きっかけなんてこんなもん

永盛愛美

 前編

 少年は急いでいた。

 夏休みも中盤に入り、毎日が日曜日な高校生にとって本来の日曜日だとは、いまいちピンと来ない。

 だが、本日が映画前売り券の上映最終日、の日曜日なのだ。親友と約束していたのに、今日でラストなのに、親友が朝から捕まらない。

 「今日は日曜だよな。って事は大樹ひろきは家にいるはずだよな……なんで、ケータイに出ないんだよ!」

 家電にかけようと思った朝八時。大樹の両親は共働きだ。二人とも不定休と聞いた覚えがある。朝っぱらからよそ様のお宅に電話をするなんて、と母親に注意された少年は、親友の携帯電話にかけ続け、メールも送った。だが、メールはもちろん電話の一本も返っては来なかった。

 「留守電にもなってないぞ大樹ぃ~まだ寝てんのか?もう九時だぞ!」

 仕方なく、少年は徒歩十分程の彼の家を目指した。今から出かければ、バスに乗って駅近くの映画館に余裕で行けるし上映にも間に合う。

 真夏の太陽は梅雨明けを待ち構えていたかの様にギラギラと自己主張を繰り返し、毎日が最高気温の記録更新日になりつつある。


 あと少しで少年の親友、小西大樹こにしひろきの家にたどり着く所で、少年……市倉透いちくらとおるは立ち止まり、もう一度電話をかけた。

 しかし、呼び出し音が虚しく鳴り続けるだけで、一向に出る気配がない。

 彼は、再び歩き出して小西家に向かった。朝だというのに既に彼は汗だくになっていた。

 「あっちぃ~。大樹が着替えてる間に少し涼ませてもらおう。大樹ぃまだ寝てんのかよ……」




 市倉透は、大樹とは、小西家が五年前、二人が中学校へ入学した年にこの町へ越して来た時からの付き合いである。

 市倉家も小西家も親戚に縁が薄く、市倉家が母子家庭であった事や小西家の両親が共働きであった事がきっかけとなり、お互いに助けあったり遊びに行き来しているうちに、自然と家族ぐるみで付き合う様になった。

 子どもたちは、互いの家が第二の我が家だと思っているふしがある。 


 透は早く涼みたい一心で早足で小西家へと急いだ。

 (大樹んち、こんなに遠かったっけ?)

 たかが十分の距離なのに、着いた時にはその三倍を歩いたかのような汗をかいていた。

 インターホンを押すと、誰も出る気配が無い。

 「ありゃ、大樹しか居ねえ?あいつまだ起きてねえ?」

 ダメ元でもう一度押してみた。すると、やけに怠そうな若い女性の声が聞こえてきた。

 「ふぁわい……どちら様で……あ、透くんじゃない……」

 大樹の三歳年上の姉、夏美なつみであった。 

 「あっ、夏美姉なつみねえ、おはようございます!」

 カチャリ、とドアを開けて夏美が透を中に招き入れる。

 「どうしたの? 朝早く……はないか。おはよう透くん」

 どうやら今しがた起きたばかりの様な格好と顔つきの夏美である。

 「夏美姉、大樹はまだ寝てるの?」

 玄関から中を覗かんばかりにキョロキョロと見渡す。透はいつも大樹がリビングでごろごろしているのを良く知っているのだ。

 夏美は眠そうな顔を両手でさすりながら、不思議そうな顔をした。

 「大樹?あの子なら、朝早く出かけたけど……あたしがひと眠りする前だから……七時半くらいかな?ねえ、突っ立ってないで上がってよ。汗びっしょりじゃないの」

 思ってもいなかった夏美の応えだった。

 「えっ!大樹、もう出かけたって!えええ……なんで……」

「んー、なんかねえ、バイトの面接が八時半かららしくて、ここから遠いみたいよ。ねえ、上がって。麦茶でも飲まない?」

 透は勝手知ったるなんとやらで、「お邪魔しまーす」と、リビングへ入った。

 「あれ?おじさんとおばさんは?」

 夏美は顔を洗ってでもいるのだろう。キッチンからではなくて、洗面所の方から声がした。  

 「父さんは仕事ー。母さんは用事で出かけたのー」

 いつもなら、リビングにいるはずの二人がいない。どうりでインターホンに誰も出なかったはずである。

 ソファーに腰掛けると、夏美がサッパリとした顔をして、麦茶のグラスを二つお盆にのせて運んで来た。


 「はぁい、どうぞ」

 「有難うございます!これ、おばさんのやつ?」

 「そう。透くんもこれ、好きよね?」

 「うん!おばさんの作った麦茶これが一番美味いんだよね!他にないよ。いただきます!」

 喉をグビグビと鳴らして透は麦茶を飲み始めた。

 「あたしも、っていうかウチの家族はみんな母さんが煮出してくれた麦茶これ好きよね。これ飲んだら他のが飲めなくなっちゃう」

 そう言って、夏美も冷たいグラスに顔を付けてからゴクゴクと飲み始めた。

 「うー目が覚める!……で? 透くんは大樹に何か用があったの?」

 麦茶を夢中になって飲んでいた透は、ハッ、と我に返った。

 「そーだ、そーなんですよ!大樹のやつ、メールしてもケータイにかけても出ないわ返事も寄越さないわ、これじゃ迎えに来た方が早い……って。あ、出かけちゃったのか……」

 夏美はチラリとTVの横の棚に置いてある充電中の携帯電話に目をやると、それを指さして見せた。

 「さっきからブーブー言ってたの携帯これだったのね。バカだから、あの子携帯忘れてったわ」

 透はガクッと上半身を落とした。

 「なんだよ~!それで何回かけても出なかったのかよー!」

 「ねえ、夏美姉は大樹が何時に帰って来るか、知ってます?」

 夏美は首をかしげて、思い出そうとしている。今年二十歳の大樹の姉は、化粧を普段からあまりしないので、素顔を晒しているという感覚がないらしい。美人の部類には属さないが、スッキリと整った顔立ちなので返って薄化粧の方が美しく見える。

 一方で、だぶだぶのTシャツに薄手のジャージ姿は、とてもスッキリとは見えない。普通ならばそんな格好で人前には出たくはない年頃だと思うのに、夏美にとって弟の親友である透は、既に家族の様な存在であったらしく……気を遣う気持ちが無いらしい。


 透もこの時は全く気にかけてはいなかった。

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