エルフ王女誘拐事件Ⅴ

「なんだ……一体何が起きているっ!」



 屈強な肉体に過剰すぎる防護服で身を包んだその男は未だかつて味わったことのない感情に心をかき乱され、動揺が隠せなかった。

 その感情の名は、恐怖。



『く、来るなぁ!!!』

『このバケモノがぁ!!!』

『た、隊長! 助け……ぎゃああああああ!!!』



 無線機から部下たちの悲鳴や叫び声がとめどなく流れてきて、そして、その通信は例外なくすぐに途絶する。



「ただのメイドを攫うだけの簡単な仕事ではなかったのか!?」



 アウローラから南に15キロ離れた廃ビル。そこの5階に彼らはいた。

 隊長と呼ばれた彼の名はギルバート。

 今回の誘拐事件の実行部隊隊長である。



「今の状況はどうなっている!」



 ギルバートは傍に控える部下に向かって叫ぶ。



「い、1階から3階までに配備されていた小隊、全てから通信が途絶! 全滅したものと思われます!」

「一体、敵は何人いるんだ!」

「そ、それが……」

「なんだ! 何人だ! 早く言え!」



 口ごもる部下をギルバートは叱咤する。



「ひ、1人です! 侵入してきたのは少女1人だけです!」

「1人だと!? バカな! 下には30人はいたはずだぞ! それがたった1人の少女にやられたというのか!」



 ギルバートにはこの状況が理解できなかった。

 下階にいたのは素人集団ではない。戦闘に特化した異能力を持つ人間や魔法を使える魔族など、戦い慣れたプロの集団だ。

 それがたかが少女1人に手も足も出なかったのだ。



「で、ですが、4階には獣人のグレゴリーさんがいます。あの人ならきっと」

「そうだな。奴は百獣の王、ライオンの獣人だ。そう簡単には……」



 頼れる兵士の存在を思い出し、少し安心した彼らだった。が……。



「なんだ……?」



 ギルバートは床に亀裂が走っていくのに気が付いた。

 その直後、床が割れ何かが下階から飛び出してきた。

 そして、それはそのまま5階の天井を抜け、さらに上階へと飛んでいった。



「あの、隊長……今のは……」

「い、いや、そんなはずは……」



 今起きた光景を現実として受け入れられない彼らは首を横に振った。

 けれど、それでも拭えなかった。一瞬だけ見えたその光景は……。



「獣人最強の種族だぞ……それが紙くずみたいに吹き飛んだのか……?」



 件のグレゴリーだった。



「よっと!」



 ギルバートたちが呆けていると、穴の開いた床から1人の少女が飛び上がってきた。



「スンスン。うん、美少女の匂いがする」



 紫色の髪を揺らしながら現れたその少女は鼻をひくひく動かし、ギルバートの後ろにある扉を指差した。



「私の助けを待ってるヒロインはそこかな?」



 目的の者の位置を把握した少女はスキップしながらギルバートの方へと近づいていく。



「っ! 奴を人質の元に向かわせるな! 一斉射撃!」



 ギルバートは即座に指示を出し、傍にいた10人の部下たちは装備したライフルで紫髪の少女に弾丸の雨を降らせる。

 しかし……。



「た、弾が当たらな……いや、届きません!」



 少女に放たれた弾丸は一つ残らず、彼女に届く前に地面に落ちていった。



「っクソ! これならどうだ!」



 銃が効かないと分かった能力者の1人が右手から炎を生み出し、少女に向かって放つ。



「な! 消え……」



 その炎もまた少女には届かず、地面に押しつぶされ、かき消えてしまった。



「邪魔だよ。どいて」



 そして、少女はそのまま距離を詰め、炎の能力者を殴り飛ばした。



「がはっ!」



 炎の能力者は後方50メートルにある外壁を突き破って外まで吹き飛ばされた。



「なんてパワーだ! 身体強化関連の能力者か!」

「馬鹿言え! それじゃあ、銃弾や炎が効かなかった説明がつかないだろ!」

「じゃあ、何の能力だよ! 人間が生まれ持った異能力は一種類だけのはずだろ!」



 常軌を逸した彼女の強さを前に彼らはパニックを起こしていた。

 けれど、そんな中、たった1人だけ彼女の正体に気が付いた者がいた。



「紫紺の髪に蝶の髪飾り……ま、まさか……彼女はっ!」

「お前、奴を知っているのか!?」



 ギルバートは彼女の正体を知って怯える彼を問いただす。



「た、隊長! ダメです! 彼女だけは敵に回してはいけません! 今すぐ逃げないと!」

「落ち着け! 彼女がなんだというのだ!」

「か、彼女は領域の絶対者とうたわれるDDD序列第1位、結城紫苑です!」

「なっ! 序列1位だと!?」



 セントラルの名だたる猛者たちはDDDに集まる。その中で序列1位。

 つまり、それが指し示す意味とは………、


 世界最強。


「む、無理だ……俺たちがどうこうできる相手じゃない……」



 彼女の正体を知り、戦意喪失した彼らは武器を捨て、その場に崩れ落ちるのだった。




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 俺は電話に出て、アンリエッタにも聞こえるようにスピーカーモードにする。



『伊織聞こえるー? 可愛い可愛いメイドさんを保護したよ!』



 美少女にあった興奮からか電話越しに聞こえる紫苑の声は異様にテンションが高かった。



『アンリエッタ様! 私は無事です。ご心配おかけしました!』



 紫苑とは別の女性の声。それは今回人質となったメアリーのものだった。



「メアリー! よかった……よかった」



 メアリーの声を聞いて今までの緊張が解けたのか、アンリエッタはその場にへたり込んで涙を浮かべていた。

 さて、俺の役目もこれで終わりだ。今のうちに退散させてもらおう。

 紫苑との通話を切り、何事もなかったかのように部屋の外へと出ようとした。



「待ってください!」



 けれど、それはアンリエッタに止められた。



「あなたは一体、何者なのですか?」

「何者って……東雲伊織って名乗らなかったっけ?」

「いえ、そうではなく……」

「んじゃ、俺はもう行くから」



 これ以上、ここに留まっていては色々と聞かれて面倒だ。

 だって、このままじゃ、無職であることを彼女に伝えなくちゃじゃん。それはまずい。せっかく今カッコいい感じに決まっているのに、実は無職でしたとか、笑い話にもならない。なんなら、アンリエッタにゴミを見るような視線を送られる可能性だってある。うわぁ~考えただけで嫌だわ~。ここは逃げる一択。今ならまだ謎の救世主ってことで彼女の中でカッコいい俺のままでいられる。

 と言うことで、俺はそそくさと彼女の前から立ち去った。

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