第24話 日本人も見習わないとダメだわ

「――って顛末なんだよ」

 僕が『大阪の小陽』に戻ったのは二時過ぎ。

「じゃあ最初カラ結婚式にイタってワケか」

 ジョジョがスマホ片手に言う。ランチタイムが相当忙しかったのか、疲れた様子でテーブルに突っ伏している。

「ウチも撮影に夢中で気付かなかったべさ」

 陽も自作の魯肉飯ルーローファンと味噌汁を持って席に着いた。箸を持った手で肘をつきながら続ける。

「やっぱりだ。僕らが持ってる映像には映ってない。陽ってば、僕ばっか撮ってるから」

 僕は陽のMacBookで編集中の映像を確認する。しかしニセ欣怡シンイーの姿は映っていなかった。

「晴人。ニセモノの画像、ヨシオさんから貰ったか」

「ああ。メールで送ってもらったよ」

 オッケー、と陽はスマホを開く。ニセモノの画像をアキラにも共有しておくという。アキラの情報網なら写真があれば捕まえられるかもしれない。

「あのニセモノ、凛風リンファの事を調べ尽くしてたべさ。本人の大学の事やアパートはもちろん、欣怡を名乗ってたって事は家族構成も把握してるんだろな」

「一体何者なんだろう。それに目的も分からない」

 僕と陽は顔を向け合って頷く。だんだん気味が悪くなってきた。

 ジョジョがだらけた姿勢でスマホをいじっている。またTwitterだ。

「啊ッ、ふーたんがツイートしテる!」

 横から覗き込むと、『比野楓華』というアカウントのツイートが表示されていた。

「またかよ。好きだねえジョジョは」

【比野楓華@充電中 @huka_diary・3時間

 沖縄に来て三ヶ月。この空と太陽と海が好き。

 海と大地を、守らなきゃ!】

「オレも大好きダよぉ!」

 この哈日族ハーリーズーは、まったく。

「にしても、このYouTuber。ずいぶん意識高い系っしょや」

 陽もスマホを覗いていた。

「何言ッテんの。ふーたんはアーティスト! カッコいい事言わなきゃ!」

 なぜかジョジョが得意気に鼻の下を擦る。その旅系YouTuber比野楓華はボランティア活動にも精を出しているらしい。陽は意識高い系と揶揄するが、やらぬ善よりやる偽善だと僕は思う。

「ふーたんはもっとマルチにワールドワイドに活躍する人ダゾ」

 ワールドワイドどころか、同じ日本人の僕も知らなかった人だけれども。

「こないだ見た時よりフォロワー増えてない?」

 ここ五日で千人ほど増えている。Twitterのフォロワー数が五万人の大台に乗っていた。チャンネル登録者二万人のYouTuberにしては多い。

「とりあえず、昼の営業はこんなもんにするべ。夜に備えて、しっかり睡眠とっときなよ」

 陽はエプロンを外し、テーブルの上に放る。 


 僕は一人で町へ繰り出した。

 龍山寺駅前のベンチに掛け、町の人々を見比べる。裸足で将棋をさす二人組、胡椒餅フージャオビン屋の呼び込みの声、旧日本軍の戦闘帽を並べる老人。相変わらずマイペースな街だ。

 ここには僕を非難する人もいない。職場を追われ、茉由やその両親に罵倒され、SNSで個人情報を晒され、自宅で耳を塞いで泣く必要もない。ここには陽がいる。だから僕は僕でいられる。呼吸が許される。

 するとスピーカー越しの台湾華語が聞こえてくる。選挙演説だ。

 広場の特設演壇に立つ候補者が熱く叫んでいる。選挙への意気込みや公約を主張しているのだろう。大音量で音楽が流れ、集まった支持者が拳を突き上げて応援している。

 巨大なのぼりに候補者の顔写真と名前がプリントされている。台北市の市議員選挙のようだ。

 台湾の選挙は熱量が凄まじい。市街地のビルには巨大看板が掲げられ、バスも候補者の写真でラッピング状態になる。しかも候補者はモデル並みにキメキメだ。ハゲ頭の中年候補者が親指を立て、エネルギッシュな笑顔を見せる広告。そんな物が街中に溢れている。

「你好。お一人様かい」

 不意に話し掛けられた日本語。僕は顔を上げた。

「アキラ、さん」

「呼び捨てデ良いって」

 アキラは僕の隣に立った。ブラックデニムにワンポイントの白シャツ。開いた胸元と袖を捲った腕から威圧的な刺青が覗いている。

「姉さんは、一緒ジャないの?」

「昼寝中。だから僕は一人で散歩」

 はあぁん、アキラは相槌を打ち、右手に持っていたホットドッグを囓った。アキラは「旦那も食えよ」と僕に差し出す。

 大腸包小腸ダーチャンバオシャオチャンというらしい。小腹が空いていたのでいただく。ピリ辛のチョリソーのようなソーセージだ。刻んだキュウリとトマトとの相性も良い。生地はパンではない。もち米だ。

