コンビニ
年明けの初出勤日は、店長と一緒だった。
珍しいこともあるものだ。もしかしたら、矢向さんが入っていたところに休みの連絡でも来たのかもしれない。
うちのコンビニの店長は、戸枝さんという、四十過ぎのお腹の出たおじさんである。
五年前に離婚しているそうで、数ヶ月に一度娘さんから届く手紙が楽しみなんだそうだ。
「高良くん、ちょっとこれ見てくんないかな」
「はい?」
一通りの作業が落ち着きかけた頃、店長が俺を呼んだ。
もしかして、何かミスでもしていただろうか。
表情を見るに怒っている訳ではなさそうだが、ちょっとした緊張と共に手を止め、店長の元へ向かった。
ただ、俺の予想とは異なり、店長は全くの私用で声をかけたようだった。
「娘から来た年賀状なんだけどね」
「年賀状、ですか」
「ここにさ、なんか変なの写ってない?」
そう言って店長が見せてくれたのは、ごく一般的な年賀状だった。干支の絵柄に包まれた形で上半分に家族写真が写っていて、下半分に新年の挨拶が書かれている。
写真の中で並んでいるのはおっとりとした優しげな女性──元奥さんだろう──と、それによく似た顔立ちの小学生くらいの娘さん、あとは祖母と祖父だろうか。
撮影場所は庭先のようだった。少し古い印象を受ける日本家屋の縁側の前で、全員笑顔で写っている。
これだけならば朗らかな家族写真だが、店長には何やら気になる点があるらしい。
ここ、と示されたのは、縁側の奥にある襖だった。
写真なものでよく目を凝らさないと分からないのだが、細く開いた襖の隙間に、大きな目玉が覗いているように見えるのだ。
恐らくだが、もしこれが本当に写ったものなら、そのサイズの目玉に見合った顔が、襖の向こうにあるのだろう。
「僕が勝手に心配しているだけなのかもしれないけど、変だって分かった上でわざと送ってくれたんじゃないかなあ、と思って」
「わざと、……ってどうしてまた」
客が来る気配はない。まあ、しばらく話し込んでも大丈夫だろう。
尋ねた俺に、店長はやや言いづらそうに口をもごつかせていたが、やがて意を決したように話し始めた。
「家に変なものがいる、って娘には分かってると思うんだよ。この年賀状も、娘が僕のために送ってくれるものでさ、そこにこういうものが写っているっていうのは、やっぱり、何らかのメッセージを感じてしまうというか……」
話している途中、店長は俺の表情を見て、気まずげに笑みを浮かべた。
意識せず、訝しげな表情になった自覚はある。
別に、家に妙なもの──恐らくは人間以外の何か──がいること自体を変に思っている訳ではない。なんなら俺の隣にも似たようなのが居る。
娘さんが送ってくれた年賀状にこんなものが写っているのも、意味があるといえばありそうに思える。
それでも考えすぎじゃ、と思ってしまうのは、多分、写真の中の全員があんまりにも笑顔だったからだろう。
何も心配することはない、と、その和らいだ表情そのものが言っているように思えた。
でも、父親である店長が、娘さんを過度に心配する気持ちは当然のものだとも思う。
元気な姿を見たくて送ってもらった年賀状に、変なものが写っていたら、当然不安にもなるだろう。
「でも、年賀状なんて一枚切りで作るものでもないですし、他の家にも送るものと同じものなら、これ自体気に止めるような異変じゃなくて、単にそう見えるってだけの変な写り込みなんじゃ?」
「あー、いや、違うんだ。これは娘が妻に頼んで、僕の為だけに用意してくれているものなんだ。多分、僕に送るつもりで撮るとも伝えてないと思う」
詳しい事情は分からないが、店長としては、やっぱりこれは何かしらの示唆を含んだ便りだと思っているようだった。
まあ、そこまで言うならわざわざ否定するのもよろしくない。一旦乗っかって、話を繋げる。
