軍に撃墜されてもおかしくは無い。


あのガンシップも爆弾同様ナノマシンリンクでフロレイシアの生体情報を読み込ませていると言っていたが、墜落しても問題のない地点に移動した瞬間に、ミサイル一発で撃墜することは容易な事だろう。


後の言い訳など帝国報道局ならいくらでも出来る。


工具箱を広げ作業を開始するアドルフを横目に、俺はフロレイシアに揺さぶりも含めて疑問をぶつけることにした。


隣にいる先輩はずっと押し黙ったままだ。


「お前。この後どうするつもりなんだ?爆弾が解体されたら、身の安全を保証するものが無くなるぞ?どうやってアドルフと西へ逃げ果せるつもりだ?」


彼の生体情報と起爆装置がナノマシンでリンクしている事が問題なわけで、起爆装置自体が解体されればいつ射殺されてもおかしくは無いだろう。


しかしその問いかけに対し、フロレイシアは相変わらず不敵な笑みを浮かべている。


「…切り札を…そう簡単に見せると思うか?」


やはり。


当たり前だが、奴にはまだ奥の手がある。


恐らくハッタリの類では無い。


俺はそれ以上は何も言わず、じっとフロレイシアの挙動を伺うこととする。


考えろ。


この状況で彼に残されているカードは?


そんな緊迫した空気の中、アドルフは、旅行鞄のファスナーを慎重に剥ぐと中の筐体がよく見える様に露出させた。


黒い箱状の機械が、赤いランプを灯しながら鼓動している。


デジタル式のタイマー表示によれば、残り時間は後30分弱。


「…同じだ。間違いなくこれは、僕がシルバーサンライズブリッジ爆破の際に設計したものです。」


自らが作り上げた狂気と数年ぶりに対面し驚嘆するアドルフに、フロレイシアが不気味な微笑みを見せる。


「そう。これは兄さんが設計した起爆装置。『あの男』が持っていた、兄さんの資料や設計図をもとに僕たちが復元したんだ。」


フロレイシアの言葉に、ずっと黙っていた先輩が反応する。


「…それはおかしいわ。アドルフの逮捕後、彼の潜伏先であったと思われる場所全てに軍務総省が入り、証拠品を押収した。起爆装置の設計図やそれに関する資料等も徹底的に回収され、現在でも厳重に管理されているはず。その人物が一体どこでそれを手に入れたっていうの?」


しかし、先輩の問いにフロレイシアは答えなかった。


澄ました奴の様子を見て、先輩が舌打ちする。


やはり、あまり上品とは言えない。


だが、逆に考えれば、その捜査や押収に関わった人間が、彼等に内通している可能性が高いのではないか?


