第45話 さあ、沖縄にいるとしか分かんないんです

 正午過ぎ。一時間もしないフライトで那覇空港に到着した。

 入国通路を歩いていると『めんそーれ』と書かれたシーサーの置物に迎えられた。

 ベンチに座っていると、辺りには中国語が飛び交っている。彼らは暑そうにパスポートで扇いでいた。ほとんどが中国のパスポートだ。近年、中国からの日本旅行が流行っているらしい。

 那覇市街地は『ゆいレール』というモノレールで空港から首里城公園までは線路で移動できる。

 車窓から見える街並みは内地の風景とは違っていた。家々の屋根に銀色の貯水タンクがある。雨が多い割に大きな河川がないため、雨水を貯蔵しておく物だ。台湾の郊外の風景に似ていた。

 遠くに海が見える。東シナ海。沖縄は日本でも特殊な場所だ。亜熱帯気候に位置し、台風や梅雨の影響を受けるので降水量も多い。かつては琉球王国と呼ばれ、方言も内地の言葉と明らかに別言語だ。

 沖縄は地政学的にも重要な位置にあるという。すぐ西に中国大陸があり、東京よりも台湾の方が近い。他国の真横にある島だ。

 沖縄は歴史にも翻弄された。太平洋戦争(ヨシオさんが言うには大東亜戦争)ではアメリカ軍が上陸し、三か月にわたり沖縄各地で地上戦が行われた。その戦いで九万人以上の民間人の命が奪われた。

 敗戦後、内地は六年後に国家として全権を回復したが、沖縄は一九七二年までの二十七年間もアメリカ統治下にあった。現在でも沖縄には米軍基地が置かれている。

 やがて牧志駅に着いた。那覇市随一の賑わいを見せる繁華街だ。駅を降りると、国際通り沿いに人々が行き交っていた。立ち並ぶ店はほとんどが土産屋。飛び交う言語も英語に中国語と多様だ。鮮魚市場でも中国語で呼び込みをしていた。

 僕は食堂に入って一休みする。沖縄料理屋らしく、ラフテー定食やタコライスがメニューに並んでいる。観光客向けに英語と中文でもルビがふってあった。

 ソーキそばを食べながら、スマホで『那覇 宿泊』と検索する。さいわい近所で安価なゲストハウスが空いていたので、今夜の宿はそこを予約する。

 トロトロになるまで煮込んだ豚と太めの麺を一緒に口に入れる。そばの割にボリューミーだ。ジューシーで甘辛い豚が舌の上で溶けてゆく。当然、八角の香りはない。あれほど苦手だった八角だが、いざ味がしないとどこか寂しい。少しだけ台湾に戻りたくなった。

 斜陽の降る国際通りを歩く。

 メイン通りはどこまで行っても人混み。特にドン・キホーテ前は酷い。大荷物を持った観光客が立ち止まって歩道を占拠している。コスメ用品を万引きして店員に捕まっている外国人もいた。しかし警察には通報されないらしい。ここは本当に日本か。台湾とは違った意味で『外国』だ。

 アーケードの外れに予約していたゲストハウスがあった。『スターライトホステル』と看板が出ている。狭い階段を登ってゆくと、安っぽいが洒落た造りの玄関口に迎えられた。傍らの自販機にはオリオンビールとサンピン茶しか置いていない。

「あの、さっき電話した藤園という者ですが」

 フロントで部屋の鍵を借りる。ただの南京錠だ。

 部屋には六畳の広さにベッドが置いてあった。冷蔵庫とシャワーは共同だ。エアコンは有料で一時間につき百円。高い。

 部屋にいてもエアコン代がかかるので屋上に上がる。太陽はビル街の向こうに顔を隠し、どこかから涼しげな夜風が舞い込んでくる。潮の香りがした。三線の音色が風に乗ってくるのが沖縄らしい。