「えーと……娘さんからのメッセージ、というと、この謎の存在で困っていることがあるとかですか? こういう怖い家にいるのは嫌だから、店長に迎えに来て欲しい、とか」
「多分……そういうことなんだろうとは思うんだよね……」
店長は何やら思い悩んだ様子で、歯切れ悪く呟いた。
口を挟む空気でもなさそうなので、そのまま話の続きを待つ。
気を紛らわせるためか、店長は手を動かしながら、溜息混じりに口を開いた。
「そもそも離婚の理由がね、義両親が突然騒ぎ出したからなんだよね。電話で話したのが妻だけだったから、僕は全部を聞いた訳ではないんだけど、とにかく『今すぐ離婚しなさい。娘と二人で実家に戻ってこないとならない』の一点張りで。
誰が見ても優しい人たちだったし、僕としても関係は良好だと思ってたから寝耳に水でさ。
あまりに頑なだから、疾患やら何やらも疑ったんだよ。ほら、言ったらなんだけど、歳も歳だしさ……でも、そういう訳でもないみたいで……」
「じゃあ、結局理由は分からなかったんですか?」
「そうだね。何をどう言っても、とにかく関係を切って離れなさい、って言われて、妻も最初は戸惑っていたけど、何度も電話で話し合いをする内に『一旦離れましょう』ってなって。
何か問題があるなら言ってくれと頼んでも、教えてはくれないし。訳が分からないまま今の形に落ち着いてね。
そんな中で、わざわざこういうものが送られてきたことに、やっぱり意味が無いとは思えないんだよ」
「はあ、なるほど……それは確かに心配ですね……」
そういう経緯があるのなら、不自然な点に過敏になるのも頷ける。
ただ、気になる点が一つ。
「えーと……ところで、なんでその話を俺に?」
薄々察してはいるが、一応理由は聞いておきたかった。
苦笑いで問いかけた俺に、店長もまた誤魔化すように小さく笑みを浮かべる。
「だって高良くん、彼処に住んでるでしょ」
履歴書を見れば住所が分かるので、店長は俺が何処に住んでいるか知っている。
部屋番号も書いてある訳だから、何階に住んでいるかも分かっているだろう。
「僕はここに勤めて結構長い方だけど、あのマンションの人って、本当にあっという間におかしくなっていくんだよね。
高良くんの前にも二、三人、あそこで、なんだったかな、事故物件に住むアルバイト?みたいなことをしてた子を知ってるんだけど。
二十歳くらいの子があっという間におじいさんみたいになっちゃったりとかさ、ガリガリに痩せて、次見た時には普通の人の何倍も太ってて、また痩せたかと思ったら見なくなったとか、まあ、色々覚えあるんだよね。
前よりマシになったのもここ数年のことでさ、神藤さんって人が来てくれてかららしいし。まあ、僕は詳しいこと知らないし、知りたくもないんだけど」
店長は俺をチラリと見ると、こっそり、内緒話でもするように小声で尋ねてきた。
「高良くんって、なんかすごい霊能者とかなんじゃないの? だからそんなピンピンしてるんでしょ?」
「いやいや、俺は至って普通の一般人ですよ……!」
「えっ、じゃあ除霊とか出来ない?」
「やったことないっすねえ……」
「ええー……そっか……」
何やら期待に満ちた声で尋ねてきた店長は、そこでガックリと肩を落とした。
どうやら、本気で俺を当てにして話をしてくれたらしい。まあ、こんな不可解な出来事を誰に相談出来るかと言ったら、それはきっと、同じくらい不可解な何かの当事者しかない。
そう考える気持ちは理解できる。だが、実際問題、俺が解決できるかと言えば、それは全く別の話だった。
「…………」
だがまあ、俺以外ならば解決はできるかもしれない。
戸枝店長は役職特有の傲慢さや冷たさはあるが、別に悪い人ではない。
