マエムキ食堂
舞寺文樹
マエムキ食堂
チャイムがなって4時間目が終わる。皆は一斉に手洗い場に並び、長蛇の列ができる。手を洗い終えた人は自分の席に着席する。
またチャイムがなる。二回目のチャイム。マエムキ食堂の開店のチャイム。
君が来てからこの世界は変わった。君は時には人だって殺す。君は時には人の幸せを奪う。
けれど、君が来たからマエムキ食堂が開店した。いや、君のせいでマエムキ食堂が開店した。別に開店して欲しかったわけではない。別に無理に頼んで、開店してもらったわけでもない。なんなら、今すぐにでも破綻してしまえばいいのにと思っている。君は嫌いだ。大っ嫌いだ。
ガラガラと扉が開き、先生が教壇から見下ろす。
「前を向いて、黙って食べなさい」
「またかよ、うるせーな」
「仕方ないだろう。そういう御時世なんだ」
先生はいつもそう言った。
「出た出た、その『御時世』もう聞き飽きたぜ」
「いいから、前を向いて静かに食べなさい」
――真っ赤なお弁当――
包みを開けて静かに真っ赤なお弁当をとりだす。楕円形のお弁当だ。母お手製のお弁当は、あすみにとっての密かな楽しみだった。
みんなの前で大口を開けてお喋りするなんて恥ずかしくてできないけれど、今なら誰も見ていない。私は大きな口を開けて唐揚げにかぶりついた。
私は天然パーマがコンプレックスだった。サラサラロングヘアーの女の子にずっと憧れていた。私もJKになったらあの子たちみたいに放課後にファミレスとか、カラオケとか行きたい。それが高校の目標だった。
「お母さん。私、縮毛矯正したい!」
「あら、私はそのチリチリ嫌いじゃないわよ?」
「やだやだ、お小遣いも貯めたし、いいでしょ?」
私は母の返事も待たずに、昨日こっそり予約した美容室へ向かった。
何度か通ううちに私の髪の毛はだいぶストレートに近づいてきた。
「あれ!あすみちゃん、髪の毛サラサラになってるじゃん!」
「わぁ!ほんとだ、似合ってるにあってる!」
「え?ほんとー?」
「うんうん。あ、そーいえばさ、来週みんなでカラオケ行くんだけどさ奇数でキリ悪いし、あすみちゃんも来ない?」
「え?いいの?行く行くー!」
とこんな具合に行くと思ってた。悪いのは全部髪の毛だと思ってた。でも違った。根本的に私は人とコミュニケーションを取るのが苦手みたいだ。結局いつも私はひとりぼっち。縮毛矯正にももう通ってない。私の髪の毛はまた、ベートーヴェンみたいになっていた。
でも私には1つだけ楽しみがある。それは放課後美術室に行くことだ。美術の
「フェルメールの絵にキューピットが……」
って言っても誰もわかってはくれないが、明田先生はわかってくれる。しかも明田先生は、私の絵をとっても称賛してくれるのだ。
「あすみちゃん、美大にいきなよー」
「えぇー。それは無理ですよ」
「いけるいける、この絵で個展開いてたら、私行っちゃうもん」
「そんなわけないじゃないですかー」
私のことをこんなに褒めてくれたのはお母さん以外に明美先生しかいなかった。とってもとっても嬉しかった。
「美大かぁ……」
私はもう一口唐揚げにかぶりついて、ご飯を書き込んで小さく机を叩いた。
「私、決めたもん。美大に行って、有名な画家になって、みんなを感動させる」
人と人の距離が離れがちなこの時代に、私は人と人がコミュニケーションをとるきっかけになりたい。そう思った。
人生もっと前向きに生きないとね!