「君も選挙演説を見に来たの?」

「あの候補者は独立派の進歩党ダろ。日桃幫ウチがケツ持ちやッテんの」

 僕は首を傾げて聞き返す。

「ケツ持ち?」

「警備ダよ。集会やッテる時に変な奴が来たら追い払う」

 演壇で唾を飛ばして熱弁する候補者。小旗を振って盛り上げる聴衆。よく見ると、広場の隅に人相の悪い男たちが様子を窺っている。アキラの仲間たちだろう。

「すごい盛り上がりだね、台湾の選挙って」

「八十年代に民主化してカラは、特にな」

 台湾では1947年の二・二八事件以降、白色テロと呼ばれる本省人弾圧が行なわれていた。言論や思想の自由は認められず、中国国民党による一党独裁政権がほんの三十年前まで続いたという。

「そっか。そりゃこの熱気も納得できるわ。平等に選挙が出来るようになったのも、ここ三十年の話なんだね」

「実はそうデもないみたい。国民党の独裁時代デも、地方選挙は普通にやッテたらしい。本省人ダッテ県とか市の首長になってたし、市議会議員にも当選してたんだッテよ」

 いちおう民主主義の要素はあったらしい。それでも国民党の圧倒的有利で、様々な不正もあったという。

「特に盛り上ッタのが台湾省議会の選挙ダ。国民党の意見では台湾も中華民国の一部、つまり台湾省だ。ケド実質、国民党政権は台湾にしかない。地方選挙の形ダケド、国政選挙みたいなもんさ」

日本こっちで言ったら、衆議院とか参議院の選挙みたいなものだね」

「本省人に言論の自由はなかったケド、省議会では話が違ッタ。議会デの発言は責任を追及されない決まりダ。だから省議会議員に当選した奴はバンバン国民党政権を批判したッテさ」

 アキラは演壇の候補者を眺める。

「一般人が政府批判なんかすりゃ一発デ逮捕。だけど省議会の議員になれば意志を主張デきる。それで今の民主化しタ台湾がある」

「なるほど。盛り上がるワケだ」

「三十年前まデ政党を作るのも禁止されテたから、国民党対それ以外って感じで省議会がヒートアップしてたんダ。そんな中デ、今の熱い政治家が育ッタ」

 例えば、とアキラは演壇を顎で示す。

「あいつの進歩党だッテ、ベースが出来たのは省議会だ。非合法団体だッタけど、八十六年には蒋経国政権が進歩党を公式政党と容認しタ。そこから色んな政党が名乗りを上げタってワケ」

 国民党をはじめとする外省人と、反国民党の活動家との間で暴力沙汰も多々あった。流血事件も絶えなかったそうだ。

「んデ1992年には立法院リーファ-ユエンが全面改選したんダ」

 僕は「リファーユエン?」と聞き返す。

「国会ダ。つまり国会議員の選挙に、本省人も参政権を得たッテ事」

 この男、黑社會の人間だけあって、表の社会情勢も勉強している。

「2000年になッテ、とうとう政権交代が起こッタ。国民党の議席数を進歩党が上回ッタんだ。一回だけ国民党政権に戻ったけど、また今は進歩党が政権を奪い返しテる」

「ふーん、じゃあ国民党と進歩党が競り合ってる感じか。でも外省人って全体の二十パーセントくらいしかいないんでしょ。国民党って、誰がそんなに支持してんの」

「公務員とか教師とか軍人を引退した年寄りに人気ダな。電力会社みたいな政府系企業とか、そこの労働組合も国民党を支持しテる」

 勤め先や土地柄の影響もあって、国民党を支持する本省人もいる。逆に進歩党の幹部になった外省人もいるらしい。今となっては、国民党が何もかも悪い、という具合でもないようだ。

「台北市みたいな北部だト、国民党の人気は強い。逆に進歩党の支持者はホトンドが本省人ダ。農家の人らが支持しテるイメージだったケド、元は国民党支配に抵抗する知識層が集まって作ッタ党だ」

 台湾の選挙は期日前投票や不在者投票の仕組みがない。本籍を移動させていない遠方の者は、投票日になるとこぞって台北に帰ってくるという。そして『台商』と呼ばれる中国で勤める企業人の存在。彼らは一斉に帰国して国民党に票を入れるという。

 投票日は必ず土曜。休日の混雑に投票帰省者の大移動が重なり、空港も鉄道も大混雑となる。それも台湾の選挙の風物詩らしい。

「みんな政治に熱心なんだね。日本人も見習わないとダメだわ」

 その瞬間、集会の中から怒声が上がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る