まだ小学生くらいだろう女の子が、得体の知れない何かと暮らしているという状況自体は、心配と言えば心配である。
少し悩んでから、俺は店長にひとつ提案をした。
「あの、でも俺の雇い主がさっき言ってた神藤さんなので……その人に年賀状を見てもらうことくらいなら出来るかもしれません」
「えっ、本当?」
ぱっと明るく顔を上げた店長に、曖昧な笑みを浮かべながらつい頷いてしまう。
こんな風に安請け合いしていいものかはさっぱりわからなかったが、せっかく本当に
封筒に包み直した年賀状を受け取った俺に、店長は何やら納得の行った顔で何度か頷いていた。
「成る程ねえ、高良くんは神藤さんに弟子入りをしているんだな。まだ見習いなら、名乗ったりしちゃ不味いって訳だね」
「いや、そういうんじゃないんですけど……」
全然全く、これっぽっちもそういうんではないので事実として述べたのだが、店長は違った捉え方をしたようだった。
「ああー、そうだよね、そういう職の人は結構秘密ごとが多いからね、部外者には言えないよね! ごめんね、変に突っ込んじゃって。とりあえず、何卒よろしく頼むよ!」
明るい調子で言った店長は、拝むように俺の前で手を合わせる。その表情は笑顔だが、何処かぎこちない。
この明るさは、きっと気を紛らわすための空元気なのだろう。
霊能者に相談したから大丈夫、と思いたい、というか。
まあ、俺は全く、ひとかけらも霊能者の弟子なんかではないのだが。
事実ではない情報で納得されてしまうのは居心地が悪い。一度訂正しておこう、と思ったものの、タイミング悪く、そこでお客さんが入ってきてしまう。
結局、そのあとは改めて切り出す機会は見つけられなかった。
◇ ◆ ◇
一月六日。
俺は自室に伊乃平さんを迎えていた。鏡餅の件である。
「君が高良くんか。案外背が高いな」
そう言って笑う伊乃平さんも、平均よりは充分上に見えた。多分、一八〇センチはあるだろう。
実際の霊能者と顔を合わせるなど初めてなもので、どんな格好をしているのかと構えていたのが、ごく一般的なスーツ姿だった。鞄もそうだし、街でよく見るサラリーマンといった出立ちだ。
短く揃えた黒髪とシルバーフレームの眼鏡が特徴と言えばそうだが、職業を知らずに見かけたなら、きっと強い印象は残らないだろう。
一つ変わった点をあげるとするなら、伊乃平さんは、四十を間近にしているとは思えない程には若々しかった。
下手したら、弟である神藤さんよりも若く見えるくらいだ。
加えて言えば、兄弟としてはあまり顔立ちが似ていない。神藤さんは温和で優しいおじさんと言った感じだが、伊乃平さんにはどうも油断ならない鋭さのようなものがあった。
母親似か父親似かで分かれたのか、それとも何か別に事情でもあるのか。まあ、特に詳しく聞くつもりはない。
「大したもてなしもできませんが。ええと、あの、お茶とか飲みますか?」
「ああいや、結構。すぐにお暇するんでね」
部屋の作りが作りなもので、本当に大したもてなしは出来そうもない。
人を迎えた時の作法も分からないのでやや狼狽えた様子で声をかける俺に、伊乃平さんは気にした様子もなく軽く片手を振った。
壁際に一度鞄を置いて、さっそく部屋に飾ってある鏡餅に近寄る。
「貰った鏡餅ってのはこれか?」
「あ、はい。それです」
「なるほどねえ」
そうしてしばらく、あれこれと観察するように眺める。
顎に手を当てながら何事か考えていた伊乃平さんは、後方で所在なさげに立つ俺を振り返ると、安心させるように笑顔で言った。
「これ自体は別に何でもないから、食べても良いんじゃねえかな」
「そうですか。じゃあ、日が来たら食べます」
良かったような、良くなかったような。
微妙な面持ちで頷いた俺に、伊乃平さんは諸々全部察しているような顔で笑った。
