第5話
「梁間くんは少女漫画とか読む?」
「有名どころはなんとなくわかるけど、ちゃんとは読んでないな」
「まあ少年だもんね」
「それがなに?」
「恋について語ろうかと思って」
「それなら問題ない。少年も恋はする」
僕は横に立つ仁見さんのほうを向くことなく言葉を返す。気付けば窓から差す光の色が赤みを増してきていた。床に敷きつめた新聞紙は皺だらけで、目の前にそびえ立つキャンバスはもう真っ白じゃない。
「漫画の主人公って大体恋するでしょ」
「ああ確かに。もはや恋してこそ主人公みたいなところあるよな」
「別にそれ自体は良いことだと思うのよ。でもひとつ引っかかることがあって」
彼女はそこで言葉を切ってキャンバスに新しい色を乗せる。
僕はそれを見て次の色を筆で掬った。
「恋する主人公が好きな人に向かってよく言うんだよね。『わたしの世界に色を付けてくれてありがとう』って」
「聞いたことあるかも」
短く答えながら僕は筆先でキャンバスに点を描く。その横で彼女は「でもさ」と言いながら僕のとは違う色、違う大きさの点を描き加えた。
「でも色ってさ、自分でつけたほうが楽しくない?」
キャンバスの半分以上が僕たちの描いた色とりどりの点で埋められていた。点描画とはどうにも僕たちらしい。
相手の描いた答えを見て、自分の筆で答えを返す。真反対な僕たちの即興アート。
点と点は繋がって線になるなら、繋がらない点と点は何になるのか。
その答えは目の前にあった。
「みんながみんな美術部ってわけじゃないんだろ」
「ああ、そういうこと」
キャンバスの白い部分にまたひとつ自分の好きな色を乗せる。それだけで心が躍った。
僕たちはこの世界のどこにどの色を乗せるか、全部自分で決めていい。
「じゃあ私は色の塗り方を知れて幸せね」
息を吐くように小さく彼女は笑った。
その選んだ色を見て、僕はつい口を開く。
「ストーブから生まれた仁見さん」
「どうしたの冷凍庫から生まれた梁間くん」
「それ、寒色だよ」
「梁間くんだってオレンジ使ってるじゃん」
彼女の筆先に乗った青色を見て、自分の手元の橙色を見る。
窓の外の夕空よりも鮮やかで暖かい色。
「ほんとだ」
「でも、その色だと思ったんでしょ?」
答えはわかっていると言わんばかりに彼女は尋ねた。彼女も同じものを見ているのだろうか。
それは不思議な感覚だった。
どこにどの色を置けば正解なのかわかる。いや、絵画に正解はないはずだ。それなら今の僕に見えているのは、きっと世界ってやつなんだろう。
「寒いとか暖かいとか」
話しながら彼女は筆を振る。僕も応えるように筆を動かした。
見えている景色をなぞるように交互に筆を振る。真っ白だったキャンバスに色が降る。夢中になって僕たちはそれを繰り返した。
筆を振る。色が降る。降り積もる。
「なんでもいいんだよ」
そう言って彼女はまっさらな場所に絵筆を乗せた。弾けるような青色が世界をまたひとつ彩る。
その続きは聞かなくてもわかった。いや、聞こえていた。
「……そうだね」
彼女の振る筆が言っている。
彼女の置く色が歌っている。
彼女の描く点が、うるさいくらいに叫んでいる。
「美しいなら、それでいい」
僕の言葉を聞いて、彼女はぴたりと動きを止めた。
そして今日はじめて僕のほうに顔を向けて、にんまりと口角を上げる。
「……意見が合うのは二度目だね」
そして再び彼女は筆を動かした。僕も一心に世界を積み上げる。
決して繋がらない僕たちはきっと同じ世界が見えていた。彼女の描く点を見ていればわかる。
でも、そんなの当然か。
作風が違えど、性格が違えど、僕たちは同じ美術部で。
──美しいものが何より好みだ。
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