第4話 海より湖派

 吾輩が蝉取り運動に明け暮れる日々を送っている。こちらの世界は硬い地面が多いため、落下防止には最新の注意が必要だ。しかし相も変わらず蝉は良く鳴き、味も特段美味くもない。どうせなら、少しは美味になっているかと、ちと期待したが、お主は何も変わらなかった。


 ふと、現代人も海水浴をするのかと気になり、家主に尋ねたところ、

「私は海よりも湖派!!!」

 と逆ギレされた。質問をしただけで、こんなに責められるとは、心外である。


 キレるとは「感情が高ぶり、理性が利かなくなる状態のこと」を指す言葉である。興奮で浮き立たった血管が様子を語源とし、1990年代頃から普及した。「キレやすい若者」という社会問題として、お茶の間を賑わせたこともある。ふむ、確かに便利な言葉である。「怒る」よりも瞬間的に沸点に達した模様が目に浮かぶし、「憤慨」や「激昂」よりもカジュアルな表現だ。


「ねこち。ねこち。」


 家主が手招きをする。怒ってはいないらしい。瞬間的にキレただけだったようだ。たまには家主の機嫌をとってやるかと、吾輩は招きに応じ、家主の膝に体を丸めた。すると吾輩の体はひゅっと浮く。家主が吾輩を膝から布団に降ろしたのである。人間は猫が膝にのるのが好きなものと認識していたが、家主は違うのであろうか。家主は吾輩のすぐ隣で腹ばいになった。猫が自分の顔を引っ掻くことなど考えもしない、呑気で無防備なさまである。呆れつつも、吾輩も家主の姿を真似する。あと1匹か1人いれば、川の字だ。


 ふぅーっと体を伸ばしていると、顔面に1つの写真が置かれた。


「レンソイス」


 家主はつぶやく。その言葉とこの写真だけで、湖派の理由が分かるだろうという態度である。説明不足も甚だしい。猫である吾輩がこんなに読者に説明しているにも関わらず、人間の家主はたったの5文字だ。怠慢か、それとも不器用か。人間とは哀れな生き物である。


 家主の代わりに説明すると、レンソイスはブラジル北東部にある地名だ。ポルトガル語で「敷布シーツ」を意味し、あたり一帯には真っ白な砂丘が広がる。雨季には、真っ白な砂丘に淡緑色の湖がいくつも現れ、遊泳を楽しむこともできるそうだ。


 説明を終えたところで、改めて写真を眺めてみる。うむ。確かに美しい風景だ。ここで泳いだのかと、家主に問う。


「泳いだよ。たくさん湖があった。水がエメラルドグリーンに透き通っていて、底が見えるの。海みたいにベタベタしないし、すーぅって泳げるの。」


「あ、魚は泳いでいたけれど、猫は泳いでなかったかな。」


 分かっておる。一言多い。

 

 にゃーと本物の猫撫でられ声を奏でながら、瞼に白い砂丘とエメラルドグリーン色の湖を浮かべながら、布団の上で眠りに落ちていった。

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