「逆に言えば、別に食べなくても怒りゃしねえから、適当に理由つけて捨ててもいい。黴生えたから駄目だったとか」
「えっ。それで良いなら、俺はその、有り難いですけど……でも、一応プレゼントのつもりらしくて……本当に大丈夫なんですか?」
「心配だったら来年の約束してやりゃいいよ。管理が面倒だから次からパックの寄越しな、って」
あっさりと言い放つ伊乃平さんに、不安をそのままに尋ねてしまう。
彼は引き続き、なんとも軽い調子の声音で続けた。
「どうしても不安だったら一口でも食べればいい。そうすりゃ、口に入れたのは事実だしな。
ただ言っておくと、神様ってのは──まあアレは神様なんてもんではないんだが便宜上そう呼ぶとして、子供と遊ぶのが好きなんだよ。観音像で遊ぶ子供を咎めたら、咎めた大人の方が神様に怒られたなんてこともあるくらいだし。高良くんはあいつから見れば子供にしか見えないから、多少のことは許されるだろうさ」
子供にしか見えない。
それを聞いて脳裏に浮かんだのは、クリスマスの時の隣人の言葉だった。
「……それ、プレゼント貰った時にも言われました。やっぱり、ああいう存在から見れば二十歳なんて子供同然ってことなんですかね」
だとしたら、此処に住む年月が長くなればなるほど長く危ないということだろうか。
そんなことを考えながら呟いた俺に、伊乃平さんが軽く首を傾ける。
「あー……いや、そうじゃなくて」
対面に立つ彼は一度ゆっくりと瞬くと、さして興味があるわけでもない視線を俺へと向けた。
「言ってしまえば、高良くんは五、六歳くらいに見えるんだよな」
「……え? いえ、あの、それは流石に無茶では?」
これでも一応、一七〇センチは越えている立派な成人男性である。
何処をどう見ればそんな歳に見えるのか。
困惑する俺を前に、伊乃平さんは淡々とした響きの声で続けた。
「勿論、二十歳なのは知ってるし、肉体としてはそれだけの年月が経ってるのも分かる。でも俺には君がその年頃の子供に見えるし、多分あいつにもそう見えてるだろう。そんで、それがおかしいことも理解している。
だから鏡餅なんかくれる訳だ。健やかに歳を重ねられますようにってね」
「……ええと、意味がよく分からないんですけど」
「そうか? 君もある程度は心当たりがあるんじゃないかな。一定の年頃から一向に歳取ってるように見えないよ、と言われた時にさ、浮かぶ理由が一つも思い当たらないか?」
まるで何かを解きほぐすような連なりの言葉に、俺は一度、立ち止まるようにして思考する。
多分、此処でいう年齢は身体的なことではなくて、なんというか、精神や、もっと言うなら、魂みたいなものの話なのだろう。
俺には具体的なことはさっぱり分からないが、それでも心当たりが全く無いとは言えない。
もしも俺の予想が正しいのなら、きっとこの世には俺と同じように、見る人が見れば
だが、それを今言葉にするつもりにはなれなかった。
結局のところそれは、自分と向き合うことと同じような気がしたからだ。
だから、代わりに聞いておかなければならないことを、会話の続きとして紡いだ。
「…………それって、俺が肉体に見合った年齢になったように見えたら、あいつは今みたいに寛容じゃなくなるってことですか?」
「さあ?」
「さあ、って……」
「今の話ならともかく、先の話なんざそん時にならなきゃ分かんねえよ。そもそも俺は君みたいなのを採用したとしても、ここまで上手く収まるとも考えていなかったし。
だから結局はさ、高良くん次第なんじゃねえの」
レンズ越しの目は、至って冷静に俺を見つめていた。
「あんな訳分からんもんを相手にしといて、ちょっと理屈らしきものが見えたからって全てが分かる筈がなかろうよ。
