後編

 夏美がふと思い出した様に言った。

「あの子が帰って来る時間……?ね、さっき大樹を迎えに来た、って言ってなかった?」

 「そーなんですよ!俺、昨日で学校の特別講習が終わったんで、やっと大樹と遊べる!って映画の前売り券確認したら、今日までだったんですよ!」

 「えー今日が最終日なの」

 「そう!だから連絡取ろうとしたのにケータイにかけてもメールしても出ないワケだよなー。ここにあるんじゃなー。迎えに来た方が早いかなと思ったらいないしー!夏美姉、知りません?あいつの帰る時間。まだ夜までは時間はあるからさあ」

 夏美はうーん、と言って、頬に手を当てて思い出そうとするが、どうやら聞いていなかったようである。

 「ごめんなさい。分からない。それより、おかわりいる?もう一杯飲む?」

 既に空になったグラスに残った氷も溶け始めている。

 「えーいいんスか?頂いちゃおうかな。お願いします!」

 「透くん、大樹を待ってても無駄かもしれないから、誰か別の子を誘ったら?……彼女とか?」

 二杯目の麦茶を注ぎながら、夏美は冷蔵庫にゼリーを見つけた。

 「……あのー……俺に喧嘩売ってます?彼女がいたら、あなたの弟は誘ってねーし。他の奴かあ……部活してなくてバイトしてなくて塾とか講習行ってなくて今から間に合う近場の奴……?うーん……」

 「え?日曜でも部活あるの? 学校閉門してるでしょ」

 「それがさあ、日曜は特別にスポーツセンターで自主練とか、公民館借りてなんか活動とか、運動部も文化部も結構休み無しなんですよねー。休み明けの文化祭の打ち合わせだって夏休み中にクラス集合かけられるしなあ。暇な奴と言えば……」

 「あ、それは暇人な大樹しかいないわね。残念ね。珍しく出かけちゃってて。はい、お待たせ。どうぞ」

 「いやーそんな大樹が暇人なんて、そんなつもりは……おわ、コーヒーゼリーだ!俺、好物なんです!ラッキー!頂きまーす!」

 透は、早速二杯目の麦茶を一口飲んでから、好物のコーヒーゼリーを食べ始めた。小西家では遠慮が隠れんぼをしてしまう自覚がある透だった。

 そこへ、大樹の忘れた携帯がブーッ、ブーッとバイブレーションと共に響いた。


 「あっ、もしかしたら大樹本人かもよ!透くん、出てみる?」

 充電器から携帯を取り外すと、発信元が『公衆電話』と見えた。

 夏美は透に携帯を渡そうとするが、透はゼリーに集中している為か、

 「夏美姉が出て。大樹の帰りが何時か聞いて下さい」

 と、ゼリーを美味しそうに食べ続けた。

 仕方なく夏美が出ると、やはり本人からであった。

 「やっぱり代わってだって」

 ペロリとゼリーを平らげた透に携帯を差し出す。

 弟と透の会話を何となく傍で聞いていると、どうやら夜遅くまでは帰って来られないらしい。

 「あー、やっぱ大樹はダメかあ……どーすっかなぁ……」

 と、真横を見ると、暇そうな人がちびちびと麦茶を飲んでいる光景が目に入った。

 「あー、夏美姉、良かったら、彼氏さんと行きます?夏美姉だったら大樹も文句言わないと思うんで」

 いきなり自分に話を振られて驚いた夏美は、ハァー、とため息をついた。

 (ありゃ?ご立腹?)

 「……透くん、さっきのお返し? あたしに彼氏がいたら、今頃家になんかいないでとっくにデートに行ってるわよ……」

 あっそうか、と透はポリポリ頭を掻いた。

 「勿体ないわね。他に誰かいないの?」

 「うーん……」

 チラリと横目で視線をためらいがちに送ってみる。暇そうな人が丁度、真横に座っている。

 (でもなあ……弟の同級生と二人きりで映画は嫌かもなぁ……俺ひとりで行って来るか……でもなあ……つまらねえよなあ。観た後のだべりも楽しみのひとつだしなあ……うーん……よし、ダメ元で夏美姉を誘ってみて、断られたらしょーがない)

 黙ってしまった透に夏美は彼が気の毒に思えて来た。、かといって自分では代わりの者も探せない。彼には妹がいるが、歳が離れているからか、最初から除外されているのだろうと考えた。


 しばらく二人の間で沈黙という気まずい時間が流れた。 


 「……あ、の~……夏美姉? もし、もしもだけど……嫌じゃなかったら……お、俺、と一緒に行ってくれます?」

 (うぉう!言っちまった! 何このドキドキ感!やべぇ~!)

