第一話:限りなく自然な日常の延長線上で

聞き慣れた柔らかなリズムで目を覚ます。午前7時を告げる放送、つまり起床の合図だ。周りからは布ずれの音がいくつも聞こえ出す。俺も起きようと意識する前に身体が起きあがる。

「おっはよう真昼、ってどうしたの!?そんなに青い顔して」


二段ベッドの上からのぞき込んだ小柄な少年が急いで駆け寄る。


「ん?あぁ、いや、悪い夢をみただけだ」


俺は開け放たれたドア越しに廊下にある洗面所の鏡に目をやる。数メートル離れた位置からでもわかるほど、俺の顔は真っ青だった。それこそ本当に血を抜かれたように。


「全然大丈夫じゃなさそうだけど…でも前に真昼と部屋が同じだった光太郎も、真昼にはたまにこういうことがあるって言ってたね。だからって見過ごせるような状態じゃないけど」


正直夢であれ、これを見るだけで正気が削がれる。しかし、もう慣れたと言うのが正しいのか、年を経るごとに夢に見る頻度は増えるのに精神的な負荷は減っていった。


「いや、本当に大丈夫だよ。ありがとう翔」


そう言いながら鏡の方に一瞥をくれる。そこに映ったのは、先ほどとは違い至って普通の男子高校生の姿だった。このように、少しずつあの気持ち悪さが後に引かず、夢だけのものになっていっているのがわかる。この身体で最初にこの夢を見たのは3歳の時だっただろうか。そのときは錯乱状態が一時間ほど続き、少しでも抑える大人の手が離れれば自殺してしまいそうなほどだった。それに比べれば今なんてたいしたこともない。せいぜい窓に蛾の死骸を見た気持ち悪さ程度だ。


「まぁそういうことなら。でも気分が悪くなったらちゃんと言うんだよ」

翔は俺を諭すかのような優しくも芯のある口ぶりで微笑んだ。俺は高校二年生。翔は中学3年生。二歳の年の差があれど全く気にもとめない壁のない関係だった。それはひとえにこの孤児院の方針のおかげだろう。

こうして7時半から始まる朝ミサを終えると、朝ご飯を食堂で食べ、学校へと向かった。



「よう!おはよう真昼」


教室に着くと早々に嵐のような騒々しさが耳を襲う。


「…朝から元気だな、智宏」


にぃといたずらっぽく笑う目の前のコイツは小学校の頃からずっと一緒だった悪友、酒井智宏。テスト前にカラオケに誘ってきたり、消灯時間の過ぎた深夜2時頃に突然電話してきたりするはた迷惑なやつだ。


「なぁパズマジのアップデート情報見たか!遂に物語で語られなかった主人公の過去が明らかになるんだってよ!」


朝からやけに元気だったのはそれを早く誰かと語り合いたかったからか。パズマジとは俺と智宏がよく遊ぶゲームで、ストーリーがとにかく凝っているとマニアの間では大人気だった。俺にはそこまでの情熱はないが、智宏はそのストーリー性にどっぷりハマったらしく、事あるごとに俺とその興奮を(ほぼ一方的だが)語り合っている。


「あぁ見たよ。でもまだ公開は二ヶ月後だろ、今からそんなんじゃ身が持たないぞ」

「真昼はわかってないな。二ヶ月なんて足りないくらいだ。今からストーリー読み返して、今回の発表からあらかじめ予想できることを洗い出し考察する!それがパズマジのたのしみかたってもんよぉ」


やれやれと言う風に語るが、お前のやってることは特にマニアしかやらないことだぞ、と心の中で毒づく。俺だって並に好きではあるが、考察したいという衝動は起きない。そもそもあの膨大なテキストを読み返すだけで寒気がしてくる。

そうこう話しているうちに始業のチャイムが鳴る。じゃ、とだけ言って智宏と離れた前の方の席に着く。少し遅れて老年の数学教師が始業を告げると、そこから特に面白みもない普通の学校生活が始まるのであった。

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