それに君、人生どうにかなってもいいから来たんだろ? アレを見て連絡しておいて、先が確約されないのが不安です、って言われても俺には責任は取れんね」
それは確かに正論だった。
俺はあのとんでもなく怪しい雑な募集を見て此処に来たし、やめておいた方が、という神藤さんを押し切って入居した。
そこに今更あれこれ言うのは、おかしな話ではある。
分かっている。俺は今、態度にもそれを出すべきではなかった。
だがまあ、弁明らしいものは一応、しておきたい。
「別に……文句言おうとした訳ではないです」
「おや、顔がそう言ってるように見えたもんでね。つもりがないのに悪かったよ」
自省と、ほんの少しの不満から眉を寄せてしまった俺に、伊乃平さんは押し殺すように小さく笑った。
多分だが、俺は今、拗ねた子供みたいな面をしていることだろう。
そんなつもりはないのだが、知らずそうなってしまう。
それはなんというか、伊乃平さんの持つ雰囲気がそうさせるところも確かにあった。
「分かってるよ、死にたかねえよな。俺だって、ここまで上手くやってる奴に変に冷たくするつもりもない。聞きたいことがあれば好きなだけ聞けばいいし、もしも本当に此処を離れたくなったなら、なんとか無事に抜けるくらいの手伝いはしてやれる。
今のは、単なる事実の羅列だよ。人間程度に分かるようなことなんざ、この世には殆どないってだけの話」
伊乃平さんは少し諦念を含めたような声で呟いた。
「とりあえずなんかあったら光基に連絡くれよ。一応、雇った側として力になる気はあるからな」
「……えっと、じゃあ、それって今でもいいですか?」
「勿論。何かな」
「バイト先で変な話を聞いて預かってきたものがあるんですけど……」
慌てて、壁にかけたリュックを漁り出した俺に、伊乃平さんはどうしてか、やや虚を突かれたような顔で二、三度目を瞬かせた。
意外そうに眉を上げる彼の前で、とりあえず鞄を開く。
現在、俺がまともに使っているカバンはこのリュックのみである。
職場に持っていってるのもこれであり、あの日店長から預かった年賀状は、この鞄に入っていた。
「これなんですけど」
家族写真のところを見せながら、俺は店長から聞いた話を伝える。
よくわからない理由で離婚して娘を連れて実家に帰った妻と、そんな妻の実家から娘の要望によって届いた年賀状。
そしてそこに写っている、此方を覗き込むような大きな目玉。
得体の知れない事態に陥っている気がして不安だから、霊能者に相談をしたいという話。
俺が並べるそれらをさして興味もなさそうに聞いていた伊乃平さんは、年賀状を受け取ると、表書きの住所を確かめた。
「岡山か」
それだけ呟いて、再度写真を見やると、スマホで表面と裏面を撮影して、俺の手に戻した。
「これは持ち主に返しても良い。どうなるかは分からんが、向こうに戻るついでに立ち寄ってみるし、何かあったら光基経由で連絡するよ」
伊乃平さんはそれだけ言うと、この話は終わりとばかりに言葉を切った。その先に繋がる気配がなくて、思わず声を上げる。
「え。あの、良いんですか?」
「何が?」
「いや、その、解決の報酬と言うか……先払いで何かあった方が良いとか……」
「あー、良い良い。俺は人間を相手にした時にしか金取らねえから」
「でも、移動費とかかかる訳じゃないですか。店長に言えばそのくらいは貰えると思いますし……」
伊乃平さんは受け取るつもりがないようだったが、流石に何も出さないのは悪い気がする。
いいって、という伊乃平さんにそれでも今一つ引き下がれないでいると、彼はあまり興味もなさそうに言い放った。
「あー、じゃあ今度××神社行って、『神藤伊乃平さんが助けてくれました』って報告しといてくれ。場所は光基が知ってるから」
よく分からないが、「金よりそっちの方が嬉しい」と言われたので頷いておく。
