第5話 遮那王『信夫山の千本桜』を望む。

嘉応2(1170)年3月 奥州信夫郡 大鳥城下

遮那王(12才)


 

 相模の三浦半島で年を越したを俺達一行は、奥州(出羽国)入りし、信夫郡(福島)に至った。

 この地は、奥州藤原氏の家臣佐藤基治の居城がある。

 基治は50代半ば、とすれば嫡男らは元服しているはずである。


 俺は、その大鳥城より南東手前にある信夫山に立ち寄るためにこの経路を取った。

 信夫山は、熊野山、羽黒山、羽山が並び立ち総称として信夫三山とも呼ばれる。

 各山には出羽三山からの分社である湯殿神社、羽黒神社、月山神社が祀られており、古来より信仰の対象となっている。


 信夫山の南を流れる川が祓川で、山伏や参拝者はここで身を清めてから参道を登って行く。

 その参道の一つである羽黒山への参道入口に架かる祓川橋を渡ろうとした時、後ろから東国では珍しい牛車がやって来たので、道を譲ったのだが、橋の中ほどで窪みに嵌まって往生してしまった。


 牛車の伴の者は女房が2人と男4人ばかり。

 彼らだけでは、窪みに嵌まった牛車を動かせずにいるので、声を掛けて手助けをした。

 さすがに、7人もの加勢があれば、重い牛車とて楽に窪みから出すことができた。

 ちなみに俺は、牛車に手を添えただけだが。


 牛車に乗っていたのは高貴な女性にょしょうのようで武家とは思われぬ貴婦人が、ほっとした表情で牛車から顔出して、礼を言われた。


「助かりましたよ。そなた達のおかげで、往生せずに済みました。礼を申します。」


「いえ、大したことではありませぬ故、お気になさらず。」


 その後も、行き先が同じ羽黒山の湯殿神社なので、牛車の後ろについていた俺達は、何度か牛車が往生する度に手助けをしていた。




 信夫山という福島盆地にぽつんとある里山はアニメ『トトロ』の原風景らしい。

 トトロの挿入歌の作者が幼少期に遊んだ里山と聞いた。


 羽黒山山頂の湯殿神社の境内からは、盆地を一望できる場所があった。

 そこには、一本だけの山桜の木があったが、それを見る俺の目には、この山いっぱいに咲き誇る未来の千本桜の風景が見えていた。


 人形浄瑠璃や歌舞伎に『義経千本桜』というのがある。通称『千本桜』というらしい。

 源平合戦後の源義経の都落ちをきっかけに、実は生き延びていた平家の武将たちと、それに巻き込まれた者たちの悲劇を描く物語だ。


 一本の山桜を見ながらそれらを思い浮かべ、遮那王となった俺は、これから降り掛かる義経の悲運を、なんとしてもまぬがれるすべを見つけなければならないと決意を新たにした。



 信夫山にはいろいろ不思議な伝承がある。

 中でも猫稲荷が祀られるようになった三狐の話は面白おかしい。


 その昔、信夫山には御坊狐という人を化かすのが上手い狐がいた。

 また一杯森には長次郎という狐がおり、東の石が森には鴨左衛門という狐がいた。

 三匹は信夫山の南の狐塚というところで会っていたという。

 ある日、御坊狐は鴨左衛門に騙されて、冬の黒沼で尻尾で釣りをし、氷が張り詰めて大切な尻尾が切れてしまった。

 神通力を失った御坊狐改め、ゴンボ狐(ゴンボは尻尾が短い意味)は、人を騙す悪さを改心し、鼠を追い払う蚕の守り神となり、ねこ稲荷に祀られたという。

 御坊狐の化かし話は、面白話が沢山ある。


 道に迷ったら、キツネにつままれたようだと言われる。狐に騙されてお金が葉っぱになってしまったとか昔話にはよくある。

 狐七化け、狸八化けなどの言葉もある。

 狸の方が化かすのが上手いように言われたりもしているが、キツネは女に化けて男を誘惑しタヌキは男に化けて人間を馬鹿にするなどとも言われたりしている。 

 こうした幼少期に聞かせる化かし話は、騙されるなよという教育の説話なのかも知れない。




 参拝の帰路も往路同様、牛車の後をついて、往生する度に手助けをしていた。

 祓川橋まで戻ると、女性にょしょうが牛車から顔を出して言われた。


「なんぞ礼がしたい。我の後について参れ。」


 無下に断るのもどうかと悩んでいたら、従者の男が、さらに俺達に乞うてきた。

 

