水槽

王生らてぃ

本文

 小さなころから育てている人魚も、ずいぶん大きくなった。もう売ってしまってもいい頃だと言われたけれど、どうしても手放せなくて、わたしは家を出て一人暮らしを始めた。大きなベランダのある家。リビングには人魚が泳げるだけの巨大な水槽を置いて、のびのびと泳げるようにしてあげた。

 海や川に比べたら窮屈だろうけど、泳いでいる人魚はとてもきれいだ。



「メリュー。ご飯だよ~」



 私が呼ぶと、メリューはゆうゆうと泳いできて水面に顔をのぞかせる。今日のご飯はマグロの赤身を細かくミンチにしたものに塩をかけたユッケっぽいものだ。これはメリューの大好物で、匂いを嗅ぐだけですごく嬉しそうにする。



「はい、あーん」



 金属のスプーンは嫌がるので、竹で作られたれんげを使って、メリューの小さな口に少しずつエサを運ばせる。人魚はとても少食だ。お茶碗一杯分くらい食べると、三日間は何も食べなくても平気なのだ。



「おいしい?」



 わたしが聞くと、メリューは嬉しそうにうなずく。濡れた金色の髪が揺れる。日に焼けないように大切に育てた真っ白な肌、照明を浴びて虹色に光る鱗。均整の取れたプロポーション。服を着ているわけじゃないので、そのスタイルが妙に目立つ。

 人間のわたしよりも、ずっときれいだ。



 食後の運動として、時々わたしも一緒になってメリューと泳ぐ。

 わたしは人魚と違ってずっともぐっていられるわけじゃないので、せいぜい一緒に浮かんだり、十秒くらい一緒にもぐったりするくらいだ。人魚のからだは、ひんやりとしていて冷たい。でもじかに触るとあたたかくて、やわらかい。

 わたしは、メリューの腕に抱かれて泳ぐのが好きだった。メリューの体は流線形に磨き上げられていて、ちょっと膨らんだ胸も引き締まって、でもさわるとちゃんとやわらかくて――

 時々、人間みたいだなあって思うときがある。

 お母さんや、年上の女の人の胸に抱かれているときって、こんな感じなんだろうか。



 水の中で息が続かなくなっても、わたしは少しだけ我慢ができる。

 メリューの頬に手を添えると、メリューはわたしをぐいっと上の方に抱き上げる。手で頬に触れるのはキスの合図。わたしが口づけすると、メリューはぎゅっとわたしを抱きしめてくれる。舌を絡め合うと、ふわふわと、お砂糖のように甘い香りがする。その間は不思議と、水の中でも溺れることはない。

 わたしの手はメリューの髪の毛を通り、細くきゅっとしまった腰、それから鱗に覆われた足ひれをなでる。メリューはくすぐったそうに顔を震わせる。口のあとは首筋や胸にキスをする。耳を噛む。息が苦しくなったら、また口づけをして、舌を絡め合う。



「こらっ、」



 メリューの細長い指が、わたしの下半身に伸びた時は、手首をぎゅっと掴んで「おしおき」をする。わたしたちはいったん水面に上がって、息を大きく吸う。



「だめだって言ってるでしょ。するのはわたしだけ」



 メリューは悲しそうな顔をする。

 だって、わたしからは何もできない。メリューにはちゃんと「去勢」をしているのに、いつもわたしのことを愛撫しようとしてくる。いつまで経っても治らない困った性質だ。

 メリューの鱗に覆われた下半身には何もない。



「ごめんね、ほんとうはしたいよね。でもダメよ、わたしからしてあげるからね、それで我慢してね」



 水面に顔を出した状態でするキスは、なんか生々しくて好きじゃない。

 また、私たちは潜って、キスをする。そしてメリューの体を撫でまわして、いっぱい、いっぱい愛してあげる。人魚は人間に愛されているかどうかを敏感に感じ取る。いっぱい愛してあげると、それだけ美しく、理想的に育つのだ。

 メリューのことが大好き。本当に好き。いっぱい、いっぱい愛してあげたい。



「ふう、」



 水槽から上がろうとすると、メリューはぎゅっとわたしの服のすそを掴む。

 そして、ちょっと濡れた瞳でわたしを上目遣いに見る。



「シャワー浴びるから、離して」



 メリューは動かない。



「離してって。聴こえるでしょ、それとも――もう食べられたい?」



 メリューは手を離した。

 口をぱくぱくさせて、何かを叫ぼうとしているようにもみえる。



「アハハ。なに、お魚の真似? それともまだエサが欲しいの? 駄目よ、今日の分はもう食べたんだから」



 メリューは喉を震わせる。

 ちゃんと「去声」済みだから、いくら頑張ってもメリューが声を出すことはない。これでわたしたち人魚の飼い主は、人魚の歌声に惑わされることなく、彼女たちをかわいがることができるのだ。



 シャワーを浴びて戻ると、メリューは水槽の中で所在なさげに漂っていた。わたしと目が合うと悲しそうな顔をして、碧色に光る目を伏せる。

 人魚の瞳は、美しくなればなるほど美味らしい。

 今までずいぶん手塩にかけて育ててきたメリューも、もうすぐ「食べごろ」だ。



「もうすぐだね」



 メリューはわたしに向かってほほ笑んだ。

 わたしも笑う。あなたを食べる日を、小さなころからずっと待っていたのだ。それももうすぐ。それまではこの水槽の中で、いっぱいかわいがってあげるからね。あなたが人間のように美しく成長し、醜く衰えていくその直前まで。

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