ヴィーナス・ヴァレット
「ついにこの日が来たか」
慣れないスーツに身を包んだ俺はアウローラの最上階である300階のパーティー会場に来ていた。
「伊織さん、どうかしら? この衣装」
俺の隣では紫紺のドレスで着飾った紫苑が見せびらかすようにターンを決めている。
清楚ぶって口調まで変えてきやがった。
さん付けで呼ぶな気持ち悪い。
「びっくりするくらい色気ねぇな」
メイクさんにお化粧をしてもらい、髪もなんかオシャレな感じにしていて、肌の露出も多いんだが、なんでこんなんになっちゃったんだろう。
日頃の印象?
「な! ちょっとそれは乙女心分かってないんじゃないかな!? こういうのはお世辞でも『可愛いよ、この世界の誰よりも』って言うんだよ!」
「そんなキモいこと平然と言える精神力は持ち合わせてないわ」
というか、なんでちょっとイケボで囁く感じで言ったんだよ。その声、俺のと交換してほしいわ。
そんな無駄口を叩いていると、今パーティーの主賓であるアンリエッタ王女が姿を現した。
誘拐事件の時、着ていたのと同じドレス。違うのはいつもの双子メイドが脇にいないことだろう。
「伊織、パーティー始まったよ」
「分かってる」
「美味しそうな料理がいっぱいあるよ」
「見ればわかる」
「食べてくる」
「ああ……はぁ!? 何言って……ってもういねぇし」
いつの間にか紫苑の姿が消えていた。
この後大事な作戦が控えてるってのに、あいつ何考えてんだ、マジで。
俺はパーティー会場を見渡し、紫苑の姿を探す。
「あ、いた」
すると、両手に骨付き肉を持ち、口の中は既に何かの食べ物を放り込んだのか、パンパンに膨れ上がっていた。
「食うのはえよ。食欲お化けめ」
とにかく、あいつを早く連れ戻そう。
流石にあの戦力を遊ばせておく余裕なんかない。
「おい、紫苑……」
「おやおや、もしやあなたは序列1位の結城さんではありませんか?」
「え? 領域の絶対者!?」
「わー! 僕サインが欲しい!」
「わたしは一緒に写真とりたい!」
と、紫苑に呼びかけようとしたが、知らないおっさんや子供たちに割り込まれてしまって、紫苑の元にたどり着けなくなってしまった。
相変わらず、すごい人気だな。
「ふんふんほっとまって」
口の中に物が入っていて紫苑が何を言っているのか聞き取れなかった。
「んぐ、オッケー。で、なに? サイン? いいよ」
食べ物を飲み込んだ紫苑はそのまま子供から渡された色紙にサインを書き始める。
そして、紫苑のファンサに期待してか長蛇の列が出来てしまっている。
主賓のアンリエッタより人集まってんじゃねぇか。
仕方ない。このままじゃしばらく時間がかかりそうだし、紫苑抜きで動き始めるか。
俺は紫苑に見切りをつけ、パーティー会場の中を歩きながら、ある人物を探す。
「お、いたいた」
思ったより早く見つけられた。まぁ、目立つしな。
「っと、会場の外に出た。展望エリアか?」
300階は中央が今俺たちのいるダンスホール、そしてその外側を覆う様に展望フロアが広がっている。
展望フロアは外側の壁が全面ガラス張りになっており、外を見渡せ有名な観光名所となっている。
ただ、今日はフロア全体が貸し切りの為、一般客はいない。
「とりあえず、後を追うか」
俺もダンスホールから展望フロアへと移動する。
「人っ子一人いないな」
どうやらパーティー参加者は全員中に入っているようだ。多分紫苑の影響かな?
いつでも見れる景色よりたまに見る有名人を取ったってところだろう。
って今はそんなことどうでもいいんだよ。それよりもあの人は……。
「……いた」
その人は一人で外の景色を眺めていた。
俺はその人物の後ろに立ち、声をかける。
「こんなところで会うなんて偶然だな」
「あら? そう? 偶然ではないと、私は思っているわ」
彼女は振り返らずそう答えた。
「その反応、俺たちがここに来ることが分かっていたみたいだな……クロエさん」
ワイングラスを片手に彼女はゆっくりと俺たちの方を向く。
胸元が大きく空いた赤いドレスを着ている彼女はいつものように強い香水の匂いを漂わせていた。
「私のとこに来たと言うことは全部わかったと思っていいのかしら?」
「ああ。あんたの正体も大体は分かっている。クロエさん……いや、ヴィーナス・ヴァレット」
DDD所属のハンドラー、クロエ・テール。それは彼女の仮の姿。
その正体は吸血鬼の真祖ヴィーナス・ヴァレットその人である。
「あら? いつ頃気づいたのかしら? そこに辿り着けるまでの情報を与えた覚えはないけど?」
「いいや、そうでもないさ。例えば、その香水とかな」
最初嗅いだ時は香水が強い人だという認識しかなかった。
「偶然、あんたの香水と同じ匂いを嗅いだんだよ。つい最近、ある事件でな」
それは黒柳議員暗殺事件の時。
「それで分かったんだよ。あんたがミントヴルムの香水で魔族の匂いを消していることがな」
ミントヴルムの香水なんて違法な代物の匂いなんか嗅いだことなかったから、初めてあの香水の匂いを嗅いだ時は気が付かなかったんだけどな。
「でも、それだけじゃ、私がヴィーナス・ヴァレットであることにはならないと思うのだけれど? ただの魔族かもしれないわよ?」
「他にもあんだよ。そう、違和感ならあんたと最初に会った時からな」
それはつい先日、紫苑に連れられて病院に行った時のことである。
「左手がなくなったってのに平気そうな顔してるのが違和感ありまくりだったぜ。普通ならパニックになってしばらく現実を受け入れられずに入院しているはずだ。それがないのは慣れているから、それしかありえない」
吸血鬼の真祖は不死身だ。腕を切り落とされようが、首を切り落とされようが死にはしない。
それに加えて不老。
長く吸血鬼として生きていれば腕がなくなることなんて苦でもない。
「その切り落とされた左手を治さないのは、人間のフリをする為だろ?」
「ええ、そうよ。でも、その必要はもうないわね」
ヴィーナスは包帯を取る。すると、一瞬にして左手が再生した。
「やはり真祖か。それさえ知れれば、十分だ」
「十分ていうのは?」
「今この瞬間、俺の推理は現実となった。と言うことさ」
「では、せっかくだし、聞きましょうか。その推理を」
「いいぜ、少し長くなるがな」
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