 「……えっ!あ、あたし?」

 思ってもみなかった自分への誘いに、夏美は驚いた。自分は端はなから頭数に入っていないと思っていたのである。

 そっと横にいる弟の親友の様子を見やると、緊張した面持ちでこちらを見つめていた。視線が斜めに絡み合う。

 (まあ……弟と出かけると思えば、ね……うん)

 「……それ、なんて映画? どこに行くの? 」

 興味を示した夏美に、透は安心したかの様に、ニカッ、と笑顔を振りまいた。

 「駅近くのモールの中で、タイトルは『照る日曇る日ハレの日ケの日』です!」

 「は?を観るの?」

 (観るつもりだったの? 高二男子二人で?)

 「そうなんですよ!しかも今日が最後なんで!見逃すのは惜しいかと!」

 透には、夏美の質問の意図が伝わっていないとみえる。

 なぜならば、斎藤監督はファミリーヒストリーや、ヒューマンドラマで有名な映画監督であり、今回のスクリーンでは、三代に渡る一家族の密着取材を元にドキュメンタリー風に二十年の歳月をかけて制作された作品なので、ハイティーンの男子が観るにはいささか地味な題材であると夏美には思えたのであった。

 小西家は、親戚縁者と呼べる者がいないのに等しい。透の家庭も似たり寄ったりである。大樹はそのせいか、ファミリー物に興味がそそられるらしい。それは姉の夏美にも、同じ事が言えた。

 「そうね。勿体ないわね!斎藤監督の二十年が詰まっている映画だものね……あたしで良ければ、行こっか?」

 透の表情がみるみる内に満面の笑みに変わった。

 「やりぃ! 行きましょう!」

 「そうと決まれば、早い方がいいわね!待ってて、十分、いえ、五分で支度してくるから!」

 夏美は急いで立ち上がり、二人分の空のグラスとゼリーの器を片付けようとお盆にのせた。

 「俺、洗っとくよ。かして夏美姉」

 透も立ち上がり、勝手知ったる何とかで、夏美から受け取ってキッチンへと向かった。

 「あ、有難う……じゃ、支度してくるわね……」


 かくして、前売り券二枚は無駄にせずに済み、夏美が車を出したおかげで映画の前に二人で軽いランチを摂り、映画の後でそれぞれの家の食料品をスーパーに寄って特売品を買い求め、夕食の準備に間に合う様に帰宅出来たのであった。

 高二男子と女子短大生にしては所帯じみた日曜日の外出だが、これが本人たちの日常であった。


………………………………………………………………






 数年後




 ガラスのローテーブルの上には、麦茶が入ったグラスが二つ。

 傍らでは、揺らぎを得意とする扇風機が穏やかな風を送っている。窓は開け放たれ、時折涼しい風が吹いて来る。


 「……なあ、初めてのデートって、覚えてるか?」

 洗濯物を畳んでいた手が止まり、声の方に体を向ける。

 「え……初めてのデート? って、いつの?」

 「だから、俺たちの初めてのデートだよ。お前さあ、十分で支度してくるって言って、まさかのジャスト十分で着替えて来たんだよなあ……TシャツとGパン姿にさあ」

 「ええ?ちょっと待って。初めてのデートでしょう? 違うわよ、そんな格好じゃなかったわよ」

 「じゃ、どこに行ったか覚えてるか?」

 「ええ?うん、えーと……どこだったっけ?どれが最初だったっけ……?」

 「ほらな、思い出せないだろう? だからやっぱり、が俺たちの初めてのデート、だな」

 「えっ?まさか、あの、大樹の代わりに行った映画の事?やっ、違うわよ、アレは付き合う前じゃないの」


 弟と、弟の親友と三人で、車を出す事を口実に遊びに出かけた。弟が二人になった気分だった。まだ異性として意識していなかった。

 いつからだろうか。彼を年下の男の子ではなくて、ひとりの男性として意識し始めたのは。

 確か、大樹が自分は行かないから二人で行ってくれば?と言った辺りからだと思うのだが、いつであったのか一向に思い出せない。

「俺らが二人で最初に出かけたのがアレだから、やっぱそうだよな」

 「えっ!違うったら!あたしもっとおしゃれしたし、頑張ったし、気合だって緊張だって段違いに凄かったんだから!絶対アレは違うわよ!」

 「ふぇ……っ」

 可愛らしい小さな小さな声が零れる。

 「しーっ……しょうが起きちゃうだろう」


 「あ……ごめんねぇ、翔くん。悪いパパね」

 「なんで悪いのが俺なんだよ」

 「だってあたしに大きな声を出させる様な事を言うからよ」



 折角、パパの腕の中ですやすやと眠ってくれているのに。ねえ……?   





            終わり

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きっかけなんてこんなもん 永盛愛美 @manami27100594

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