ダメだ。


どうしても目の前で鼓動する爆弾に意識が行ってしまい、考えに集中できない。


先輩も今複雑な心境だろう。


直接では無いものの、かつてのバディ、レン・マッケンジーが死ぬ要因を作った恨むべき死刑囚に、俺たちは国の命運も、自分たちの命さえ預けなければならない状況なのだ。


そのアドルフ自身の心中も穏やかでは無いだろう。


かつて自分の大切な人たちを理不尽に奪った帝国の為に利用されようとしているのだから。


「アドルフ。」


そんな事を考えていた俺は、不意にアドルフに声を掛けていた。


呼びかけにアドルフが振り向く。


「俺たちの命、お前に預ける。信じてるぞ。」


俺の言葉に、アドルフは一瞬驚いた様な表情を浮かべたあと、はい。と微笑んだ。


傍らの起爆装置に再び目を落とし、アドルフは工具箱から取り出したドライバーで、起爆装置の筐体の四隅についたネジを器用に外し始める。


俺たちのやり取りを見ていたフロレイシアはその様子を静観していた。


全てのネジを手早く外すと彼は、筐体の側面を両手で挟み込む様に持ちながらこちらに顔を向ける。


「外部カバーを外します。振動センサーが付いているので少しの揺れを検知しただけで爆発します。」


だから声を掛けるなと言う合図なのだろう。


もしこいつが起動したら、皆短い人生を振り返る余裕もなくあの世行きだ。


俺は今さらになってレオンを恨んだ。


額に汗が滲む。


筐体を揺らさない様、アドルフは息を止めながらカバーをゆっくり持ち上げた。


当事者であるフロレイシアでさえ、その様子を固唾を飲んで見守っている。


やがてカバーを上まで引き上げると、彼は外したカバーを傍に置き、ふぅ。と一息ついて、今度は工具箱からニッパーを取り出した。


極限の緊張故か、その髪が猫のように逆立っている。


彼は迷う事なくカバーの下に隠れていた基盤の渡り線を数本それで切断すると、額の汗を拭った。


「…これで、振動センサーと光センサーは無くなりました。次は本体の解体です。」


流石、こいつの設計者だけあって手際がいい。


七貴人が軍の爆弾処理班ではなく、わざわざ法務省に掛け合ってアドルフを釈放させたところを見ると、こいつは相当な代物なのだろう。


俺たちに簡潔に次の手順を説明して、アドルフは基盤を固定するビスを外してからそれを持ち上げ、さらに本体と接続されているカプラーを外して、センサー系の基盤を筐体から取り払った。


「さすが兄さん。やはり、この装置を作って正解だったよ。帝国に兄さんを釈放させるには、これぐらいしなければならなかったからね。刑務所の壁を破る方法も考えてはいたが、死刑囚が囚われているのは地下の独房だったからそれも叶わなかった。」


「…。」


フロレイシアの言葉に、一瞬そちらをちらりとは見るものの、アドルフは無言だった。


昔と変わってしまった実の弟の姿に、アドルフは今何を思っているのだろう。


彼は再び起爆装置に目を落とす。


その瞬間、アドルフの表情が固まるのを俺は見た。


「…これは…。」


「どうした?何か問題か?」


俺の問いかけにアドルフは何も答えず、しばらく何かを思案する様に固まっていた。


その様子を見て、フロレイシアが冷笑を浮かべる。


まるで勝利を確証するかの様な歓喜を交えた笑みを。


「…元々の設計には無い物が組み込まれています。これは…なんだ?わからない。ナノマシンリンク?」


アドルフの疑問に、先輩が答える。


「フロレイシアの生体反応が消えたら爆発するっていうアレ?自らの生体情報をリンクさせてあるとクライムエイジ襲撃の時に言っていたわよね?」


しかし、その回答も実物を見ているアドルフにとっては適切ではない様だった。


「…確かに、フロリーのナノマシン情報をリンクしてあるのは事実のようです。そういった回路は確認できるので、彼の死とともに起爆する様になっているのは間違いない。問題は『もう一つ』のナノマシンリンクです。これは…距離センサーと、タイマーか?しかもかなり高度な物だ。…私では、これは…。」


距離?距離ってなんだ?なんの距離だ?


言い淀むアドルフを見て、フロレイシアが堪えきれなくなったのか、遂に声をあげて笑い始める。


まさか…。


「…そう。それこそが僕の切り札だよ兄さん。やはり流石だ。それを見て、一瞬で状況を理解してしまうんだからね。」


焦燥が全身を駆け抜ける。


「…クソっ!いったいどういう事なんだ!」


俺の叫びに、フロレイシアが嘲笑をやめないまま俺と先輩をまるで憐れむかの様な眼差しで見据えた。


「…まったく。兄さんはこれだけで理解したと言うのに君たちときたら…。さあ兄さん。奴らに教えてやってくれ。自分たちに既になす術がないと言うことをね。」


既になす術が無い?


俺の頭の中を混乱が掻き乱す。


「…このナノマシンリンクには、フロリーの生体情報の他に距離情報が読み込まれています。かなり高度な物です。設定距離は約八千キロメートル。」


八千キロ??なんだ?なんの設定距離なんだ?


わからない。わからない。


「ナノマシンは帝国独自の技術なので詳しくはありませんが…、おそらく対象のナノマシン情報を持つ者が設定距離以内に近づくと起爆装置が作動。離れると解除する仕組みです。つまり、生体リンクと合わせた場合、『フロリーが生きた状態でこの起爆装置から、設定された距離である八千キロ以上離れないと起爆装置が解除されない。』タイマーの解除は出来ますが、フロリーが設定距離内にいる以上、安全は確保されないと言うわけです。」