『是非もない、そなたらは我らの恩人じゃで、礼を尽くすだけじゃ。ついて参られよ。』


 牛車の後を少し離れて、とぼとぼとついて行くと、それは大鳥城の中へと入って行った。


 道々従者の男に聞いたが、お方様とは城主

の継室、平泉の藤原清綱様の娘 乙和子様だと教えてくれた。

 そして驚いたことに、無頼の徒である俺達が城の書院に通され、上座のお方様の隣には城主である佐藤基治がいたのだ。


「此度はその方らが、室の難儀なところを助けてくれたそうだな。礼を申すぞ。」


 わざわざ城主から、礼を言われるとは思いもよらなかったので驚いていると。


「うふふ、驚いておいでですのね。今度はこちらが驚かせてもらう番かしら。

 若子殿、その身なりで隠されても分かりますよ。そなたは、どこぞの公達でありますね。」


「はぁ、• • 俺は源義朝が一子九郎。 

 元服前ゆえ、遮那王と名乗っている。」


「 • • • • 乙和子、そなたとんでもないお方をお連れ申したな。

 御曹司、源氏の御曹司とあれば、我が主である藤原秀衡公が迎えるべきお方にござる。」


「そうは行かぬ。今は平氏隆盛の時、もし俺が平泉にいると知られれば、奥州藤原家にいかなる災いが掛かるやも知れぬ。

 だから基治殿、今日出会ったことは俺が元服するまで、そなたの胸に秘めておいてくれ。

 俺はこれから出羽三山に詣でるつもりだ。

 心配いらぬよ、父の仇を討つまでは、なんとしても生き抜いて見せるからな。」


「誰か、誰か降りませぬか。継信と忠信を呼んでたもれ。」


 慌ただしく、近臣の者が走り去って間もなく

部屋に2人の若者が顔を出した。


「母上。お呼びでしょうか。継信と忠信にごさいます。あっ、父上もご一緒でしたか。」


「継信、忠信、こちらの公達の方は、母が世話になった恩人です。挨拶なさい。」


「はっ、佐藤基治が一子継信にございます。」

「同じく、忠信にございます。」


「遮那王です。」


「遮那王殿は、これから出羽三山に詣でるそうです。二人もお伴をして、一緒に詣でておいでなさい。」


「それとな、出羽三山に詣でた後、継信はここへ戻れ。しかし忠信はそのまま遮那王殿の伴をせよ。よいな。」


「「はい、分かりましてございます。」」


 聞けば、継信は20才。忠信は17才とのことだった。




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 大鳥城に数日滞在し、英気を養った俺達は、継信、忠信の佐藤兄弟を加えて、出羽三山へと向かった。


 羽黒山に着いた俺達は、まず古来からのしきたりに従い、お山全体の玄関口にあたる山麓の手向に到着すると、黄金堂の観音様に手を合せ石段の参道を上って五重塔を経て、山上の寂光寺の大金堂を参拝し、奥之院・荒澤寺へと順を追う習わしに従って参拝した。


 それから羽黒修験道の総本山である羽黒山の寂光寺(出羽三山神社)を訪ねると、羽黒山執行の源慶又の名を越前坊と言われる方に目通りを許された。

 どうも怨霊義経が夢枕に現れ、何か吹き込んだようで、寂光寺の門番に接見を頼むと、引いている黒王を見て慌てたように畏まられ、本堂に案内されて、羽黒山の最高権者の執行である源慶殿に引き合わされ、源慶殿自ら修法である加持祈祷を披露されたのである。


 そして、俺が羽黒山での一年間の修験を願い出ると嬉々として了承され、山中に隠れるようにある宿坊を用意された上に、先達として海尊という修験僧を付けてくれた。

 海尊は生国から、常陸坊海尊と言うそうだ。


 次の日から、俺達の羽黒修験が始まった。

 羽黒山伏の修行は、生まれ変わりの行であり十界の行という、断食、水絶ち、抖そう、南蛮いぶしなど厳しいものだ。

 白装束を身に纏い、俗世界から離れて修行を行ない出羽三山の自然、そして修験道を学ぶ。


 日本海を望む出羽三山は、四季折々の表情を見せる。その中で羽黒修験道は四季の峰という季節ごとの修行を行う。

 その一つ「秋の峰」では生まれ変わりの修行を実践し、生きながらにして、若々しい生命を甦らせることができるとした。

 修行者は山々を駆け、風に揺れる草木一本に動物や自らに、或は森羅万象すべてに、宇宙のはたらきという仕組みが生まれながら備わっているのを眺め見る。

 そして自然界の生きとし生けるものと共存し生命の尊さを学びとり、互いを配慮するという考えに至るのである。


 俺達は一年の四季の移り変わりの中で、人が争い戦うことの不条理を知った。

 権力者という欲に溺れたわずかな人の弱さが罪無き人々に禍をなし、世に戦禍を撒き散らすことの儚さを知ったのであった。

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