俺の屁が臭すぎてみんな死んだ

めぐすり@『ひきブイ』第2巻発売決定

第1話 その日……屁が臭すぎた

 高校二年の九月の終わり。

 四限目の数学のミニテスト中だ。

 まだ秋の訪れは遠く日差しを浴びれば汗ばむ陽気。

 秋雨前線は終わりを告げている。

 エアコンが稼働していなければ教室内で熱中症になることもある。

 そんな残暑厳しい昼飯前に俺は胃痛で苦しんでいた。


「糞……腹いてぇ」


 ガスが溜まって腹を圧迫する。

 早く外に出さなければ腹の痛みは解消されない。

 今朝から腹の調子がおかしかった。

 家を出るときも玄関で特大級の空気砲を解き放ってしまったぐらいだ。靴を履くために姿勢を変えたのが原因だ。猛烈に臭かった。目が痛かった。頭がクラクラした。

 あの臭いは自分でも災害級だという自覚がある。


 そんな屁がこの厳粛な数学の授業中に解き放たれればどうなるか。

 阿鼻叫喚の地獄が待っている。

 俺は一生屁が臭すぎた男として汚名を背負うだろう。もしかしたら後ろの席の柏原さんは臭すぎて気を失うかもしれない。親が自衛隊の特殊部隊。スポーツ万能でアウトドア技能も高いクラスのアイドルに一生嫌悪されるのだ。

 最悪の高校生活になるだろう。


 それは避けたい。

 だがもう限界が迫っている。

 おそらく実は出ないだろうが、大放屁が封印から解き放たれようとしている。

 屁が教室中に蔓延する。

 化学の実験中でなくてよかった。火を取りあつかっていたら屁でガス爆発の危機だ。引火しなくてもあの臭い屁は世に存在していいものじゃない。

 成績に関わるミニテストの途中だが、トイレに行かせてもらおう。

 全ては屁をするために。


「先生! 少し腹の調子がおかしいのでトイレに行ってきていいですか?」


「行くのはいいが上冬。テストは終わったのか?」


「いえ! しかし成績よりも人間には守らなくてはいけない尊厳があると思います」


「なら仕方ないな。お前の大事なものを守るためだ。すぐにトイレに行け」


 ノリのいい先生とのやり取り。テスト中なのに笑いが広がる。

 後ろで柏原さんも笑っている。

 そのせいで気が緩んでしまった。


 俺はこのときのことを一生悔やむことになる。

 いや死んだ後も悔やむことになる。

 もしもこのときスムーズにトイレに行っていたら。

 これから起こる惨劇を防げたんじゃないか。


 いや……それは感傷だ。もう手遅れだった。

 このとき人類はすでに滅びに向かっていた。

 だから関係ないのはわかっている。

 でも! だけど! 好きだった人と仲の良かったクラスメートを殺してしまったこの瞬間だけはずっと後悔することになるのだ。


 ――ブゥオォォォーーーーーーー!


 強烈な爆音とともに俺の屁が解き放たれた。

 あり得ないほどの勢い。

 俺が立っていたので座っている柏原さんに直撃しただろう。

 猛烈に臭い目が痛くなる刺激臭が教室中に充満したのだ。


「うおっ! 臭えぇぇぇぇーーー! 上冬何してんだよ!」


「おい窓開けろ!」


 叫び声をあげたのは窓際のクラスメート。

 エアコン全盛期は陽の光が眩しくて不人気な立地だ。

 俺の席が廊下沿いなので直撃をしなかったのだろう。臭いを感知するだけの時間があった。でも窓際の彼らにも逃げ場はない。

 そのときの俺はなにも気づかずに柏原さんに謝っていた。


「ご、ごめん柏原さん!」


「…………」


「柏原さん?」


「…………」


 柏原さんはなにも答えなかった。机に突っ伏して身動ぎ一つしない。

 俺の方向にだらりと投げ出された右腕が妙に白かった。

 あまりの屁の臭さに気を失った……ならいい。柏原さんだけではない。周りのクラスメートも机に突っ伏している。軽妙なやり取りをした先生も黒板前で倒れていた。

 ついさっき窓際で騒いでいた窓際の連中さえサッシに縋り付くように倒れた。


 なにがあった?


 わからない。


 どうして誰もなにも言わない?


 倒れているから。


 倒れているだけだよな?


 ……本当にそう思うか?


 自問自答で問い返された。

 混乱している。

 だんだん臭いが強くなっていく。目が痛い。

 時間経過とともに拡散し薄れるはずの臭いが濃くなっていく。

 悪臭がする。猛烈に臭い。

 俺の屁の臭い。だが俺の屁だけの臭いではない。

 悪臭が目の前で突っ伏しているはずの柏原さんからしているような気がしてならない。


「そ……そうだった。窓を開けないと」


 俺の屁が毒ガスだった。どうしてかわからないが俺は目が痛いだけで無事だった。でもクラスメートは倒れている。だから早く窓を開けないといけない。


 違う! 逃げろ!


 俺の生存本能が救助しなければいけないという答えを否定した。

 その逡巡が命取りになる。


 ――ガシッ


 俺の左腕が捕まれた。

 とても強い力。俺の手首を握りつぶさんとする細い腕。柏原さんの右腕だ。痛い。痛いけれど、柏原さんがようやく起きてくれた。安心する。安心したかった。自分の左腕が犠牲になっても全てドッキリでしたで済んでほしかった。


「柏原……さん?」


「オ……オォォォオォォォオォオォオオォオオオォーーーーーーーーー!」


 顔をあげた柏原さんの目は虚ろだった。美しい顔立ちはそのままによだれが垂れている。そして酷い悪臭がした。俺の屁の臭いだ。俺の屁の臭いが柏原さんからしている。

 いや柏原さんだけではない。他のクラスメートも虚ろなまま立ち上がり悪臭を放っている。

 その姿はまるでゾンビで。

 俺はクラスメートを全員を殺したことを悟った。


「あぁぁぁぁああああぁぁぁーーーーーーーーーーーーー!」


 柏原さんの腕を壁にぶつけて無理やり左腕から剥がす。

 すでに左腕の感覚はない。

 骨ごと手首を握りつぶされている。

 そんなことはもうどうでもよくて。

 俺は周りのクラスメートまで動きださないうちに教室から飛び出した。

 教室のドアを閉めなかったことに気付いたのは校舎を飛び出したあとだ。

 けれど時間稼ぎにしかならないだろう。

 俺の屁を浴びたからこうなっただけならばまだいい。

 でも柏原さんは悪臭を放っていた。

 俺の屁と同じだけの悪臭を身に宿していた。

 悪臭が学校中に広がっていく。

 人間を壊す悪臭が感染していく。


 どうしてこんなことになった?


 わからない。


 でも全ては俺の屁が臭すぎたせいだ。

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