ちなみにこれは店長が行くより、俺が行った方が良いそうだ。
「で? あとは言っとくことないか?」
「あとは特に、大丈夫です」
「本気で言ってる?」
「え、何が……あっ!」
鞄を手にした伊乃平さんの目がキッチンの棚に向いていたので、俺はすんでのところで
そろ、と足を運び、近頃どうも意味もなく開きがちなそこから、例の写真を取り出す。
ちなみに、表面は視界に入れないように、慎重を期した。
「あの、あいつから貰った写真です。多分何かあるんですけど、どうやって処理すれば良いか分からなくて」
「なるほどな。ちなみに、何写ってたか覚えてる?」
「えーと……誰かの足でした」
そっと差し出した葉書サイズのそれの表面を、伊乃平さんは受け取ると同時に確かめ、
「口まで見えてんじゃねえか」
ぽつりと、聞かせるつもりがあるかどうかも分からないような声音で呟いた。
それでも、対面にいる俺には十分聞こえる声量である。
俺は静かに目を逸らして、出来るだけ考えないようにして、やっぱり『口まで見えてる』の意味が離れなくて、とりあえず一度目を閉じた。
俺の記憶が正しいなら、あれは膝までの足の写真だった筈である。
口という単語が出る時点でおかしい。そんなものは写っていないからだ。
「…………」
ちら、と伺うように視線をやった俺に、伊乃平さんは裏面を此方に向けたまま、軽く写真を振った。
「見る?」
「いえ」
「ああ、そう。別に見ても死にゃあしないんだがね」
本気で見せるつもりで聞いた訳ではないのだろう。伊乃平さんはあっさりと写真を鞄にしまった。
そうして、帰り支度を整えると軽い挨拶と共に踵を返す。玄関先まで一応見送った俺は、そこでもう一つ聞いとかなきゃならないことを思い出した。
「すみません、あともう一個あって」
「ベッドのは無理だな」
伊乃平さんは、靴を履きながら端的に言った。
「……それは、こう、除霊出来ないほどに凶悪……みたいな意味ですか?」
「いや。害がない代わりに捕まんないから無理。あいつも放っといてるだろ?」
あいつ、と隣の部屋を親指で示される。確かにその通りだったので、どうやらベッドに関しては諦めざるを得ないようだった。
まあ、訳のわからん写真の処遇が片付いただけでも十分過ぎるほどである。なんか、口とか見えてたらしいし。口ってなんだ。絶対知りたくない。
「あの、ありがとうございます。年賀状も、写真も。俺じゃあどうにも出来なかったと思うので」
頭を下げた俺に、伊乃平さんは若干居心地の悪そうな顔で眉を寄せたあと、やや呆れた様子で言った。
「君、あいつの友達向いてると思うよ」
「……それは喜んでいいんでしょうか」
「いや、別に褒めてはない」
「なるほど」
なるほど、以外に特に言いようはなかった。
確かに、褒め言葉とするには微妙な事実である。
「じゃあ、一旦さようなら、ってことで」
最後に伊乃平さんは俺の手を借りると、何やら二、三変わった仕草をしてから帰っていった。
扉が閉まるのを見送って、それからふと気づく。
今し方別れたばかりなのに、伊乃平さんの顔が一切思い出せなかった。
「………………」
確かに見たものが全く思い出せないというのは、若干不安を抱く現象である。主に、現実的な脳だのなんだのの問題的に。
だがまあ、これはちょっと俺の預かり知らぬ領域のことで、そして、必要だからそういう風にしたのだろう、ということは理解できた。
出来れば、言ってからやって欲しかったが。
厄介さで言えば、もしかしたら
『よくない人ではあるけど、悪い人と言うほどでもない』という神藤さんの言葉が、脳裏にぼんやりと浮かんでいた。
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