バカな。


なんて仕掛けだ。


奴はその事実を盾に、堂々逃げ果せるつもりだったのか。


「…八千キロ。西側諸国へ逃げ込むには十分な距離ね。」


それこそがフロレイシアの計画だった。


アドルフの設計した爆弾を用意し、彼を釈放させ、彼と共に西側諸国へ亡命するための。


フロレイシアが死んだら起爆装置が作動してしまう以上、帝国は彼に手を出せない。


それに加え、フロレイシアが生きたまま設定距離以上離れなければ、こちらの驚異はタイマーを解除したところで収まらないということだ。


「兄さんがタイマーを解除すれば時間制限だけは無くなり、爆破条件は距離センサーと生体センサーのみになる。僕が設定距離以上離れることができれば全て丸く収まると言ったことだ。本当なら最後にこの場所をクレーターにしてやってもいいところだが、なかなかフェアだろう?一度リンクが解除されれば、再設定は遠隔では出来ない。帝国にとっても安全が確約されるわけだ。」


全てはアドルフを帝国自らの手で釈放させ、彼を連れて西側諸国へ亡命する為のお膳立て。


そもそも何故このフロレイシアは、帝国の人間では無いにも関わらずナノマシンを体内に有している?


何故俺たちの事をよく知っている?


いや、今はそれどころじゃない!


「ロック君。タイマーの時間が…。」


状況に焦るアドルフ。


どうすればいい?


フロレイシアに、殺さない程度の傷を負わせ拘束したらどうだ?


後はアドルフにタイマーだけ解除してもらえば、とりあえず起爆は免れるのではないか?


いや、ここまでの計画を練るフロレイシアと、強大なこの国の何処かにいて、彼に力を貸しているだろう内通者が、俺の考えたこんな付け焼き刃な作戦に気が付いていない筈が無い。


きっと逃げられないと悟れば、奴は何かリモコンのような物で迷わず爆弾を起爆させるだろう。


俺たちやアドルフを巻き込んで。


「…大丈夫だよ兄さん。さぁ。早くタイマーを解除してくれ。それを解除しない限り、この庁舎から安全に脱出出来ないからね。」


クソ。どうする?


どうすればいい?


タイマーを解除しても、奴に逃げられたらなんの意味もないぞ?


俺が自らの脳とナノマシンをフル回転しながら思考していたその刹那。


俺の視界の隅で、アドルフが静かに立ち上がった。


「…もう…いい。」


何?…一体、何を言っている?


フロレイシアも、アドルフの尋常じゃない様子に、嘲笑を引き攣らせたような微妙な表情で固まっている。


「もういい?一体何を言ってるんだい兄さん?」


慌てた様子でフロレイシアがアドルフに問いかける。


しかし、そんなフロレイシアなど視界に入ってない様子で、アドルフは力なく呟いた。


「…フロリー。もう全て終わりにしよう。」


「馬鹿な!もう少しで新しい未来が僕らを待ってるんだ!早くタイマーを解除しろ!そうすれば僕達は新たな場所へ行ける!」


アドルフに対し、兄さんが決めていい。と言っていた言葉は、アドルフが自分の思い通りに行動することを前提にしていた言葉だったのだろう。


兄が予想外の行動を取ろうとしているのを見て、フロレイシアはあからさまに狼狽していた。


「…アドルフ!」


フロレイシアと同じように、俺もその背中へむけて彼の名を呼んだ。


沈んだようなアドルフの瞳が俺を見る。


「ロック君。エリーナさん。すみません。僕はもう、これ以上協力できません。」


静かにそう言うアドルフの事など意に介さない様子で、起爆装置のタイマーは刻々とカウントダウンを続けている。


「…信じると、言っただろ?諦めるな!」


なんの励ましにもならないであろう俺の言葉に、アドルフはフッと息を溢しながら力なく微笑んだ。


「僕は、誰かに信じてもらえるような人間ではありません。無力で、何一つ守れなかった、奪うことしか出来なかった愚かな男です。…フロリーがこうなってしまった責任も、きっと僕にある。」


俺は言葉を失った。


一番恐れていた事が起きようとしている。


間違いなく彼に、再びこの国へ復讐したいと言う感情はもう無いだろう。


しかし、きっと自分が犯した罪が今、アドルフを押しつぶそうとしているのだ。


自らが生み出した起爆装置。


そして変わってしまったかつての家族。


それらが見えない重圧となり、もう支えられなくなっているのか?