 一斗缶のベンチに掛けて夕暮れ空を見上げた。もうすぐ夜がやってくる。動き出しは、明日にしようか。

「おおお、こんばんは。兄ちゃんも泊まっとる客かいな」

 背後から関西弁が聞こえた。

 坊主頭の中年男だ。作業着のようなズボンを履いている。がに股歩きで階段を登って来て、煙草に火を点けた。

「やっぱ沖縄やったら、観光かいな?」

 観光というか何というか、と口ごもる僕。男は「まあええわ」と話を切り替えた。

 彼はタケさんというらしい。タケさんは大阪の人で、那覇市へは大型倉庫の屋根を改修する仕事で来ている。

 タケさんは今年で四十七歳。思ったより年上だった。白髪混じりの頭を掻くタケさん。厳つい見た目とは裏腹に話好きだ。

「えっ、昨日まで台湾おったん。んで今は沖縄かいな。ええなあ、観光のハシゴやんか」

「いえ。沖縄へは遊びじゃなくて……、人探しで」

 人探しやて、とタケさんは首をひねった。僕が探しているのは比野ひの楓華ふうか――。通称ふーたんという旅系YouTuberだ。

「つー事は、兄ちゃんは追っかけかいな」

 移動中に比野楓華の事はネットで調べた。数あるYouTuberの一人だがそれなりに詳細な情報が得られた。

 比野楓華。大阪出身、七月七日生まれの二十四歳。

 旅系YouTuberで『ふーたん旅行記』を運営。英語が得意で海外旅行が好き。旅行先での出来事をYouTubeに投稿している。基本的に顔出ししないテロップ解説型動画が多いが、たまに映る顔が可愛いと話題になっている。海外にも男性ファンがいるらしく、外国語でのコメントも多い。

 チャンネル登録者は2万人。ざっと陽の倍だ。開設は四年前。動画数612本もある。かなりハイペースで投稿していたようだ。

 日本やアジア圏中心の旅動画チャンネルだ。開設当初はスマホで自宅近所の観光地を撮影していたが、やがて海外旅行の道中を撮影するようになり視聴数が伸びている。

 開設から三年後、動画編集の技術が格段に進歩した時期があった。まとめサイトによると、その時期だけ撮影編集スタッフを雇っていたらしい。三ヶ月ほどで元の編集方法に戻った事から、スタッフと何らかのトラブルがあったのではないか、と噂されていたそうだ。

「そんで、そのふーたんってのは沖縄におるんか……」

 その後、タイ・カンボジア・ベトナム旅を終え、沖縄県名護市に拠点を移し、単独で撮影編集をしてYouTubeを配信している。

 SNSにはエメラルドグリーンの海を背に写る彼女の画像があった。縁の大きなメガネにボーダー柄のビッグTシャツ。今時の若者らしい格好だ。

「まだ二十代やろ。動画配信しながらっちゅうても、沖縄で隠居するんには早いんちゃうか」

「どうやらボランティア活動をするのに拠点を移したみたいです」

 最新のコメント投稿は今朝の十一時。添付されていた写真には、金網フェンスが写っていた。フェンスには赤テープが無数に貼られ、平和を意味するピースマークを描いた紙が結び付けられていた。

 コメントは一言『これが沖縄の今です』と。

「これアレちゃうか。基地外活動家ってやつや。米軍基地への反対運動や。最近やったら辺野古へのこへの基地移設を反対しとるって話や。まあ沖縄は色々ある場所やからなあ」

 アジア旅から帰国後の比野楓華は沖縄での清掃ボランティア活動を始めたらしい。YouTubeでもたびたび活動記録をアップしている。

「この子に会いに行く言うても、居場所知ってんのか」

「さあ、沖縄にいるとしか分かんないんです」

 よく添付されている写真から考えると、主な活動は米軍飛行場のある普天間ふてんまや、基地移設先である辺野古だろう。

「明日から地道に探しますよ。時間ならたっぷりありますから」


 その夜、僕はカップ麺とスポーツドリンクを買い込み、狭い部屋に篭った。

 国際通りでも見物しようかと思ったが、観光客の多さに辟易して戻ってきた。しかも食事が高い。台湾の三倍だ。一人でカップ麺をすすっていると、スマホが鳴った。陽からだ。

『ええっ、沖縄なのにカップ麺なんか食ってんのか?』

 ビデオ通話だ。陽はくわえ煙草で地べたに胡坐をかいている。彼女の部屋だ。

「晴人ってさ、一人でいると絶対にカップ麺になるべ。ホント食に興味ないやつだべさ」

 大学生の頃も、上京して一人暮らしの頃も、茉由のと婚約が破棄された頃も。僕は生命力が衰えるとカップ麺しか食べなくなる。何を食べるか考えるのが面倒になってしまうから。

 今、僕は生命力が衰えているのか。なぜだろう。陽が遠くにいるからだろうか。

『早く戻ってこいよ。たくさん動画編集が残ってるんだよ。だから早く、な』

「うん。出来るだけ早くね」

 陽の瞳に寂しさの色が映る。出来るだけ彼女を見ないようにした。


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