――透明なタッパー――
「お前、弁当でか!」
「しかも二つだぜ」
「まじかよ!お前どんだけ食うんだよ」
「おれ、甲子園でホームラン打つから。そのためにパワーつけないとねー」
「なるほどなー、頑張れよ!甲子園行ったら飛行機乗って応援行くから!」
「任せろって!」
うちの高校は野球部が強豪校だった。その中でも遊撃手で四番バッターつまり、チームの要を任されている山田は学校中の人気者だった。
野球部のノルマは、2リットルのタッパーに並々のご飯を昼休み中に食べること。これが試合に勝つための土台になる。野球部の顧問の橋爪先生は、そう言って入部した一年生にタッパーを配るらしい。
山田も最初の頃は正気ではないと思ったが今となっては、購買でパンを追加購入するくらいの余裕っぷりだ。
タッパーの蓋を開け、ふりかけをかける。ふりかけの甘塩っぱい味とお米の甘さがたまらない。みるみるうちにご飯は減っていった。
「うーん。ここの黒いの見えるかい?」
「はい。見えます」
「ここ、腰椎って言うんだけど、くっついて無いんだよね」
「くっついてない?」
「うん。腰椎分離症だね。全治は三ヶ月くらいかかるよ」
「全治三ヶ月……」
春の大会が中止になった。なので、大会が終わった後に行こうと思っていた腰の病院に行ってみることにした。
しかしそこでの診断内容は想像を絶するものだった。
俺は次の日から練習は別メニューとなった。俺は途方に暮れた。目の前で泥んこまみれになって、必死に頑張ってる仲間達を横目に、椅子に座って、ひたすらボールを磨きづける毎日。
「俺、夏の最後の大会活躍できる?今までの野球人生これで終わり?」
絶対それは嫌だった。
「おい、山田、手が止まってるぞ。後ボール二カゴ分あるんだから」
「すみません」
「焦ってるのか?夏に間に合わないかもしれないって」
「はい、焦ってます。もし腰が治ったとしても、このブランクの埋めることはできるのかとても心配で」
「そうか、でも春大会があったら、それが終わってから病院行こうとしてたんだろ?そしたらもう確実に夏は無理だったな」
「はい、そうかもしれないです」
「今はしっかり安静にしなさい。治った時には、死ぬ気で頑張りなさい。今度はあの、華麗な守備と、豪快なホームラン、甲子園で見せてくれよ」
「わかりました。がんばります!」
焦ってはいけない。今無理したらだめだ。今はしっかり安静に。腰が治ったら、また思いっきりやればいいんだ。春の大会があれば、俺はもう引退していただろう。でも、今の俺はまだチャンスがある。
山田はもう一つのタッパーを開けた。こっちにはご飯のお供が詰まってる。母さんが朝早くに作ってくれた、トンカツの卵とじは絶品だ。玉ねぎも甘くて、お肉も柔らかい。残りのご飯をトンカツの卵とじと一緒に平らげる。
応援してくれる親のためにも頑張らないと!
前向きに、前向きに!
――童塗りのお弁当――
うちの学校には、野球部でも、柔道部でも、相撲部でも、モヒカンにして特別指導を食らったわけでもない坊主が1人いる。彼の名前は
クラスの奴らからはよく「じゃくい」って、ジャミロクワイの略だろ?といじられるが、彼は寡黙で落ち着いているし、もはやジャミロクワイは人の名前ですらない。
彼は静かに手を胸の前で合わせて、童塗りのお弁当の蓋を開けた。きんぴらごぼうに、ナスの煮浸し。そして、シャケの切り身とご飯。まさしく「和」である。ちなみに精進料理は、修行の時しか食べないらしい。
僕はあまりこのような類は好きではない。うちのお寺の檀家さんに変な印象を与えないように地味なラインナップが並ぶが、夜ご飯は至って普通で、ハンバーグとか、パスタとかだって食べる。なのであまり昼休みのお弁当は楽しみではないのだ。
僕は大学には行かない。京都のお寺に預けられるからだ。それまでは友達との時間を大切にしなさいと、親が言ってくれたおかげで、朝のお勤めのお経と、お堂周りの掃除をすればそれ以外のことはしなくてもいいと言ってくれた。
「なあ、お前野球部?」
「ち、違うよ」
「なーんだ、違うのか。紛らわしいなあ」
野球部が強いから、大会の期間になるとみんな僕に話しかけてくる。そして何度も野球部ではないと弁明する。するとみんなは裏切られたような顔をして僕から逃げるように去っていく。僕は何か悪いことをしただろうか。
僕の将来はお坊さんだ。別になりたいわけではないけれど、これが僕の運命なんだ。でも、こんな一人ぼっちのやつが、みんなを救えるのだろうか。みんなの心の拠り所になれるような立派なお坊さんになれるのだろうか。私は住職である父に相談した。
「お前は、そんなこと考えるようになったのか。成長したなあ」
「成長したって、今の状況どうにかしないと……」
「大丈夫だ、そのようなきれいな気持ちを亮太は持ってる。その気持ちはみんな持ってるものじゃないんだよ」
「きれいな気持ち?」
「うん、今の自分が人のための役に立とうと思てることが、大事なんだ。お前ならきっと立派なお坊さんになれる」
僕の青春を奪った君を、沢山の人を殺した君を僕は絶対に許さない。僕はそんな君からみんなを守る。薬とかヒトの体とか、そーゆーのはわからないけど、忙しないこの世の中に、心の拠り所を与えたい。
君は僕から青春を奪った、けれどその代わり、僕は、将来お坊さんになる意味を見つけた。
ピリ辛のきんぴらごぼうを口に運んで、静かに手を合わせた。
僕、立派なお坊さんになる!
チャイムがなる。三度目のチャイム。マエムキ食堂閉店のチャイム。あすみちゃんは急いでマスクをつけて、山田は残りのご飯をかきこんで、寂威亮太は、まっすぐで綺麗な瞳で外を見つめた。
――そして――
生徒全員が同じ方向を向いて黙って食べる。それはまるで刑務所のようだが、俺たちのこと舐めてもらっちゃ困る。この青春の時代に、この貴重な時代に君に殴りに殴られまくった俺たちは只者じゃない。
俺たち、そろそろ輝くよ?
マエムキ食堂 舞寺文樹 @maidera
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