俺が再びアドルフに声をかけようとしたのと同時だった。


「…ふざけんじゃないわよ。」


先程まで黙っていた先輩がそう吐き捨てて一歩前に出た。


アドルフは、俺に向けていた暗い視線をゆっくり先輩へと向ける。


「…先…輩…?」


動揺する俺に目もくれず、彼女は腿のホルスターから拳銃を抜くと、無造作にアドルフの足元に放り投げた。


「お、おい!先輩!」


「あんたは黙ってて。」


慌てて彼女の肩に置いた手が、その一言とともに振り払われる。


アドルフは足元に転がる先輩の銃を静かに見下ろしている。


「…あなたの大切な人の命を奪ったのは、私よ。」


その一言に、俺とフロレイシアは目を見開いた。


アドルフは銃を見下ろしながらただ静かに先輩の次の言葉を待っている。


まさか…?


「…言い訳をするつもりもないし、悪いけど謝罪するつもりもない。私は特務執行員の任務を、帝国の兵士として遂行しただけだから。」


シスタニア侵攻作戦特務執行員。


そして、『黒き死神』。


エリーナ先輩こそが、アドルフの妻ローズの命を残虐に奪った張本人だと言うのか…?


先輩ははっきりそう言い切った後、ただ。と悲しそうな目をして俯いた。


「…立場やしがらみはこの際考えず、お互いひとりの人間として考えるのなら、あなたには私を裁く権利がある。いや、私は、あなたになら裁かれてもいい。あなたの話を聞いてそう思った。」


先輩の言葉に、俺は慌ててその間に割って入った。


「おい!やめろよ。アドルフ。」


焦り、叫びながら銃を抜き、構える。


アドルフが銃を手にしようとしたら、威嚇射撃をするつもりだった。


しかし、その銃口を先輩の手が上から力強く抑えつけた。


「黙ってて。ロック。お願いよ。」


先輩の真っ直ぐな瞳が俺を見る。


信じろ。


そう言われているような気がした。


「…もし、今この場で全てを投げだして、自身もろとも吹き飛ぼうとしているのなら、あなたは本当に弱者のまま死ぬ事になる。最後の最後まで、なにも救えず、自分自身も許せないまま。」


アドルフが無表情のまま屈み込む。


その震える手がゆっくり拳銃に伸ばされて行く。


「…せめて、あなたの復讐だけでも完成させたらどうなの?あなたは、あなたから全てを奪った帝国そのものを憎んでいるのかもしれない。でも、きっとそんなあなたにトドメを刺したのは私。だから、何も出来ずに死んで行くことを選ぶぐらいなら、まず私を殺してからにしなさい。」


強い口調だった。


アドルフはそれを聞いているのかもわからない表情で、先輩が投げた銃を拾い上げた。


立ち上がり、その銃口を真っ直ぐ先輩に向ける。


おい。嘘だろ?


俺は?俺はどうすればいい?


さっきからパニクってばかりだ。


「…わかっていました。軍基地のロータリーであなたを見た瞬間に。私…僕が、あの少女の顔を忘れるはずがない。あなたが、僕の目の前でローズを殺した黒い死神だ。」


その声と同じく震える彼の指が銃の撃鉄を起こし、ゆっくり引き金に指が添えられる。


「そうだ兄さん!ローズを殺した死神を殺した後でも遅くはないじゃないか。傷は癒えないかもしれない。でも、新たな一歩を踏み出すんだ。僕ら二人の力で。これは、願ってもない機会なはず!」


フロレイシアがアドルフの背中から狂乱した様な声で捲し立てる。


その言葉を聞き、アドルフは深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。


「ー…何ッ?!」


次の瞬間。


アドルフのとった行動に思わず声が出る。


彼は180度体を反転させると、先輩ではなく、自らの弟であるフロレイシアに向けて二発の弾丸を放ったのだ。


一発はフロレイシア背後の壁に食い込み、もう一発の弾丸はフロレイシアの肩の辺りを貫いていた。


死刑囚の突然の行動に、先輩も目を見開いている。


「兄…さん…。これは一体…どういう事だ?」


再会を焦がれた実の兄から発砲され、フロレイシアは撃たれた箇所を抑えながら驚愕している。


もう、状況がどんな方向に進んでいるのかすらわからない。


爆破まで残り五分も無い。


時間は許してはくれない。


そんな中での拮抗状態に、俺の焦りもピークに達して、思考はかなりシンプルになっていた。


生か、死か?


今俺達にあるのはそれだけなのかもしれない。


「…フロリー。もう辞めよう。」


しかし、そんな混沌とした状況の中でさえ、俺と先輩はその行く末を静かに見守っていた。


いや、見守らざるを得ない。と言った方が正確だろう。


もはやこの死刑囚が何を考えているのかなど、俺たちには理解できないのだ。


アドルフがもしこのままフロレイシアを殺すようなことがあれば、彼の生体反応とリンクしている起爆装置は、建物内の爆薬全てを爆破させるだろう。


逆にこのまま拮抗状態が続けば、いずれタイマーのカウントがゼロになる。


その時点で何もかもお終いだ。


全てがギリギリ。


ギリギリのラインでの駆け引き。


さらなるパニックを生み出すであろう状況に、俺は頭を掻きむしりたくなる。


手にした銃と、目の前の兄弟。


その二つを見比べながら俺は葛藤した。


「…何を…言っている…んだ…兄さん。」


必死に平静を装ってはいるが、撃たれた痛みと、助けようとした実の兄に銃を突きつけられているという状況に、フロレイシアの言葉がうわずる。


「彼女の言う通りだ。…彼女はもうあの時の少女ではない。変わったんだ。そう。僕も、このままではいけない。だから、もう…辞めようフロリー。こんな事をしても、僕たちの人生は取り戻せない。」


「そんな事は無い!」


自分に銃を向け続けるアドルフに、必死な様子でフロレイシアは叫んだ。


「…あの日。テロなど起こさなければ、僕はきっと人生をやり直せた。テロを起こし、その悲しみを連鎖させてしまったのは僕なんだ。家族も大切な人も失ったけれど、きっといつか同じ様に笑える日々が訪れた筈なんだ。」


「同じ事を繰り返すだけだ!この国が滅びない限り、また僕たちの様な家族が世界中で産まれる事になる!何故分からない!?」


捲し立てる弟に、アドルフは静かに首を横に振ってみせる。


まるで、言うことを聞かない子供に優しく諭す親の様に。


「…きっと運命だったんだ。運命に逆らう事など、誰にも出来ない。」


それは、聞いているこちらの胸が締め付けられる様な、諦めにも似た言葉だった。


あの時、ああしなければ。こうしなければ。


それを今考えてもきっと無駄なんだ。


フロレイシアはある意味で、ここまでの事件を起こすぐらいに自分を突き動かしてきたものに裏切られたのだろう。


アドルフだってそうだ。


生きていた弟はかつての弟ではなかった。


まるで、過去の自分を見ている様な気持ちになるだろうか?


先輩だって、自らが作り出した悲しみの連鎖が、巡り巡ってかつての相棒の命を奪う事になるとは思わなかった事だろう。


シスタニア侵攻作戦が始まった四年前。


いったいどこの誰にこの未来を想像できたというのか。


「…この庁舎に今人が居ないとしても、崩落が起これば近くにいる人々や、ロック君達は死ぬ事になる。新たな悲しみを作り出せば、きっとまたそれは繰り返される。君にはそれがわからないのか?」


「兄さんは何も知らないからそう言える!帝国は今この時だって、世界を蹂躙する準備をすすめているんだ。兄さんの言う悲しみの連鎖をまた作ろうとしている!早くタイマーを解除するんだ!僕達が、帝国と戦っている全ての民族の掛橋になるんだよ…!」


フロレイシアは必死にそう叫び、その後強い憎しみの眼差しを俺たちに向けた。


「…兄さんは…何も悪くない。悪いのは…全てこの国なんだ。忘れるな。その女が…ローズを…殺したんだ。無惨に、残虐に!」


俺は隣にいる先輩に目をやった。


彼女は無表情で、目の前で繰り広げられている悲劇の行く末を静かに、どこか悲しそうな表情で見据えている。


弟の言葉に、アドルフはまるで心を落ち着けるかのように小さく息を吐いた。


しかし、彼がフロレイシアに突き付けた拳銃を降ろす事は無い。


俯き加減のアドルフの口がゆっくり開く。


「…彼女もこの運命の輪に飲まれた一人に過ぎない。しかし、彼女は僕たちとは違う。彼女は乗り越えた。あの過酷な戦場を。任務を。そして、僕が手に入れられなかったものを勝ち取った。いいかい?フロリー。僕達は、そうはならなかったんだ。それだけの話なんだよ。」


アドルフは依然、諭す様な声でフロレイシアに語りかける。


「…馬鹿なッ!この女を殺したくはないのか!?理不尽に、ローズの命を奪ったこの女を!僕は!兄さんと!家族とまた過ごせる時間のために生きてきた!…帝国に一矢報い、ここまでの力を手に入れた!何故、そんな僕をとめようとする!?僕達は、最後の家族じゃないか…!」


叫びと共に、真っ直ぐに先輩へ向けてフロレイシアの指が指される。


弟の悲痛な叫びにアドルフは再び目を伏せ、先輩はただ沈黙する。


「そんなこと…今の僕は望んではいない。彼女も、戦争によって壊れてしまった、被害者の一人なんだ。そして、何故君を止めようとするのか…。それは、君が僕の最後の家族だからだよ。」


再び目を開けると同時に、アドルフは強い意志のこもった声でそう言った。


目の前で大切な人の命を奪った先輩も被害者なのだと割り切るには、相当な覚悟が必要な筈だ。


その残虐な任務を、ただ言われるがままに遂行していた先輩は、今どの様な気持ちなのだろう。


平和のためなら、誰かに恨まれても構わない。


しかし、その誰かの内の一人であるアドルフが、先輩を許すというのだ。


それが二年前の悲惨な爆破テロを起こした引き金になった筈なのに。


先輩だってそうだ。


彼が起こしたテロにより大切なバディーを失った過去を、彼女はずっと引きずっていた。


しかし、そんなアドルフに銃を渡し、自分を裁く事を許した。


そんな覚悟のある人間達に囲まれて、俺だけがまるで切り取られた別の空間にいるかの様だ。


アドルフの瞳には、先程の解体を諦めたとき様な沈んだ色がない。


強い意思の火が灯った様な光を帯びている。


きっと先輩の言葉が、彼を様々な重圧から再び立ち上がらせたのだろう。


決して相入れなかった二人の悲しみの連鎖がいま、何かを生み出そうとしているのかもしれない。


「そう。僕たちは家族だ。だから、兄さんがテロで人を殺し、復讐するなら、僕もそうする。それだけの事!」


それに比べ、フロレイシアは歪んでいる。


そして同時に哀れだ。


彼もまた、この連鎖に囚われてしまった一人。なのだろう。


まるで、俺はただの傍観者の様にその三人を見ていた。


「君が探していたのは昔の僕なんだねフロリー。復讐に取り憑かれ、奪うことしか出来なかった昔の僕。だが、今の僕の役目はその連鎖を止める事だ。僕たちは家族だから尚更だ。家族が間違った事を、これ以上の罪を繰り返そうと言うのなら、それを正すのが兄としての…ストラドス家当主としての僕の役目だ…!」


徐々に指先に力が入るアドルフ。


静かで穏やかな彼だったが、今の彼の言葉からは揺るぎのない気迫を感じる。


しかし…!


「…ちょっと待てアドルフ!分かっているのか?そいつを殺せば起爆装置が作動する。完全に爆弾を解除するには、フロレイシアを生きたまま八千キロ以上離す必要がある!」


俺の呼びかけに、アドルフは一度こちらに視線を送るが、再び目の前のフロレイシアへとそれを戻す。


何か策でもあるっていうのか?


確かに、彼が我を失っているようには見えない。


「…そうだ兄さん。僕が死ねば結局起爆装置が作動する。こんなことをしていたら、みんな死ぬぞッ!僕の生体反応が消えるのを感知するのと同時に、解除不能の別タイマーが起動する!兄さんも見ただろう?!」


喚くフロレイシア。


もはや彼の方にはあの余裕が無くなりつつある。


しかし、それとは真逆に、アドルフの表情は極限にまで冷めきっていた。


「…たしかに、生体センサー用の別タイマーが設定されているのは確認した。設定時間は3分だ。つまり、君の生体反応が消えたと判断してから3分後に、この起爆装置は作動する。確かに僕達の亡命を保証する後ろ盾になっただろう。しかし、これは君の最大のミスだフロリー。」


アドルフのその問いに込められた意図を理解し、フロレイシアの表情が急激に青ざめる。


「もう分かるな?フロリー。僕にはまだ君を止めても3分間の猶予が残されているんだ。」


「…まさか!?僕を殺し、その上でこいつを解体する気なのか!?たった3分で!?まだ、メイン基盤が残っている…出来る筈が無い!」


「出来る。僕はたくさんの命を奪った。その罪滅ぼしになるとは到底思わない。だが、今度は救ってみせる。これに関わる全ての人たちを。そして、君も。」


「よせ!…ー」


次の瞬間、アドルフは手にした銃の引き金を数回に渡って引いた。


ナノマシンで感覚が研ぎ澄まされているはずの俺たちが止める間も無く。


生々しい血しぶきが部屋の中に飛び散る。


「…ば…かな…。」


至近距離で身体中を連射されたフロレイシアは、そう言いながらガクリと床に崩れ落ちた。


「にい…さん…。」


フロレイシアの驚愕に歪んだ目が濁っていく。


タイマーは既に残り30秒を切っていた。


どうなる?一体??


「さよなら。…フロリー。」


フロレイシアが、死んだ…。


実の弟を自らの手で殺害した兄は、一瞬だけ深い悲しみをその目に光らせたが、手にしていた拳銃を床に落とすと、決心した様に直様フロレイシアの亡骸の傍らにある起爆装置に駆け寄った。


それと同時に、起爆装置の筐体から突然、耳障りなブザー音が鳴り響き、フロレイシアの生体反応が消えたことを感知して、生体センサー用に仕掛けられているという別タイマーが作動した。


残り15秒を切っていたタイマーの表示が、ブザー音と共に目まぐるしく切り替わり、新たな時間制限が表示される。


残り時間…3分。


「アドルフ!」


カウントダウン開始と同時だった俺の呼びかけに、彼はこちらを見て力強く頷くと、床に置いてあったニッパーを手に取った。


「…申し訳ありません。僕の迷いで、大幅に時間を使ってしまいました。今からこいつを…解体します。」


出来るのか?!たった3分弱で?!


「…彼に任せる他無いわ。フロレイシアを捕らえることは永遠に叶わなくなったけど、彼が爆弾を解体さえすれば、この事件は収束する。」


先輩の言葉通り、俺たちの命運は目の前の孤独な死刑囚に委ねられていた。


先輩も、アドルフを信じるというのか?


なら…。


「わかった。任せたぞ。アドルフ。」


俺はそれだけを彼に告げた。


アドルフはその言葉に対して口角をあげて軽く微笑むと、直様作業に取りかかる。


ナノマシンリンクのセンサーが繋がれた本体部分にニッパーの刃先を滑り込ませ、基板から露出している線を引っ張って感触を確認しながら慎重に一本の線を切った。


「大丈夫。たしかに、僕が設計した当初には存在しなかった高度な技術だが、行ける。所詮は、人が作り出したものなんだ。人に解体できないわけがない…人に、解体できない訳が…。」


まるで自分に言い聞かせるかの様にそう呟きながらも、彼は手を止める事無く作業を続けた。


そんな彼の背中を見て、何を思ったのか先輩が一歩だけアドルフに歩み寄る。 


「…あなた。私が戦争の被害者だと言ったわね。なぜ、そう思う事が出来たの?」


先輩はいつも突然である。


何もこんな窮地にする質問では無いだろう。


しかし、彼女は静かな声で、真剣に誰かの命を守ろうとしている目の前の孤独な男に問いかけたのだ。


「…あなたはきっと、戦争が終わってから沢山苦しんだのでしょう?今のあなたがあるのは、素敵な仲間達が側に居たからこそ。そういう仲間は僕にだって出来たかもしれない。僕は、あの事件を起こす事によって未来への希望を放棄してしまった。あなたの表情、そして一つ一つの言葉に感じられるあなた自身の強い意思。それは、間違いなく様々な苦しみを乗り越えた人間だけが持つものです。」


彼の返答に対し、先輩は何も言わなかった。


俺の知らない、過去の先輩。


そしてアドルフが見た、狂気という名のフィルターを通して見る今の先輩。


そのあからさまな変化が分かるのは、シスタニアでの地獄を、『黒き死神』と呼ばれた先輩を見たアドルフだからこそなのかもしれない。


彼は吹き出る汗を拭いながら、手を休める様子も無く作業を続けている。


ただ過去の自分を悔いているからではなく、この瞬間に『新しい何か』を見出したかの如く。


限られた、未来への一歩を。


「…もう全てが遅いかもしれない。でも、僕は僕に今出来る最大限の事をやります。償いという言葉は口にしたくありません。ただ、『成すか成さざるか』なのです。エリーナさんの言葉で目が覚めました。僕は、最後の最後まで弱者でなんかで居たくない!せめて…ー」


デジタル表示のカウントは残り1分を切っていた。


「ー 僕の力で…ー」


心臓が口から飛び出そうなほど高鳴っている。


先輩は無意識にか、固く目を閉じ俺の手を握っている。


「ー…救えるものが、あるのなら…!」


彼女の手が小刻みに震えているのがわかる。


残り30秒。


刻々と、俺たちに死が迫る。


残り20秒。


アドルフの作業が終わる様子は、まだ無い。


残り10秒。


まだか?まだなのか?


残り5秒。


先輩と同じように俺は固く目を閉じる。


まるで全ての現実から目を背けるかのように。


残り…−


−…ピー…


鳴り響くブザー音。


沈黙。


髪が逆立ち、まるで体内を流れる血が沸騰しているかの様に体が熱い。


俺は恐る恐る目を開けた。


…ある。


腕も足も。


俺はゆっくり顔を上げ、起爆装置のある方を伺った。


有酸素運動をしていない筈のアドルフが背中で呼吸をしている。


その顔には汗が滴っており、手元の起爆装置のデジタル表示は残り1秒で停止していた。


「…やった…のか?」


まるで魂が抜ける様な大きな溜め息が、体の底からこぼれ出る。


生の実感が沸々とこみ上げてくるかの様な熱い感情。


「…アドルフ。」


俺が言葉をかけると、彼は憔悴し切った様子で俺を向き、成功しました。と疲れたような笑みを浮かべた。


「…ありがとう。…よく、やってくれたな。」


彼に歩み寄り、俺はそう告げ手を差し伸べた。


傍らでは先輩が無線でレオンへの報告をしている。


全ての狂気が過ぎ去った室内。


彼は無言で俺の手を取った。


「…帰ろう。」


悲劇が繰り広げられた地下の機械室を去る間際、アドルフは弟フロレイシアの亡骸を振り返り、寂しそうな表情を浮かべて言った。


「…すまない。」


その声は恐らく俺にしか聞こえなかっただろう。


エレベーターを使い、三人で一階のロビーに戻ると、先輩からの連絡を皮切りに、既に慌ただしく無数の人々が動き回っていた。


zodiacが再びこの事件の事後処理のために庁舎に入った様だ。


「…生還おめでとう。」


そんな喧騒の中、不意に聞こえたその声に俺と先輩は振り返る。


多くの兵士が行き交う雑踏の中。


エレベーター脇に設けられたエントランスのベンチに、知らない人物が静かに座っていた。


背中をこちらに向けて腰掛けている為、顔を判別することはできないが、高そうな純白のスーツに身を包んでおり、髪は長い金髪を後ろで一つに縛っている様だった。


「誰だ?あんたは。」


俺が問いかけると、スーツの男は、ふっ。と息を溢した。


笑っているのだろうか?


「…なかなか面白いものを見せてもらった。」


彼は俺の問いかけに答えるわけでもなく、ベンチからスッと立ち上がると、行き交う兵士の群れの中に向かってゆっくりと歩いていった。


目立つ容姿をしているにもかかわらず、ロビーを右往左往している兵士達は誰もその男に目を止めない。


まるで彼だけが、折り重なった全く違う空間を歩いているかの様だ。


「あ、おい!」


男を呼び止めようと手を伸ばした瞬間、俺の横目に、まるで先ほどの男と入れ替わるように、意外な人物がこちらに歩み寄って来るのが映った。


「…ルカ…少佐?」


先輩も驚いている。


国外査察に出ていた少佐が何故ここに?


さらに、彼女の背後にはzodiac隊長のルノア・ジュリアードの姿もあった。


「国外に出ていたのでは?」


エリーナ先輩の問いかけに、少佐は、…あぁ。とだけ無愛想に答えると、俺たちから約15メートルぐらい離れた位置で停止した。


微妙な距離である。


見た感じ、かなり機嫌が悪そうだ。


「…七貴人からとんだ汚れ仕事を頼まれてな。無理矢理帰国させられた。先ほどアルトリアに戻ったばかりだ。」


彼女はそう言うと、懐から取り出した葉巻を咥え、その先端に火をつけた。


一度虚空を仰ぎながら深く息を吸い込み、時間をたっぷり掛けて煙を吐き出した後、鋭く尖った眼差しをこちらに向ける。


研ぎ澄まされた刃の様な鋭利な眼光に、俺は射すくめられそうになる。


「…汚れ…仕事?」


嫌な予感がする。


俺の問いかけに、少佐はまたも、あぁ。とだけ返事をする。


目を閉じて、数秒の間を置き、やがて彼女はゆっくり口を開いた。


「…これより、死刑囚アドルフ・ストラドスの処刑を執行する。」



To be continued …

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